created: 1998.11.29/modified: 1999.04.16, by Rj
リンクフリーといふ語の意味次第について、
にお教え頂きました。m(_ _)m 多謝。
その後、
の記事も興味深く読ませて頂きました。(その他の方、もし言及して頂いてたら、済みません。まだ気付いてません。)
上記の方々見解としては、ほぼ一致して「そのサイトにリンクする際に、維持者の許可を求めなくていい/維持者に連絡しなくていい」という意味合いのようです。他に、
といったご意見もメールで頂きました。下さった方、ありがとうございます。
・・・ところで、もう一つ、別の解釈をも某氏から頂きました。
これも、正統的な意味(リンクするのに維持者の許可は不要)を踏まえた上で、つまり、一見ただそう主張しているだけに見せ掛けて、ということのようです。不倫相手募集の為に「リンク」という語が選ばれたのは、多分、インターネット上で他人との新たな「絆」を求めるということから、らしいです。裏の意味を知らない人が見ても、「リンクフリー」なら他にもよくあるから、特に怪しんだりもしないでしょうしね。。。
因みに、「リンクフリークラブ」というものがあるようですが、上記の隠語とは全く関係ないそうです。「裏の意味」を誰かに教える際には、「リンクフリークラブってのはチガウから、血迷ってそういうバナーのあるところへメールを出さないように。」などと注意すべし、といった不文律まであるそうです。
ただ、この解釈は、今のところ一人からしか頂いてません。言及/連絡頂いた、諸事情に精通した他の方々が一致して前述の意味だと理解していることを考えると、この「裏の意味」は眉唾物かもしれませんね。。。私は真に受けないことにします。
暴言03及びその補遺(この記事)は、
私には、「このサイトへリンクする際は、維持者の_許可_を取ってからでないとダメっ!」という主張はあまりよく理解できません(註)。一方、「リンクするのに連絡はいらないよ。」という意味ならそれは理解しやすいです。
(註)事情が説明してあり、それに納得出来る場合、この限りではありません。「酌む」こともありましょう。(けど、アクセス制限してない状態にある=公開している場合は、禁止する権利がサイト維持者の側にあるとは思いにくいです。かねねこさんのおっしゃったように(上記記事)、ホントに困る場合はアクセス制限するのがいいとおもいます。)
カタカナ語として定着しているものに対する、「それは、ダメ!」という主張でもないです。私はプロ野球の「ナイター」を見るのが好きです。
また、「リンクフリー」という語の意味が分からないからわかりやすいことばに直してよぅ、というもの・・・でもなくなりました。意味をお教え頂いて分かりましたので、もうだいじょぶです・・・・・・たぶん。;)
憶測ですが、それが好意的なリンク方法であるかぎり、リンクしてもらったら(その連絡を受けたら)、「わーい♪」って思う維持者の方もいらっしゃるのではないでしょうか。私は、そういった有機的な連結もこのworld wide webというものの大きな利点の一つ、と考えております。(だいにんきのサイトなどで、維持者のところに毎日何万通もの「しました。」メールが届いたら困ることはあるかもしれませんが。。。)
けど、一般に「リンクは許可を得てからするのがジョーシキ」という観念が流布しているとすると、「しました。」といういきなりの事後通告で気分を害する維持者のひともゐるのやもしれませんね、現実問題として。(私は・・・「歩く非常識」かも・・・)それが原因のトラブルに関して、私は責任を持ち得ません。ただ、維持者の意に反して無許可でリンクしたとしても、自分と相手が日本にいて、その問題が日本のほうりつで裁き得る範囲のことでしたら、日本の法廷で争って負けることは無いんぢゃないかな、と、一素人としては憶測します。リンクの方法に問題が無い限りおそらく現時点(1998年11月)では。但し、くどいですが、私は何も保証できませんけど。。。リンクの方法やら日本国内で通用するほうりつ云々に関しては、下の「参考」のところの後藤さんの記事などが参考になるかと思われます。或いは、ほうりつに詳しい方、私の記述が不適切でしたらご教授下さい。
サイトの構成は時によって変わることが少なくなく、維持者としては「下の方の、一時的な頁」にリンクしてもらって、後であっさりその「してもらった」リンクが死んでしまうことを好まぬ場合もあるでしょう。その点から、「ここはとうぶん消さないよてい。」といった頁に(しばしばそれはとっぷぺーじだったりすると思いますが、そうでなくてもとにかく維持者の判断によって特定の頁に)リンクして下さいな、と表明することは自然だと思います。そして勿論、維持者の意図を蹂躙することを私は推奨するものではありません。無益な「意図の蹂躙」は、web或いはInternetが、その利用者によって「有機的」なものとして発展していってほしい、という私の願いに反することです。
なお、
「リンクする際は連絡を下さい。」というお願いがあって、そこへリンクしたいな、と思ったら、私はたぶん(忘れなかったら)連絡します。また、お願いがなくても、相手のサイトが個人的な(維持者が大掛かりな組織ではなく一個人で、毎日何百人も何万人も訪れてるわけでもない)とこに見えたら、たぶん連絡します。更に言うと、「リンクは許可制です。」という強い主張があったとしても、「敢えてそれを無視しちゃる!」という気合いは私にはたぶんありません。
ということで、維持者の意図をなるべく尊重したいと考えております。
ちょさくけんについて無頓着であることは、私たちの首を絞めることに繋がる・・・かもしれない、と私は自分のこととして心配しています。
rfc1855 ("Netiquette Guidelines" Status: INFORMATIONAL)
http://src.doc.ic.ac.uk/computing/internet/rfc/rfc1855.txt など
には、
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4.0 Information Services (Gopher, Wais, WWW, ftp, telnet)
4.2 Administrator Guidelines
4.2.1 General Guidelines
- Don't point to other sites without asking first.
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という記述があります。(途中を沢山省略してます。)勝手に訳すと、
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(4.0 Gopher, Wais, WWW, ftp, telnetなどの情報サービスに関して)
(4.2 その管理者への/4.2.1 一般的指針)
・他のサイトにまず問うことなくpoint toしてはいけません。
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という感じでしょうか。
RFCには強制力はありません。少なくとも日本では、法的には、(その方法に問題が無い限り)リンクの際に事前にリンク先の維持者の許可を得ることは要求されていないのではないかと思います。(私としては、リンク先の維持者の意向を敢えて踏み躙るのは寂しいことだと感じますけど。)自分がwebサイトを立ち上げている=自分がリンクされる側である場合は、RFCにこう書いてあるからといって、無断でリンクされることが有り得ない、と思い込まない方が無難かと思います。
・・・私、どんどん勝手にリンクする側の権利について述べたかったんぢゃないんです。。。リンクされる可能性、つまり、web上で何かを公開することへの、作り手/公開する側の「覚悟」のようなものについて、ちょっと考えてみたかっただけでした。。。
これを読んで下さってる方の多くは、そんなこと私なんぞに刺激されずとも十分考えていらっしゃる場合が多いと思うのですが、webの利用がさかんになればなる程、いろいろな問題がweb上で、或いはwebを通じて起こることになると思います。しかし、一部のマスコミがどうこう言うのとは違い、私はwebというものの可能性、意義を消したくないです。簡単に言うと、好きなんでしょうね。偉大なるコニュニケーション媒体としてのweb/Internetというものが。
例えば私は、この「リンクフリー」に関する暴言を公開したことで、多くのひとたちといろいろなお話をすることが出来ました。そのやりとりを通じて、自分ひとりでは思いつかなかったような様々な見方や考え方に接し、改めていろいろ考えてみるきっかけになりました。それだけでなく、そのひとたちとのやりとりそのものが、私にはうれしいものです。もしwebを使っていなかったら、もしかしたら一生そのひとたちとは一言も交わすことなくおしまいになってたかもしれません。
よく言われることですが、一生のうち出会って話すことの出来るひとの数なんてたかが知れています。全世界の60億人のうち、一体何%のひとたちと話すことが出来るでしょう?もちろん、多ければいい、というものではないと思います。しかし、だからこそ、出会って話をすることが出来るひとが増える、というのは私にとって貴重なことなのです。自分のwebサイトを持ち、維持している方の多くが、似たような感覚をお持ちなのではないでしょうか。(違うひともいらっしゃるかもしれませんけど・・・)
世界的に見て、web或いはInternetの利用はまだ十分に普及したとは言えません。日本で見てもそうでしょう。ということは、今の使い手の行動如何によって、これからどうにでもなりうる、という面が大いにあると思います。Jobsさんが筑紫さんに向かって言ったように、よい面を育んでいけばよいものとなっていくでしょう。しかし、悪くしようと思えば状況はいくらでも悪く出来るでしょう。どうなっていくかは、今利用している/これから利用していこうとしている「私たちひとりひとり」にかかっていると思っています。
eddieさんのところ(わ)
1998.11.29, Rj