Machintoshのしくみ

− 或いはこびとについて −
created: 1998.9.28/modified: 1999.12.19, by Rj


概要

みなさんが手にした無限の可能性への入り口、Machintosh。それは、一体どういうしくみで動いているのでしょう。私たちは普段ごく自然に、そう、現実の文房具を自分の机の上で扱うようにMachintoshを使っています。ここではMachintoshの動作の原理や構造について、特に他のコンピュータとの違いに焦点を絞りながら、難しい数式や専門用語をなるべく使わずに説明していきます。


導入

そもそも私たちはなぜコンピュータを使うのでしょう。コンピュータなんていう、血も通わない、およそ「人間らしくない」ものを、どうして今使う必要があるのでしょう。便利だから?しかし、その「便利」さというものはそんなに重要なのでしょうか。もっと大事ななにかがあるかもしれない、と思ったことはないでしょうか。現代のこの社会で、「人間らしさ」をしっかりと持って生きてゆくのは大変に難しいことです。誰もが、そのことに気付きながらも、周囲に呑まれて、或いは、生きていく上で「仕方なく」、時として「人間らしくない」生き方をしています。「いいや、私はチガウ。私はこんな世の中だからこそ『人間らしく』生きているんだ。」とおっしゃる方もいるかもしれません。しかし、それは往々にして、「切なる願いであると同時に、実際に貫くことのむずかしい理想」とならざるを得ない面もあるのではないでしょうか。

と、大袈裟に話を振ってしまいましたが、幸か不幸か、ここで深遠な哲学体系や時事評論の類を展開することは出来ません(私の能力の問題です)。ここでは、話をコンピュータに絞ります。通常、コンピュータというものは、血も涙もないやつです。好き好んでコンピュータなんていうものを使っている私たちは、もしかしたら血も涙もない存在に振り回されてしまっているのかもしれません。と同時に、もはや今となっては、私たちの生活はコンピュータなしには考えられない、という状態なのも事実です。私たちは、自らの生み出した「血も涙もない」輩の下僕として生きていかねばならないのかもしれないと思うとき、私はちょっと暗い気分になります。

しかし幸いにして、ここを訪れたあなたの前には、そして今これを書いている私の前にも、Machintoshがあります。(或いはまだあなたの前にはそれがないかもしれません。でも、あなたがこれを読んだあと、自分の前にそれを置きたくなることを私は願っています。)Machintoshは、そんじょそこらのコンピュータたちとは違います。Machintoshそのものは確かにただの機械であって、意志を持った生物ではないのですが、他のコンピュータと一緒に語るのがちょっとまずいくらいの違いがあるのです。

さっそく、その「違い」について見ていきましょう。


本論

その一:コンピュータ

まずは、較べる為に、Machintosh或いはそれ以外のコンピュータ全般について少しまとめておきます。コンピュータというのは、「compute(総計する)」という語から来た言葉です。日本では、「電子計算機」などと訳されたりもしています。その名の通り、さんすうが苦手な人に代わってどんどん計算してくれる機械のことです。逆に言えば、ただ誰かに言われた計算を実行するしか能のない、融通の利かぬ頑固で無愛想な、箱に入った電気回路の集合体です。

電気回路ってなんでしょう。英語のelectric circuitという表現を見ると、それは二つの語から成っています。最初のやつ-electric-は、希臘神話のElectra(父Agamemnonと母Clytemnestraの娘で、弟Orestesを助けて母とその愛人を殺し、父のかたきを討ったんだそうです。)をまず想起させます。元の意味は、「かがやくもの」ということで、例えば光る稲妻なんかを連想してみて下さい。電気のことです。(因みに磁場の単位エルステッドというのはデンマークの科学者の名字ですので、この弟さんの名前とは多分関係ありません。)次のやつ-circuit-は、サーカスとかサークルという語と同じ語源で、「丸く行くやつ」という意味です。ネルソン・ピケやジル・ビルヌーブを連想した方もいるかもしれませんね。それと同じ言葉です。以上2つ併せると、「電気が丸く走るとこ。」とでもなりましょうか。電気が丸く走るとなんで計算が出来るんだ!?という疑問もおありでしょうが、ここでは煩雑になりすぎるので割愛します。

さて、コンピュータと言った場合、実際にはいろんな種類のものがあるのですが、ここではそれを私たちがよく目にする、「パソコン」や「ワークステーション」の仲間にある程度限定して話を進めます。(元の意味を辿れば、980えんの「電卓」だって、いや、手ではじくそろばんだって、立派なコンピュータと呼べそうです。また、多くの家庭用電化製品やその他の機械にもコンピュータが潜んでいます。・・・が、ここでは便宜的にそういうのは除きます。)それらは、多くの場合、可塑性樹脂(プラスチックなど)で出来た箱に入っています。

で、とにかくその電気回路の詰まった箱に、鍵盤やマウスなどからアレをやれ、コレをやれ、と命令してやると、コンピュータはその通り黙々と計算をするわけです。(計算と言っても、結果が数字でそのままモニタに出てくるものばかりではありませんが。)ただ、私たちがよく目にするコンピュータの大半は、あなたの命令を直接聞いて「あいあいさー。」と律義にシゴトをするわけではありません。そこが問題です。直接命令出来たら(そう、もしかしたらあなたのパートナー犬が、あなたの直接の命令をよく聞いてくれるように、です)どんなにか素晴らしいだろう、と思うかもしれませんが、まだそれは無理なのです、諸事情により。

頑固で無愛想だというのは、この「命令」を私たちが直接出すことが出来ないということと、コンピュータの電気回路が、決まった種類の命令しか理解出来ない、という二つのことが主な原因です。どちらも、それを乗り越える為の能力を私たちの今の科学ではコンピュータに与えられない、ということです。でも考えてみて下さい、それは、私たちの科学力が頼りないからだ、と言うことも出来ますが、それを生み出した私たち自身、程度の差こそあれ似たようなところもあるのではないでしょうか。

あなたは今、米国大統領に「明日、うちにおいでよ。」と口頭で直接(電話を使ったりしちゃダメですよ。)命令出来ますか?ハイ、と答えた方へ続けて質問です。あなたは今、ガラパゴス諸島にゐるウミイグアナの海太郎君(仮名)に、「明後日、そっちに行くから、宿の確保をお願いね。」と、口頭で直接命令出来ますか?また、あなたは、希臘語の命令を理解しますか?もちろん、と胸を張った方には続けて質問します。あなたは、烏の雑談を立ち聞きして理解しますか?彼らは、「おい、そこのお前、なんかおいしいもんでも持ってきてよ。」と言っているかもしれませんよ。更に続けましょうか、あなたは・・・そう、あらゆる命令を直接に下したり、下された命令を正しく理解することは大変に難しいのです。コンピュータのみならず、私たちにとっても。

ということで、コンピュータというのが宿命的に融通の利かないやつだ、というのもあながち責められないでしょう。いやいや、率直に言えば、責めないでやって下さい。

その二:Machintoshの場合

さて、世間では、その「言われた命令に従って計算するしか能のないコンピュータ」のただの一種、と分類されることもあるMachintoshですが、実はそれは大きな誤解なのです。(干潟などに棲み、シギやハゼに食われたり、釣りエサに使われたりする多毛類の彼らが、ほうしゃのうで突然変異を起こして全長50m程に巨大化してしまったもののことではありません。)Machintoshには、上に述べたような一般のコンピュータと根本的に違うところがあります。それゆえに、Machintoshには「人間くさい」ところがあり、使い手によって使いやすくも使いにくくも愛らしくも憎らしくも変わる、なんとも不可思議な存在になっているのです。

その違いとはなんでしょう?それは、「中にこびとが棲んでいる」ということです。

あ、ご存知でした?でしたら、もう以下を読んでも面白いことはなに一つ書いてないかもしれません。あなたの貴重なお時間を無駄にせぬ為にも、ここで読むのをヤメにして下さって結構です。ここまでお付き合いありがとうございました。

その二の1:こびとって?

では、「えっ?こびとがぁ?そんなこと、あるわけないよぅ!」と驚かれた方の為に続けます。(余談ですが、MacOSヘルプのウインドウ左下に出てくる「えっ?」というのは、もともとは「Huh?」という表現です。意訳すると、「えっ?」という感じですが、場合によっては、「はぁ?(なに言ってんの?あんた、ばか?)」というような侮蔑的な意味合いを持ってしまうこともあるので、英語圏の人に向かって使う時は注意しましょう。)

こびとって誰でしょう。どんな人たちなのでしょう。夜中にこっそり目覚まし時計をいたづらして、私たちを寝坊させ、恋人との大事な待ち合わせに遅刻させ、フラれさせてしまう彼らなのでしょうか。机の抽き出しに棲み、キレイな女の子を巻き込んで騒動を繰り広げてしまう彼らでしょうか。大海原で難破し、独り漂い着いた島であなたを縛り上げて固定してしまう彼らでしょうか。お椀の船に乗ったり、流れ寄る桃や竹の切り株から生まれてきたりする彼らでしょうか。

そうです、そのこびとの仲間です。あなたのMachintoshに棲みついているのは。

現在のところ、彼らがどこでどのようにしてMachintoshに入り込み、棲みつくのか、まだ科学的に解明されていません。Machintoshの製造工場を綿密に調査しても、どこにも彼らの形跡は見当たりませんし、それを製造過程で見たという人もいないのです(*1)。(もちろん、工場にあっても、そこで使われている(稼働している)Machintoshには、ちゃんとこびとが棲みついていますが(*2)。)ただ確実に言えることは、持ち主(使い手)の定まったMachintoshには全て、そう、一つの例外もなく、こびとがいつの間にか棲みつくようになる、ということです。つまり、あなたのMachintoshにも。

(*1)製造過程に限らずとも、実際にMachintoshに棲みついたこびとを目撃した、という報告はまだ僅少です。幾らかあるそれらの報告についても、その信憑性にはまだ疑問の余地が残ります。なぜなら、それらの報告に於ける彼らの姿の描写は、それをしてきた人の母国の言い伝えにある「こびと」の姿か、それによく似たものになっていることが殆どなのです。また、一般に、こびとというものは本来人前にはその姿を現したがらないものなのです。(だからこそ、実際に現れた場合に、それが各地で言い伝えとして残っているのだ、とも考えられますよね。)RAMを増設するふりをして筐体を開けてみたってダメですよ。彼らは、あなたのそんな目論見なんか疾っくの疾うに承知していて、どこかへ(それは「異次元」だと言う人もいます。)隠れてしまうのですから。

(*2)では、見えないこびとの存在をどうやって確認するのか。彼らは、私たちに分かる言葉で喋ったりしません。或いは、していても、私たちには聞こえない小さな声で話しているのでしょう。とにかく、彼らの声も聞こえませんし、彼らの立てる物音も聞こえてきません。では、どうやって確認するのか。それはまた後ろの方で改めて。。。(1999.12.19追記:なんと、こんな写真が・・・)

そのこびとたちがどんな性質を持っているのかが、あなたには気になるかもしれません。だって、もしも彼らが「いたづらの過ぎる」タイプだと、あなたはMachintoshを使うたびに彼らのいたづらに悩まされるでしょうし、逆に、もしも彼らが「ものすごく生真面目な」タイプだと、あなたはMachintoshを使うたびに肩が凝ってしまうかもしれないのですから。でも、心配はご無用です。或いは、あなたはそれに責任を持たねばなりません。

どういうことかと言いますと、こういうことです。「そのこびとたちの性質は、持ち主(使い手)であるあなたの性格/態度で決まる。」

世界中に似たような寓話がありますね。なにかが、あなた(主人公や、副人公)の性格/応対を反映して好くも悪くも転ずる、というような。それと同じです。ありふれた話なのです、これは。因みに、複数の人たちが一つのMachintoshを共用している場合、そこに棲むこびとの性質は、使い手それぞれの性格を反映したものとなりますので、多くの場合は平均化され、無難だけれども面白みの少ないものとなるようです。

そうそう、さっき、一つの例外もなく、と言いましたが、「棲みつく前に壊れてしまった」とか、「買ってきたけれど、全然使わないで放ったらかしてある」ようなものにはこびとは棲んでいません。でも、Machintoshがそんな風に哀しい運命を辿ることは非常に稀ですよね。また、古くなったMachintoshをしばらく使わないでいると、そこに棲んでいるこびとの人口が減ってしまう、しかし、どんどん使うようになればまた増える、ということなどが統計的に確かめられています(*3)。

(*3)人口に関する統計についてもまた後ろで改めて取り上げます。

その二の2:こびとの役割

さて、ここではひとまずこびとの存在を認めて頂くとして話を進めます。一体こびとは、あなたのMachintoshの中でなにをしているのでしょう。

形而上学的に言えば簡単です。あなたのMachintoshを「人間らしく」しているのです。彼らは、おそらく私たち人間に非常に近い種類の存在だと思われます。きっと、彼らの性質も、少なからず私たちのそれに似ているのでしょう。Machintoshが「人間らしく」なってしまうのも、そんな彼らの性質を反映してのことだと思われます。

形而下学的に言うことは、非常に難しくなりそうです。なにせ、彼らの姿形だけでなく、その棲息の痕跡も、発する物音も、普通は全く分からないのですから。私たちはそれを科学的に「観測」することは出来ません。観測機器、例えばCCDカメラや超高感度マイクなど、を仕込んだMachintoshを作ってみても、彼らは決して私たちの作った観測機器には引っ掛かりません。私たちの科学は、彼らの叡知に全く以て及んでいないのです。この点に関しても、私たちの現代科学の無力さを痛感せずにはいられません。

しかし、言わずもがな、科学的な観測だけが私たちの持つ手段ではありません。望みはまだあるのです。いくつか挙げてみましょう。

とまあ、こびとがなにをしているのか、という問題の答は、簡単であるとも、なかなか分からない難しいものである、とも言えるのです。今はこんなことを言っている私ですが、こびとの業に気付くようになるまでには随分時間が掛かりました。でも、なにか特別な訓練をした、というわけでもありません。いつも、楽しんでMachintoshを使っていれば、誰でもやがてはこびとのことが分かるようになるものなのです。だから、焦らないで下さいね。きっとあなたにもそれが分かるようになる日がくるはずです。きっと。

さて具体的に彼らがどんなことをするのか、という点ですが、これは本当に多岐にわたっていて、とてもここで挙げきれるものではありません。彼らはMachintosh内部のいろいろなところへ、好き勝手な方法で「なにか」するのですから。私だって全部分かるわけじゃありませんし、私のところのこびととあなたのところの彼らとでは、することだって違うのが普通です。それでも、一般的によく見られるものとしては・・・おっと、幾つか挙げてみようかと思ったのですが、それはあなたのお楽しみの為にとっておきましょう。人に言われて知るよりも、自分で気付いた時の喜びの方がずっとずっと大きなものになるはずですからね。そう、「分かった」時の喜びというのは、ある日突然、愛おしいなにかが天空から舞い降りてきたかのようなものですから。

その二の3:こびとの確認/人口

上の方で保留した、こびとの存在確認の方法と、人口の増減に関して、ここで述べます。

まず彼らの存在の確認方法について。これは、ここまで読んできた人にはもうお分かり・・・というよりも、一般的な確認方法が科学的に確立されているわけではない、ということがお分かりでしょう。存在確認は、彼らが「なにをしているのか/したのか」を知ることと密接に関連しています。なにをしているかが分かれば、存在していることを確認した、とも言えるでしょうから。詭弁的に見えるかもしれませんが、これは私の考えでは相当に根源的なことです。私たちは、なにかが存在しているかどうかについて、その「なにか」の為した振る舞いを通じて知るしかないのです。例えば夜空に輝く星ならば、その瞬く光を見てそれがそこにあるんだな、と私は(そして願わくばあなたも)思うわけです。ここでの「なにかの振る舞い」は、「星が光を発すること」ということですね。一切の振る舞いを為さぬものの存在について、どうやって確認出来ましょう。各自の妄想で好き勝手なものを「存在するんだ。」と定義することは容易ですが、それでは他者の賛同や理解は得られませんし、私はそういうものを「確認」とは呼びにくく感じます。

それゆえ、私のこのお話が、あなたの賛同や理解を得られることを、私はなによりも切に願っているのです。あなたが、こびとの存在を「実感」する日が来ることを、或いは既にあなたが私のこのお話を共感を抱きつつ読まれていることを。。。

次に、Machintosh内部でのこびとの人口に関する統計情報を簡単に示しておきます。大雑把な傾向としては、人口の増減はこんな感じになっているようです。

その二のまとめとして

「中にこびとが棲んでいる」それがMachintoshを「融通の利かぬ」他のコンピュータと区別すべき「人間らしい」ものにしている、ということが説明出来たでしょうか?あなたにそれが伝わったでしょうか?私の力量不足は否めません。しかし、その不足分はあなたの豊かな想像力が補ってくれることと私は期待します。


結論

MachintoshをMachintoshたらしめているものは、こびとの存在なのです。確かにMachintoshは、他のコンピュータと同じく電子工学やその他の科学理論の上に築かれた電気回路を持ち、供給される電力で稼働しているものであります。しかし、同時にそれは、中に棲むこびとたちが自然の摂理に従って「営んでいる」一つの生態系そのものである、と言っても過言ではありません。だからこそ、私たちはごく自然に、私たちの自然な感性に馴染むものとして、Machintoshを使うことが出来ているわけです。


蛇足

MacOS以外のOSを使っている場合

起動用に或いはその他の目的ででも、MacOSが入っていれば、一応こびとは棲みつくようです。しかし、例えばLinuxPPCなどを主に(日常的に)使用してる場合、その数はかなり少ないところにとどまる、という報告がいくつか為されています。また、「もう一つのパソコン用OS」のエミュレータをインストールしたマシンでも、それを入れない状態と較べると、こびとの総数は減る傾向にあるようです。なお、他のOS上で走るMacOSのエミュレータを使った場合については、情報が少なすぎて今のところ確定的なことは言えません。


謝辞

独創的で胸が張り裂けるような旋律と言葉で私にこれを書くべく息を吹き込んでくれたHATTO@SWAMPSに感謝します。(あはは、あなたもやられましたか。)

また、1998.9.28現在熱帯の島に滞在中であるにも拘わらず、不相変電子メールで殴り書きの未定稿を送り付けられてしまったQ氏(ここでの発想の一つ「Machintosh」というのは、彼からの偶然の贈り物です。)にも感謝します。誕生日おめでとう。今日が、そしてこれからの毎日もまた、キミにとって楽しい日でありますように。めでたくiMacの使い手となった奥様にもこんにちはと言って下さい。 ;-)

そして、世界的に巨大な市場占有率を誇る「もう一つのパソコン用OS」について私に沢山の沢山のことを教えてくれ、かつ、私のそそのかしに乗ってMachintoshの使い手ともなってくれたS氏にも、心からの謝意を表します。今度、よかったらHATTOのCDを聴いてみて下さい。

1998.09.28, Rj


この暴言への補遺
Rj's Chaotic Page
http://rj-chaos.sakura.ne.jp/chaos/
mailto:rj-taka@t3.rim.or.jp