はっとの野望

created: 2004.02.01, last modified: 2004.02.01


もくじ

2001年-2002年

2003年:はっとの野望

  1. 2003.06.21 - 銀座7とは
  2. 2003.07.09 - 3F Vol.26裏日記
  3. 2003.07.10 - 泣き所
  4. 2003.07.28 - かっこいいもの
  5. 2003.07.30 - 僕のルーツについて
  6. 2003.08.02 - 好き嫌い
  7. 2003.08.14 - 神戸、長崎捨て犬日記(第一話)
  8. 2003.08.15 - 神戸、長崎捨て犬日記(第二話)
  9. 2003.08.17 - 神戸、長崎捨て犬日記(第三話)
  10. 2003.08.19 - 神戸、長崎捨て犬日記(第四話)
  11. 2003.08.20 - 神戸、長崎捨て犬日記(第五話)
  12. 2003.08.21 - 神戸、長崎捨て犬日記(第六話)
  13. 2003.08.25 - 神戸、長崎捨て犬日記(第七話)
  14. 2003.08.29 - 神戸、長崎捨て犬日記(第八話)
  15. 2003.08.31 - 神戸、長崎捨て犬日記(第九話)
  16. 2003.09.04 - 神戸、長崎捨て犬日記(第十話)
  17. 2003.09.08 - 神戸、長崎捨て犬日記(第十一話)
  18. 2003.09.21 - 神戸、長崎捨て犬日記(第十二話)
  19. 2003.09.25 - 神戸、長崎捨て犬日記(第十三話)
  20. 2003.09.30 - 神戸、長崎捨て犬日記(第十四話)
  21. 2003.12.13 - 神戸、長崎捨て犬日記(第十五話)
  22. 2003.12.15 - 神戸、長崎捨て犬日記(第十六話)

最新記事


2003年:はっとの野望

2003.06.21 - 銀座7とは

数ヶ月前にSWAMPSがお客さん4人だけを相手に3ステージをやったお店「銀座ロッキートップ」。お客さんは少なかったものの、非常にそのお店の雰囲気や音響の良さに魅せられてしまった僕はこの場所でもっとたくさんの人達に僕らのライブを楽しんでもらいたいと思いました。

来て頂ければわかると思いますが、かなり内装から気合いが入っていて、なんで銀座にこんな店があるんだろうと不思議に思うほど、高そうなお姉さん達がうろつくその界隈とはまるで別世界の異次元空間なのです。しかもそこはアメリカンでカントリーフレイバー満載でシカゴ生まれのナイスガイな僕にはもう辛抱たまらないほど素敵な雰囲気でした。

そこでひらめいたのが、この場所でこのお店の雰囲気にあった連中とイベントをやったら、きっと環境と音楽がシンクロしてその相乗効果でかなり面白いものになるんじゃないかということでした。そんで即座に頭に浮かんだのが、りぶさん、そしてクボタジュンコ。やってる音楽から想像して彼らに同じルーツを感じていたし、この店で彼らが演奏している姿を想像したらメチャメチャはまっていたので、よし!このメンツで行こうと決め早速彼らに声を掛けました。

声をかけながら、さらにひらめいたのが、せっかく同じ感覚を持った連中が集まるわけだし、いい機会なので実験的にSWAMPS、りぶさん、クボタジュンコの合体させた形で何曲かやってみたらどうかということでした。僕、江口、くぼじゅんはそれぞれ非常に個性的なボーカリストですが、実はどことなく同じ匂いを僕自身は感じていて、さらに浜野さんと、けんぢまんのギターも共通する何かがあると思っていたので、これをすべて合わせた形で、しかもSWAMPSバンドを土台にやってみたら、いったいどうなってしまうのか、それを思いついた時点ですでにアドレナリンが出てしまうほど楽しみになりました。

そんで、せっかく一緒にやるのだからユニット名を決めようということで、僕の独断で「銀座7」と名付けました。これは、メンバーが7人で、しかもロッキートップが銀座7丁目にあることから由来しています。まあ、7はラッキー7なので、このユニットもそれぞれの活動と同じく幸運に恵まれ、たくさんの人に愛されるようになるといいなあという願いも込められています。

今後のこのメンバーでやるかどうかは、このライブでの善し悪しで決まると思うので、もしかしたら二度と見られない貴重なライブになるかもれません。それぞれが今までにない課題を抱えながらも、それを乗り越えながらもリハーサルも重ね、お客さんにも満足してもらえるそんな内容に仕上げたつもりですが、はてさて当日はどうなることやら。

僕自身も珍しく期待と不安で非常にドキドキしています。もしよかったら、興味のある方は是非足を運んでみてください。今までにない僕らの姿がお見せできると思います。それでは銀座でお会いしましょう。

2003年6月25日(水)
19時半?@銀座「ロッキートップ」
SWAMPS&りぶさん&クボタジュンコ ジョイントライブ
そして「銀座7」誕生記念ライブ
チャージ1800円+オーダー(お食事もできまっせ)

2003.07.09 - 3F Vol.26裏日記

「和田さんの野望」に継ぐ人気コーナー「はっとの野望」。たまには更新せねばということで、今回は3F Vol.26裏日記。とにかく飛び入り総数が18組という凄い数が来てくれ、今回も名演、迷演?たくさんあって面白かったので記録しとかないともったないつーことで。

  1. Over the stripe

    池袋からわざわざ、知人の紹介で来てくれた二人組み(いつもは3人組み)。なんかルックスも歌も売れそうな感じでした。きっと池袋では人気があるに違いない。

  2. 大矢修司

    今回は昔なじみのミッちーが来たからか、はたまた七夕だからか僕と出会った頃によく歌ってた懐かしい曲を歌ってました。実はその頃の彼の曲、いいのたくさんあるんだよね。野呂さんが好きな「犬」しかり。

  3. よしなり

    いきなり気がつけば筋肉の歌を歌っていた変な奴。会場中を爆笑の渦に巻き込んでいました。「おー、アイム マッスル」完全に何か間違ってます(笑)Norと同じ高校出身です。

  4. りょうた

    そんで、そのよしなりの友達の彼。見た途端、なんか面倒みてやりたくなるそんな母性本能をくすぐる奴。歌はいたって真面目な感じでした。実は結構ギター上手いです。

  5. 有谷孔司

    もう彼くらいになると出てきただけで異様な迫力と気を感じます。有谷ギタースタイル、さらに進化していてかっこいいです。犬塚さんもウットリ。

  6. いつむゆ

    彼女は音源をバックに彼女特有の歌を歌います。こういう人が繰り返し足を運んでくれるのは嬉しいです。うまく言えないけど大切なものに反応してくれているような気がするからです。

  7. ロミオ

    数々の暴言を僕に浴びせる女性アーティスト(笑)この人が歌っていると、大げさな事をしてるわけでもないのになぜか会場の空気が彼女に引き寄せられていきます。きっと魔女です。(笑)また来てね。

  8. みつぼし

    今回、最近亡くなられた高校の時の先生に捧げるステージでした。聞いてると不思議とその先生のイメージが湧いて来るんだよね。優しい瞬間でした。

  9. 山下陽介

    山ちゃんは、3Fの人気もの。来月はメイン。この人のメロディーは早い曲にしろ、バラードにしろ秀逸です。久々に聞けてよかった。

  10. キミヒロ

    これ見逃しちゃった人は大損ぶっこきました。今回とんこつ師匠との初共演。やばいっす。男なのに濡れそうでした。こういう奇跡みたいな瞬間があるからおもしれーのだ

  11. ねこ団

    その名演を受けて登場のなべ&ホッシー。いやあ良いよねこ団。とにかく安心して聞けるし楽しめるもん。ほっしーがベーシストの顔つきになってきてるんだよね。なべの歌も心にくるもんなあ。

  12. カツオ

    お前いい奴だろ?としかいいようのないカツオ君。なんか普通に会話してる時のような、ちょっととぼけた感じが演奏に活きてくると、もっとこの人良くなるような気がする。

  13. ヨッシー

    クールに演奏して帰っていた彼。僕がギターを貸してあげました。ちゃんとギターを鳴らせる彼なので、とてもいい音がしてました。うーむ、そっちに気を取られてしまって曲の印象があんまない。自分のギター持ってまた来てくれるといいな。

  14. 坂大君

    もう飛び入りではおなじみになって来た彼。見るたびに成長してまんな。たぶん、すごい負けず嫌いな努力家のような気がする。今回の曲良かったなあ。俺好み。来月はいよいよメインです。

  15. おーち

    こらあああああ。何も言わずに帰るなあ!

  16. 高橋あやこ

    しかし、この人は持っていきまんな。保育園の先生キャラで3Fの馬鹿共(いい意味で)を完全に手名付けた上で演奏スタート。歌もギターも日々進化してるし。この人も強いオーラがあるね。

  17. りぶさん

    やっぱ、りぶさんのライブは、なんか別格です。別物ともいう。なんつったらいいのかなあ?ドリフで言う志村けんつう感じかな?そこに期待が集中するんだな。

  18. 内田まなべ

    久々にとんでもない人がまぎれこんでいました。この人は貴重です。9月の3Fメイン即決定!素晴らしいのでお楽しみに。

以上な感じで終演深夜1時。皆さんお疲れサンでした。犬塚さん、しんちゃん、丸山君、はに丸を始めスタッフのみなさんもどうもありがとうございました。また来月みんなで楽しみましょう!

さらに裏話。打ち上げは庄屋で、その後始発まで藤沢駅でよしとの歌をみんなで楽しんでいたら、ニューハーフ外人軍団に囲まれ、そのニューハーフとよしとの貴重なセッションというおまけが付きました。とんでもなく歌の上手い彼女?だったのでこれも見事だったのだよ。

楽しみたければ朝までつきあいなさい。じゃね。


2003.07.10 - 泣き所

この間久々に実家に帰ってテレビを見ていたら、スガシカオの新曲?のプロモがやっていました。「gogo」つう曲だったと思うんだけど。見てたらなぜか涙が止まらなくなってしまいました。なんか歌詞、歌声、映像、そして曲に反応したんだろうな。別に何の気なしに見てたんだけど。まあ、特に最近の彼の歌詞はホント凄くて、要注意なんだけどね。

で、なんで自分は泣くのだろう?どういったものに反応して泣くのか考えてみたんだけど。ある種パターンを発見しました。何にしても他者に対して優しい気持ちがある物に弱いみたいだな。もっと言えばがんばっている人に対しての優しい気持ちかな。ひどい話かもしんないけど、その上誤解されるかもしれないが、僕は人が死ぬ話や、別れ話とかはあんま悲しくないんだよね。死に関しては自分も含めて必ずやって来る仕方のないことなので、ある意味覚悟しちゃってるんだな。別れにしたって別に生きていれば会える可能性だってあるので、明るくいこうぜ!みたいな感じでね。

結局自分はなぜこんな考え方をするのかって事だけど、要は死よりも生に興味があるんだな。どう死ぬか、ではなくどう生きたかにしか興味がない。だから精いっぱいがんばって生きてる人を見れば泣けてくるし、それを思いやってる人を見ると、さらに自分だって大変なはずなのに、なんて優しいんだろうって涙が出てくるんだよね。自分自身もやっぱとにかく悔いのないように精いっぱい生きたいと思うし、そして精いっぱい生きている人は心から応援してやりたいと思います。

まあ、人それぞれいろいろあるとは思うけど、せっかくある意味奇跡に近い機会で生まれて来たのだから、死ぬために生きるのではなく生きるために生きようぜって感じかな。そんでどうせなら自分も他人もみんなハッピーになるくらい楽しくね。


2003.07.28 - かっこいいもの

先日ある雑誌を読んでいたら、米国の女優キャサリンヘップバーンについての記事が出ていました。どうやら最近90才くらいで亡くなられたらしい。米国ではヘップバーンといえば、オードリではなくキャサリンつうくらい人々に愛され尊敬されていた人物だったと書いてありました。この人がなんで人々に好かれてたっつーと、ハリウッドの黄金期を支えた名女優つうのは勿論なんだけど、そういった名声に溺れることなくすごい謙虚でしかも質素なライフスタイルを貫いた人らしいんだよね。ハリウッドの世界といえば、だいたいはキンキンギラギラで見栄の張り合いのような世界らしいんだけど、そんな中で彼女は一線を画していたらしい。その記事を読んで「あっ、この人かっこいいじゃん。」と思いました。

僕は例えば総理大臣くらい偉いと言われる立場なのに、なぜか貧乏で4畳半暮らしだったり、ものすげえ美人だったり男前だったりするのにツンケンしないで誰にでも優しく謙虚だったり、めちゃめちゃ努力してんのに全然そういう素振りを見せなかったりそういうのが本当にかっこいいような気がします。

お金なんて生活に必要な分とちょっとオシャレできる余裕分だけありゃあいいし、それ以上は人のために使えばいいんだよね、きっと。いい物着て、いい車乗ってとか言うけど、過度に高い贅沢品なんてそんなものは心の醜さを隠すようなアイテムにしか思えません。有り余る金で買ったジーパンより一生懸命バイトして貯めたお金で買ったジーパンの方がやっぱかっこいいんだよね。

歌にしたってさ、売れなきゃとか、TVやラジオに出なきゃビックにならなきゃとか、いろんな人が言うけどさ、そんなことじゃなくても、いい歌は歌えるし、たくさんの人に聞いてもらいながら続けていく方法はいくらでもあるし、実はそっちの歌達の方がかっこいい気が僕はします。

これを貧乏人のヒガミと取ってもらっても全然構わないんだけど、僕のまわりにもかっこいい連中が多いのでこんなことを書いてみました。


2003.07.30 - 僕のルーツについて

よく歌を歌ってると聞かれるのが、どんなアーティストに影響されましたか?あなたのルーツはなんですか?ということ。その聞きたい気持ちは自分でもよく分かっていて、例えば自分の好きなアーティストが雑誌やなんかで、自分が影響されたアルバムを紹介してると、やっぱ必ず聞くし、そこからまた音楽の興味の深い深いブラックホールへと落ちていったりするんだけど。

じゃあ、自分の音楽のルーツってなんだろう?自分のルーツは亮ニと栄子だけど(笑)音楽のルーツは?ここで、ブルースです、ソウルです、ジミヘンですストーンズ、ビートルズですって言えればかっこいい気もするが、全部それは後から好きになったもんでルーツではないんだな。実は僕の音楽の基礎の部分に最も影響を与えているのは、間違いなく
「ザ・ベストテン」
という昔TBSで木曜の21時からやっていた音楽番組なのです。

司会は黒柳徹子と久米宏という、今やもう大御所どころの話ではない組合わせ。この頃のランキングは本当にバラエティに飛んでいて歌謡曲もあれば、演歌もあり、ロックもあれば、アイドルもありと。今ではちょっと考えにくいベストテンの順位だったんだよね。それが常に生放送で歌うという贅沢さ。だから若者だけでなく子供からお年よりまで家族で一緒に楽しめた音楽番組でしかも毎回誰が1位なのかな?とかあの曲そろそろ来るかなとかドキドキワクワクしながら見てました。

すごく旬な内容にも関わらず、きちんと構成されていて、それぞれの歌手が歌う時のセットやアイディアなんかも練られていて、もう視聴者を本当に純粋に楽しませてやろうという意気込みにあふれていたように思います。とにかくそこには夢があったんだな。

夜のヒットスタジオはちょっと大人の世界で近寄りがたく、紅白歌のベストテン(後にトップテン)なんかは、なんか類似品ぽい印象で、あんま見なかったんだよね。トップテンにはデビュー直後のジョージマイケルや、ジャネットジャクソンなんかも出てたんだけどね。小学生の僕のリアルタイムな音楽はとにかく「ザ・ベストテン」でした。今となって思えばSWAMPSの世界も実は、あの頃僕が無意識にすり込まれたジャンルレスでしかもエンターテインメント。老若男女問わず楽しめるベストテンそのまんまような気がします。

そう、だから僕のルーツは胸を張って「ザ・ベストテン」。


2003.08.02 - 好き嫌い

僕は親の躾がよかったからか、はたまた生まれつきからかあんま食べ物に関しての好き嫌いがない。文明社会が料理として出しているものなら、たいがい何でも美味しく頂きます。

でも待てよ、この「好き嫌いがない」つう表現は変じゃないか?好きな物はたくさんあるのだ、軟骨の唐揚げ、鳥の唐揚げ大根の葉っぱの醤油炒め、揚げモチ。まだまだある。たから正確に言うと「嫌いなものがない」のだ。

今度どこかで子供がお母さんに「好き嫌いなく食べなさい」と言われてるのを見かけたら、「アナタはこの子を無感情のサイボーグにするつもりですか?」と言ってやろう。なーんて本当は好きなもんばっか食べて嫌いなもんを残すと栄養のバランスが偏るからそれを危惧する親の愛のある言葉だとは知っているけどね。

まあ、僕は食べ物にも嫌いなものがないように、あんま物事に対しても嫌いな物ってあんまないんだよね。あえて言えば食器をフォークでキーとやる音くらい?人間に対しても同じで、あんま嫌いな人っていないんだよね。興味のない人(犯罪者とか悪徳政治家とか)っつーのはたくさんいるけど。

あえて言えば、僕が嫌いなのは「僕のことを嫌う人間」くらいかなあ。ただそれにも例外があって自分が好きな人が僕を何らかの事情で嫌う場合、これに関しては、その人を嫌うっつうより、かなり僕自身が傷つきます。もしかしたら僕が人生の中で最も恐れていることかもしれません。きっとそういう気持ちって僕だけではないと思うんだよね。だからと言って無理して嫌われないようにするとか、好かれるように振る舞うなんて事はさらさらするつもりはないんだけどね。

まあ結局は、みんな仲良くハッピーにやろうぜって事。僕はいつでもそのつもりなんでね。あと、ちゃんと出された物は全部食いなさい。嫌いな気持ちがすべてのバランスを崩すのだぞ。


2003.08.14 - 神戸、長崎捨て犬日記(第一話)

けんぢのぢの後追いで僕も今回8月7日から11日にかけてのRMS「りぶさん縁の地を訪ねてツアー」の回想記を書いていきたいと思います。きっとそれぞれいろんな角度からこのツアーについて感じたことがあると思うので、けんぢのぢとはまた違った楽しみ方で読んで頂けるのではないでしょうか?

第一話:旅立ち前夜

今回合計10人レンタカー2台で東京から神戸、長崎と突っ走るツアーだったわけですが、東京近郊と言えどもそれぞれ住んでいる場所はバラバラなわけで、しかもギターやら機材があるため、どうしても家まで迎えに行く必要のある人間がいるので、どうやって落ち合うかがまず最初に問題となりました。

旅の効率を考え、藤沢まで行ってる時間はないと判断した僕は、藤沢在住の大矢君と飛行機で行く予定の浜野さんと、あやちゃんの荷物を前日に僕のマイカーで回収して、僕の家にストックして、翌日レンタカーを借りた後、僕の家に寄って積み込んで行くことにしました。当日は中央林間駅まで大矢君に電車で来てもらいました。そこから東名高速の横浜町田インターまではさして時間がかからないのでその方法が一番いいと考えたのです。

そんなわけで、僕のツアーへの行動は前日に着々と進んでいたのです。前日はもちろん夕方までバイトで、その後そういった動き方をするため僕はいろいろと旅の準備の時間配分をバイトをしながら考えていました。藤沢組の荷物を回収しに行かなくてはいけない、自分の荷造りをしなくてはいけない、ちらしを作らなくてはいけない、道中で聞く玲葉奈のテープを作らなきゃいけない、ちょっと昼寝もしたい、、、、そして前日の最大のネックはレンタルビデオで借りた松田優作と館ひろし主演の20年くらい前の映画「暴力教室」を見なくてはならないことだったのです。旅行から帰って来てから見て返却したら延滞料金取られてしまうし、どうしても長崎に行く前に心構えとして「暴力教室」を僕的に見ておかねばならなかったのです。

いろいろ考えた結果、昼寝はあきらめて、家に帰ってすぐ「暴力教室」を見ました。まだ出演者のクレジットに館ひろし(新人)と書いてある凄い映画でバイオレンス満載で僕のテンションはヒートアップ!それを見終わり、藤沢組の荷物を回収に向かいました。途中でチラシもコンビニでコピーをしたり実家で玲葉奈のテープを作ったり(僕の部屋のラジカセは故障中なので実家じゃないと録音できない)しながらも当初の予定通り午前0時に家に戻って来ました。その後自分の荷造りをして午前1時に布団に入りました。バイト終了後昼寝もせずにこんだけの行動をしたので旅のワクワク感もよそに目をつむった途端寝てしまいました。明朝は僕もレンタカーを借りる渋谷まで8時半に行かなくてはならなかったのでとりあえず5時間くらい明日にむけてぐっすり眠りました。「暴力教室」を見なければ7時間眠れたのになんて、少しも考えませんでした。

つづく。


2003.08.15 - 神戸、長崎捨て犬日記(第二話)

第二話:旅立ちの日

子供の頃、遠足の前の日には必ずワクワクして眠れなかった僕もこの日は疲れていたのかグッスリ眠れ、予定通り朝6時半に目を覚ましました。その後中央林間から、みんなの憧れ田園都市線に乗ってレンタカーを取りに渋谷へと向かいました。その電車の中、隣に座った若いOL風の女性が変な人で、ちょっと電車が揺れて体が触れるとひじ鉄をくらわせて来るそんな昨日の「暴力教室」さながらの人だったので、渋谷までの約1時間、もう少し眠ろうと思っていた僕の計画はもろくも崩れさりました。渋谷に着くとモアイ像【Rj註:モヤイ像】の前に、まるで丘にたたずむプレーリードッグのような二人組みが待っていました。ねこ団のなべとほっしーです。しばらくするとけんぢまんもやって来て東京発組は勢ぞろいしたのでレンタカーを借りに行きました。

「それでは10万円になります。」
僕らはキョトンとしました。
「先払いなんですか?」けんぢまんがレンタカー屋さんに聞くと
「そうです。」
完全に後払いだと思っていた僕らはそこにいる全員の持ち合わせをなんとかかき集めレンタル料を払いました。まだ出発前なのにこの時点で僕の所持金はすでにほとんどなくなりました。

けんぢまん号とはっと号に別れ、けんぢまん号はねこ団二人を乗せO-chを横浜の自宅まで迎えにいきました。はっと号は優ちゃんと、江口を自宅まで迎えに行き、その後けんぢまんの荷物をけんぢまんの家に取りに行ったもののなんと渋谷でけんぢまんに家の鍵をもらい忘れ、家の中に入れずじまい。結局O-chを乗せた後、けんぢまん号が自分で荷物を取りに行くはめになってしまいました。

海老名のパーキングで2台が合流する予定だったので、このけんぢまん事件でどうなるかと思いきや、はっと号も僕の家に帰って荷物を積んだり、大矢君を迎えに行ったりしてるうち時間を食ってしまいなんと海老名のパーキングにほぼ同時刻にけんぢまん号と合流することができたのでした。パチパチ。やはり気の合う仲間同士はすべてがかみ合ってしまうそんなことを象徴する一コマでした。

つづく。


2003.08.17 - 神戸、長崎捨て犬日記(第三話)

第三話:旅立ちの日(2)

とりあえず、ロングドライブに向けてエネルギーを蓄えようということで、みんなで海老名のパーキングの食堂の今流行りのオープンテラスで食事を取りました。その後、禁煙車と喫煙車に分けて行きましょうという事になり禁煙車には、僕とO-chと優ちゃんとほっしー、そして喫煙車にはけんぢまんと大矢となべと、そしてなぜか煙草を吸わない江口が乗り込んで行くことになりました。こっちには若いギャルが二人、あっちの車は見るも無惨な男臭さ。本当に煙草など吸わなくて良かったと思いました。

最初、旅の嬉しさと興奮で助手席にいる間ずっとO-chといろんな話をしていました。RMSのこと、これから行く神戸や長崎のこと、愛とは夢とは。。。。でも考えてみるとドライバーは二人しかいないわけで本当はどちらかが運転している場合はどちらかが寝ていないと体力が持たないという事を体力がなくなってから気づきました。

長い時間一緒にいると、その人の特徴もおのずと表面化してくるもので、優ちゃんは助手席に座った場合、運転手が疲れないように眠くならないないように、いろいろリップサービスをしてくれるのとは対照的にほっしーは助手席だろうが、後部座席だろうが、はっと気づくと必ず寝ている始末。おそらく往復合計約35時間の道中、起きている時間は30分くらいだったのではないのでしょうか?

ところどころ、予想外の渋滞に合いながらもなんとか神戸に近づいて来たところで台風の影響か大雨が降ってきました。到着予定時刻もすでに過ぎてしまい、果たして神戸でのライブはできるのであろうかという不安が頭をよぎりました。

つづく


2003.08.19 - 神戸、長崎捨て犬日記(第四話)

第四話:そして神戸

予定時間の2時間遅れの21時、なんとか神戸に到着しました。神戸到着と同時に、なぜか雨もほとんど止んでしまいました。しばらく目的地に着くまで迷ってしまい神戸市街をウロウロしていて感じたのは、「あれ?ここって横浜?」という印象でした。今にも横浜県庁や大桟橋が見えてきそうなくらい町並みが横浜っぽかったのです。

なんとか三宮の繁華街に着くと、そこにはコニシスこと小西君が遅くなったにも関わらずたくさんのお友達と待っていてくれました。小西君はコニシステムという事業を立ち上げ、カフェをやったりTシャツやグッズを作ったりしているデザイナーで、りぶさんの古くからのお友達です。実は約3年くらい前、りぶさんの二人と初めて出会った時、この小西君とも一緒に出会っていて、その頃から「コニシスというブランドを立ち上げるんです」とは聞いていたものの、当時は僕はきっと冗談だろうと思っていたんですが、つい先日なんとお台場にショップを構えてしまいました。

そんな小西君が用意してくれたストリートの舞台で地元のミュージシャンムーンの土居君とRMS連中のジョイントライブが始まりました。最初カバーをみんなでやって徐々に打ち解け、次々順番にみんなで歌っていきました。初めて見る僕らを神戸の人々は暖かく受け入れてくれ、手拍子をしてくれたり拍手をしてくれたりして楽しいライブになりました。この時がこの旅の後にも先にも、なぜか疲れのピークだったのですが皆さんの暖かい気持ちに支えられ楽しい時間を過ごせました。

ライブ終了後みんなで芦屋にある小西君がデザインしたカフェバー「サブキッチン」に行きました。なんともオシャレなお店で、そこでカレーやキムチチャーハンを食べました。神戸のお客さんともいろんな話ができて楽しかったです。

僕は土地土地でギャルチェックはかかさないのですが、神戸のギャルの印象はみんな、どことなく上品でこだわりのあるオシャレを心がけているなあという感じでした。サブキッチンに一緒に行った女の子たちも、みんな見たこともないような時計やブレスレッドをしていて、でもそれがさりげない感じでとってもよかったです。へそ出しルックもどこにもいませんでした。東京の右向け右むけみたいなオシャレセンスよりも僕は神戸の女の子のそんな一面がとっても気に入りました。男は眼中に入って来なかったのでノーコメント。土居君はかっこよかったけどね。

誰が言い出したのか、このまま寝ないで夜のうちに行けるところまで行こうぜということになり、サブキッチンの前で神戸のみんなとお別れして、僕らは長崎へ向けて早くも出発したのでした。

つづく


2003.08.20 - 神戸、長崎捨て犬日記(第五話)

第五話:二日目が辛い

神戸を出たのが恐らく深夜2時半くらいで、はっと号は僕が運転し、けんぢまん号はけんぢまんが運転という、そのまんまな感じで長崎に向けて出発しました。深夜の山陽道はあまり他に車が走っていなくて、まるで俺の道路だぜ状態だったけど、なんかちょっと怖かった。O-chとほっしーは後部座席でぐっすり眠りについていて、しばらくたってバックミラーを見たらO-chが消えていたので、どこに行ったのかと振り向くと、後部座席と前の座席のすき間にはまって寝ていた。優ちゃんはいつも通り運転主の僕を寝させないように励まし続けてくれました。

岡山に入ったところで、パーキングで一休みすることにしました。僕は地理音痴のため、実はその日まで関門海峡は岡山県にあると思っていて、パーキングの地図を見てびっくりしました。「まだまだだったのかあ!」とまるで猿の惑星の主人公が自由の女神を発見した時のような衝撃が体に走り、愕然としました。その後けんぢまんと話しあい、じゃあ広島までは夜明けまでにがんばって行こうということになり、また車を走らせました。

しばらく走ると、雨が強く降って来ました。すごい雨だなあと思っていると、雨はさらに強くなり、ワイパーをフル稼働させても前が見えないくらいになって来ました。台風10号です。僕はでも、まあ他の車が走ってるうちは平気だろうなと思い途中のパーキングにも入らず車を走らせていたら、横をトラックが通りすぎた途端、完全に水を車がかぶり視界0の瞬間が数秒間続き、「あかん、このままじゃ事故る」と思い路肩に車を止めました。

先を走っていたけんぢまんから電話があり、「はっとさん高速この先通行止めで備前で強制的に降りるみたいです」と連絡を受けたので、僕らも備前までなんとか走り警察の誘導にしたがって高速を降りました。すると、そこはまたすごい事になっていて、排水口から水が1.5メートルくらい吹き出しているは、がけ崩れはところどころ起きてるは、しかも大渋滞だはでいったいぜんたいこの先どうなってしまうのだろうと不安がよぎりました。

そんなピンチの状態でもほっしーはまるで弥勒菩薩のように寝続けてるし、O-chはすき間にはまったままでした。優ちゃんだけが「はっとさんこういう時こそ元気ださなきゃ」とすっかり意気消沈している僕を励ましてくれました。ちなみに彼女は17才も年下です。

しばらくすると雨が小雨になってきて、ふっと降りた高速道路の方を見ると、車が何台か走っているのが、見えたので急いでUターンして高速の入り口まで戻りました。すると、これはあきらかに誰かが勝手にこのバリケードを開けちゃったんだなと思うような状態でしたが、僕は構わずそのまま高速に乗り込み走りました。けんぢまん号もそれに続いて来ました。

そのまま順調に次のパーキングまでたどり着きもう限界だったので、そこでO-chにすき間から出てもらい運転を変わってもらいました。僕はその直後、完全に気絶しました。

つづく


2003.08.21 - 神戸、長崎捨て犬日記(第六話)

第六話:ついに長崎

目が覚めるとそこは橋の上だった。「はーしーのおー上にすわってえー」と思わず誰かの名曲を歌いたくなるくらい立派な橋。ここはどこかと思えば関門海峡でした。僕は本州から九州へは、トンネルでしか行けないと思っていたので、橋を渡って行くことにビックリしました。去年の東北、北海道ツアーの時もそうでしたがやっぱ実際自分で行ってみないことには分からないことって多いんだなあと思いました。

近くのパーキングに入り、けんぢまんにあと2時間くらいで着きますよと言われた時、やったー!あともうちょっとじゃん!と喜びました。今になって考えてみると2時間かかる距離つうのは結構あるんだけど、それまで、さんざん走って来た僕らには間違いなく、あとちょっとの距離に感じられました。これがアインシュタインの言うところの相対性理論ってやつです。

そこからは僕が運転をすることになり、しばらく走ってラジオをつけてみるとFM佐賀の番組が聞こえてきました。おー、これがあの有名な佐賀県のFMかあと感動しました。
「次は佐賀県出身のいち押しアーティスト、マーマレードラグの曲をお聞き下さい。」
マーマレードラグといえば、キリンジやサニーデイサービスのようないわゆる、渋谷系っぽいおしゃれな音楽をやってるバンドなんですが、佐賀県出身とは初めて聞きました。公表してねーだろ。

久しぶりに起きて助手席に座っているほっしーとぎこちない天然系会話をしながら順調に走りついに長崎へと到着しました。

ついて最初になぜかけんぢまんの家の近くのコンビニに寄りました。コンビニとオリジン弁当が合体したような不思議なコンビニでした。ヤンジャンを立ち読みすると巻頭グラビアは僕の大好きな若槻千夏だったので、よっぽど買おうと思いましたが、みんなに馬鹿にされそうだったので東京に帰ってから買うことにしました。

つづく


2003.08.25 - 神戸、長崎捨て犬日記(第七話)

第七話:長崎の日々

長崎に着くまで一回も風呂に入らずにいたので、けんぢまんが気を効かして、諌早を一望できる高台にある、諌早ヒルズこと「のぞみ会館」の公衆浴場にみんなを連れってってくれました。見たこともない、一癖も二癖もあるような連中がぞろぞろと入って来て受け付けのオジサンは少し怪訝そうな表情でしたが、それに構わずみんなでお風呂に入りました。

いやあ、ここに来るまで、ライブやら暴風雨やら経て来て、僕らの体はベトベトだったので、気持ちいいのなんのって。最高でした。僕は頭を洗い、湯船につかりながら幸せそうに「プハプハ」してたら、みんな僕の濡れた髪の毛に対して、海藻みたいだの、捨て犬みたいだの、終いにはなんかムカツクまで言われて、せっかくの爽快感が台無しにされました。その上風呂上がりに無理やりけんぢまんとなべに体重計に乗せられしかも今まではじき出したことがないような数字をたたき出してしまい「池中玄太でしょ?」と言われる始末。すっかり肥満児だった小学生の頃の苦い思い出が蘇ってしまいました。

風呂の後ととくれば、それは飯。長崎と言えばちゃんぽんつうことで長崎の中華街の有名なお店の諌早支店に連れてってもらいました。そこで、みんなで長崎ちゃんぽんを食べました。みんな自分の懐具合に応じて、並、上、特上の3種類の中から選んで食べてました。特上を食べたのはO-chだけでしたがどうもみんなのと比べながら彼は不満そうな顔で食べてました。でもやっぱ本場のちゃんぽんはやっぱ美味かったです。そこでテレビがつけてあって天気予報がやっていましたが、その時点で晴れていたのは長崎だけでした。考えてみると日本縦断をした今回の台風の影響を最も受けてないのが僕ら8人なんじゃないかと思いました。

お腹いっぱいになり満足したので、けんぢまんの実家に向かいました。なんとなく懐かしい感じのする家で、いわゆる僕が思い描いていた故郷の我が家って感じでした。お父さんが入院中でお母さんの病院に付き添いに行ってたらしく家には誰もいませんでした。僕は畳の部屋で寝ころんだ途端寝てしまいました。途中大矢君のものすごいイビキに何度も起こされましたが結構グッスリ寝ちゃいました。

その間に飛行機で到着予定の浜野さんとあやちゃんを江口となべが迎えに行ってたらしくあやちゃんのやたら元気な声で目が覚めました。実は台風の影響で飛行機が飛ぶか飛ばないか微妙だったらしくしかも飛んだはいいが、やはり風でものすごい揺れたみたいで彼女はすっかり恐怖でやつれてました。僕が今まで見たあやちゃんの中で一番やせていました。

そんなこんなで、ついに今回ツアーの主役10人が勢ぞろいしました。

つづく。


2003.08.29 - 神戸、長崎捨て犬日記(第八話)

第八話:馬鹿猛者との出会い

浜野さんとあやちゃんが到着後、けんぢまんの家の食卓でみんなでワイワイガヤガヤ談笑をした後、明日のライブの音響機材を借りに長崎市へと車3台で向かいました。今回の旅で不思議だったのは、長崎に着いてからけんぢまんが道をよく間違えること間違えること。「お前地元やろ!」と何回も突っ込みを入れたくなりました。音響機材を取りに行くまでにも道を間違えて、機材屋さんに遅刻して怒られてました。

機材を積んだ後、明日のセッションのリハーサルをしに、長崎駅近くの港に行きました。そこで長崎限定の練乳入りジョージアコーヒーを自販機で買い、みんなでウンチクをたれた後、リハ開始。けんぢまんはまるで違いのわかる男「宮本亜門」のようにアイディアを出しステージの演出をしていきました。そこで一つ必殺技をも編み出し、準備万端。無事リハを終了しました。

リハ後、今回のライブの地元でのコーディネイトをしてくれた人のやたら魅力的なお店に挨拶をしに行きました。場所は長崎思案橋近くの繁華街にあり、僕的に長崎の「夜のお姉さん」もたくさん見物できて嬉しかったです。長崎の「夜のお姉さん」達は「夜のお姉さん」ってこうじゃなきゃって感じの人たちが多く、マニアとしては納得のいくウオッチングをさせて頂きました。

そんなすっかり満足した気分で僕らは諌早に引き返しました。時間は夜10時近く。こんな時間にもかかわらず、なんと長崎のりぶさんのお友達達が僕らのために歓迎会を用意して待っているとのこと。

諌早に着き、駐車場に車を止め、居酒屋の階段を登り、扉を開けるとそこには信じられないくらいたくさんの、りぶさんのお友達達が待っていた。。。。。いや待ちかまえて(笑)いてくれたのでした。そう彼等こそが、あの長崎天然記念物に指定されている「馬鹿猛者」達だったのです。

つづく。


2003.08.31 - 神戸、長崎捨て犬日記(第九話)

第九話:馬鹿猛者との宴

それは、なぜか総立ちの「連続乾杯3連発」から始まった。

普通初対面の人間が、しかもうちらのようなわけわかんない風貌の連中が来た時は、のぞみ会館の受け付けのオジサンのように少しは警戒するもんですが、そこにいた馬鹿猛者達は男も女もみんなフレンドリー、とにかくフレンドリー。いきなり目の前で服を脱ぎ背中の毛を自慢する奴はいるは、トイレにいかず窓から立ちションどころか連れションするは、RMS連中をそれぞれオリジナリティあふれる名前で呼ぶは、ひたすら同じことをくり返し演説してる奴はいるは。気がつくと殴り合ってるはそこはなぜか瞬時に無法地帯と化していました。

こうなるとうちらもすっかり打ち解け、終始笑顔で歌を歌ったり、大声を出したり、もう完全に噛みつかれてゾンビになってしまったかのように全員馬鹿猛者化してました。

この宴の中で僕が嬉しかったことの一つに森亮介著「馬鹿猛者」の登場人物達に実際に会えたことがあります。これって考えてみるとドカベンに出てくる岩鬼や殿馬に合うくらい自分にとっては凄いことで興奮しました。また本に出てくる連中は期待を裏切らず実物もめちゃめちゃ面白いんだよね。

宴が進行していくうちに諌早名物「暴力」もしだいに激化してきて「こっれて暴力教室よりすげえ」と思っていたらだんだん眠くなってきました。たぶんこのままだと巻き込まれて危険と察知した僕の体が殻に閉じこもる亀のように本能的に眠れと信号を出したのでしょう。いつのまにか「バキッ」とか「ゴツッ」とかあまり聞きなれない音のするなかスヤスヤと眠りにつきました。

しばらくしてふっと目を開けると目の前で座りながらゆらゆら揺れている江口の頭にけんぢまんと森君キックしてる光景が飛び込んで来て目が覚めました。いつのまにか深夜3時くらいになっていて宴も終わりとなりました。

楽しすぎたのでほんとは朝までいったれー!つうくらいみんなの勢いはまだあったのですが、そこは実は優しい馬鹿猛者連中は明日の僕らのライブの体調を考えておひらきにしてくれました。

「んじゃあ明日ねえー!」とみんなに挨拶して明るくお別れしました。

りぶさん二人が音楽仲間を連れてくるということで、きっと忙しい中予定をつけて馬鹿猛者達は集まってくれたのだと思います。しかも宴の後もすぐ、明日のライブにたくさんの人が来るように方々に連絡してくれたそうです。慣れない土地に来た僕らにまったく気を使わせず、あんなに楽しい宴を用意し、歓迎してくれた心の暖かい馬鹿猛者達に心から感謝します。マジ楽しかったのだ。

つづく。


2003.09.04 - 神戸、長崎捨て犬日記(第十話)

第十話:江口家の夜

馬鹿猛者達との宴が終わり、けんぢまんの家に泊まる組と江口の家に泊まる組とに別れることになりました。

ここで問題になったのは「誰が江口の家に泊まるか?」ということでした。と、言うのもけんぢまんに以前から「江口のお母さんってものすごい恐いんですよ、子供の頃めちゃめちゃ怒られました。」という話をRMS連中全員が聞かされていて、すっかりそのイメージが定着していてきっとみんな江口の家に行ったらお母さんに「ウチの息子を悪い道に誘いこんでからにい」と怒られるのではないかと思っていたのです。しかも時間はすでに夜中の3時過ぎ。こんな非常識な時間にお邪魔するという最悪の状況。

「まあ、でもここは僕が代表して泊まらせてもらうか」とそんな事を考えながら車を走らせていると、浜野さんから僕とは違う車に乗っていた優ちゃんがあまりに今回の宴のテンションの高さにあてられ、具合が悪くなってしまったと連絡がありました。そんなこんなで僕と江口を残して優ちゃんの介抱するという名目上ほとんどの人間がけんぢまんの家に行ってしまいました。

きっとこんな時間だし、江口のお母さんも寝てるに違いないということで家に入るとなんとお母さんはわざわざ起きてきてくれて布団を用意してくれました。もうその時は心の中で「絶対怒られる、絶対怒られる」とビビッていましたが、何事もなく寝床につくことができました。

僕らが泊まるように2部屋用意してくれていたので、これではあまりに申し訳ないということで、一番怒られそうもないキャラクターのなべに来てもらうことにして、けんぢまんの家から浜野さんに車でなべを届けてもらいました。そんなわけでその夜は一人一部屋を使って僕となべは期せずして伸び伸び眠ることができたのでした。

翌朝、江口のお母さんはなんと、怒るどころか朝ごはんを用意してくれていました。いなり寿司やひやむぎ、長崎名産のかまぼこなどほんとはもっとたくさん泊まると思っていたのですごい量のごはんを用意してくれていました。江口は先日亡くなった友人のお墓参りに朝早くから出かけていたのでそのすごい量の朝食を僕となべの二人だけで美味しくいただきました。

朝食を頂きながら江口の小さい頃の話や諌早の話をお母さんにたくさん聞かせてもらいました。「なんだ、すごい優しい人じゃないか」と安心して、非常にリラックスしたいい朝のひとときを過ごすことができました。

考えてみると、昨日の宴から想像して馬鹿猛者達は小さい頃もっと手が付けられなかったはずなのでそんな連中を相手にするんだから大人としてそりゃあ恐くもなるんじゃないかと思いました。今だに連中は江口のお母さんを恐れているのが逆にほほ笑ましいと思いました。

つづく


2003.09.08 - 神戸、長崎捨て犬日記(第十一話)

第十一話:長崎ライブの日

朝食を食べ終わった頃にお墓参りから江口とけんぢまんが帰って来ました。ごはんがたくさんあるので、家にあがって食べていきなさいという江口のお母さんの誘いをかたくなに拒否をしてけんぢまんは玄関から一歩も家の中に入らず、お母さんに差し出された麦茶をすごい勢いで一気飲みして、僕となべを連れ出しました。

そこからけんぢまんの家に向かい、みんなと合流しました。そこで初めてけんぢまんのお母さんとお会いしました。あー、けんぢまんのお母さんっぽいなあという優しい感じの人でした。お父さんが手術で入院してる大変な時にもかかわらずうちらの面倒を何かとみてもらって大変申し訳なかったです。

まずはライブ会場には直接向かわずに僕らが訪れたのはそう「のぞみ会館」でした。すっかりそこは僕らの旅のオアシスと化していました。僕は湯船に入る前に必ず頭と体を洗うので僕は気持ち良くルンルンいいながらシャンプーをしていました。そしてシャンプーの泡を洗い流そうとしていると、流しても流しても泡が切れません、「長崎のシャンプーは泡切れが悪いぜファック」と思いながらもずっとお湯を頭からかけていましたが、切れるどころか泡がどんどん増えていくばかり終いには溺れそうになったところで頭上からO-chの爆笑が聞こえてきました。そうです、僕が頭を洗い流している間中彼はずっと僕の頭にシャンプーを垂らし続けていたのでした。どうやらお風呂の中の僕はみんな苛めずにはいられないみたいです。

またすっかりブルーになりましたが、落ち込んでる僕を江口が励まそうとのぞみ会館の展望台に連れってってくれました。今日はめちゃめちゃいい天気で、しかもそこから諌早の町並みとその街を囲む美しい海が一望できて最高でした。「はっとさん、あれがさだまさしの島っすよ」と江口が教えてくれて、さらに感動しました。機嫌もなんとか直りました。

そしてRMS一行は本日の長崎ライブの会場「スターダスト」へと向かったのでした。

つづく。


2003.09.21 - 神戸、長崎捨て犬日記(第十二話)

第十二話:長崎ライブ直前

今日は長崎に原爆が落とされた日8月9日で、式典などの道路の混雑が予想されたが、意外とスムーズにライブ会場「スターダスト」に到着しました。実はレンタカーのドアが今朝からなぜか開かなくなっていて、中に入れた機材が出せるかどうか心配でしたが、現地に到着するとドアが開かない原因が判明して、すぐに開けることができ機材も無事取りだすことができました。原因は昨夜僕が密かに車を縁石にぶつけて、ちょっとへこんだ部分がドアにひっかかっていただけでした。怒られそうなので、みんなには今まで黙っていました。

会場に入るとそこはなんだか「大人のラウンジ」という感じのやたら広い、僕らのイメージとはかけはなれた、そんな雰囲気のお店でした。

3階でエレベーターもなかったので、全員で協力して機材を会場まで運び上げました。会場の椅子やテーブルなどの配置もお客さんの見やすいように配置替えをすばやく行いました。こうい機動力はRMSの一つの特徴で、ただ演奏するだけでなく、全員がステージに関する裏方の作業もきちんとやれるのです。これは数々のライブイベントを自分たちで立ち上げて来た経験からくるものでおそらく、こういうミュージシャンの集団は珍しいと思うし、大変貴重だと自分たちのことながら思います。音響に関してもスタッフ入らずで、配線からオペレートからちゃんとできる人間までいます。今回は浜野さんとO-chが音響を担当しました。

ステージの準備も終わり、リハーサルを開始しました。いざ音をだしてみると、借りた機材もいいし、会場もかなりいい響きかたをする箱だったので、「これはちょっといいライブができそうだぞ」とその時思いました。リハーサルをしている間、けんぢまんの指示の下チラシの準備をしたり、それぞれのCDの販売の準備をしたりしました。

なんとその間、外では、昨日歓迎会に来てくれた馬鹿猛者連中が本日のライブのチラシを配ってくれていたと聞き、まじで感動し、さらにライブに向けて気合いが入りました。

なんと会場に一番のりで来てくれたのは、あの「江口のお母さん」でした。今朝の食卓で、僕となべに、江口がまさか音楽の道に進むとは思っていなかったらしく「末っ子なので甘やかしたせいかしら」と言っていた、そんなお母さんが真っ先に来てくれたのです。何だかんだ言っても初めて見る息子の晴れ舞台、きっといろんな意味で感慨深く、楽しみにしていてくれたのだと思います。それは江口のお母さんだけでなく、けんぢまんの親もそうだろうし、馬鹿猛者達にしても、みんな同じ気持ちだったに違いありません。

たくさんのお客さんが会場を埋め始め、その中には昨日一緒に盛り上がった連中の顔もあり、さあ、いよいよ本番の時間がせまって来ました。すべての気持ちに応えるそんなライブをしたい!僕やRMS連中のテンションも最高潮。

楽屋でけんぢまんの音頭で円陣をくみみんなで気合いを入れ、楽屋のドアを飛び出しました。

つづく。


2003.09.25 - 神戸、長崎捨て犬日記(第十三話)

第十三話:長崎ライブ本番

まずは出演者全員による「はりきってまいりましょう!」からスタート。ボーカル江口、ハープけんぢ、ギター浜野&O-ch&あやちゃん、ベースほっしーパーカッション大矢、タンバリンなべ、そしてサンバホイッスルが僕でした。

いきなりハイテンションなオープニングに、あまりライブを見る経験の少ない人が多数をしめる会場は少し引き気味。しかし、うちらには、なぜだか知らないが、この長崎でのライブは必ず成功するという根拠のない自信があったので、引き気味の会場もなんのそのそのまま各出演者のライブへと突入していきました。

いきなり会場をリラックスさせたのは、なんと言ってもねこ団ポーズ「お。れ。た。ち。ねこ団。ニャー!」長崎の人はいい人ばかりで、ほとんどの人がねこ団ポーズを決めてくれました。ねこ団のステージは長旅の影響か昨日の飲み会の後遺症かなべの声がガラガラの状態でしたが、新曲を中心とした気合いの入ったステージで会場を湧かしていました。なべとは対照的に旅の間ずっと寝ていたほっしーのベースは冴えまくっていました。

次に登場したのがO-ch。実は今回のメンバーの中でも一番感受性の鋭いと僕は思っているこの男。こんな暖かい気持ちいっぱいのステージで悪い演奏をするわけがないと思っていましたが。見事に気持ちと魂がこもった心にズバン!と来るそんなステージをやっていました。

そんで大矢修司。今回なぜか彼の歌を聞いていて何度も泣きそうにになりました。心から嬉しそうな顔で演奏する大矢。そしてもう数えきれない回数聞いたはずの歌なのに、なぜかこの時の歌はいつも以上に優しく胸に響きました。そうさせたのは間違いなく今回のツアーで出会った人々のおかげだと思います。

高橋あや子、控え室で一番緊張していたのは間違いなく彼女です。僕は次が出番だったので控え室で彼女のステージの様子を音でしか聞くことができなかったのですが、「よしよしいいステージやってるじゃん」と思うほど、会場のいい感じの笑い声などが聞こえて来て、やっぱさすが本番に強いな彼女はと思いました。

そんで僕と浜野さんによるSWAMPSのステージ今までの出演者のステージがとても良かったので正直緊張してしまいましたが、ふっと目の前を見ると馬鹿猛者の著者の森君が油断した顔で座っていたのでそうだ彼の力を借りてしまえと突然ひらめきほとんど後半はSWAMPS&森亮介ライブのような感じになってしまいました。素晴らしいダンスをありがとう森君。そして馬鹿猛者達もありがとう。

そんでいよいよ今回のツアーの本当の意味での主役「りぶさん」の登場!

つづく。


2003.09.30 - 神戸、長崎捨て犬日記(第十四話)

第十四話:長崎のりぶさん

そんでいよいよりぶさん登場!りぶさんにとって、長崎での本格的ライブは4年ぶり、友人の結婚式やお祝い事では歌うもののほとんどの人たちがアーティストとしての彼ら二人のライブは初体験という状況でした。

そんな中彼らのステージは始まりました。馬鹿猛者達も前の方に集まり、何となく昔学生の頃文化祭などで経験したライブの思い出が蘇るようなほほ笑ましい光景でした。幼なじみや親族などの見守る中、果たしてやりやすいんだかやりにくいんだかわからないけれども、やっぱりいつも以上のエネルギーや輝きの中ステージは進行していきました。後半昔のバンドメンバーがゲストで参加したり、昔からよく演奏していて馬鹿猛者連中もよく知っている曲をやったりと現在進行形の彼らだけれども、当時にタイムスリップしてなつかしい思い出を振り返りながら演奏を楽しむそんな場面もありました。

今回の旅、そしてこのりぶさんのライブで僕が彼等とのつきあいの中で謎に思っていたことが幾つかあきらかになりました。湘南近辺でライブをやる時に「遊び心」という曲をりぶさんが頻繁にやるのを長い間なんでだろう?と思っていました。おそらく随分前に作った曲だと思うし、曲の完成度から言えば最近の曲の方がずっと高いと個人的には思うのだけれど、何かにつけて彼等はこの曲を演奏したがるのです。

今回の長崎ライブでの「遊び心」は楽しいはずのあの曲がめちゃめちゃせつなく聞こえました。そうか、この曲はずっと自分達の決意として歌ってたのではなく、馬鹿猛者達を思いながら、「俺達もがんばってんだから、お前等もがんばれよ」ってメッセージを込めながら歌っていたんだということがわかったのです。まるでバラードを聞くように前の方に集まった馬鹿猛者達がこの曲をじーっと噛みしめている姿がすごく印象的でした。

けんぢまんと飲み屋なんかで話していて、よく意見が対立することの一つに、「売れる、売れない」の話があります。僕は売れようが売れまいが、音楽を続けていくことが、続けていけることこそが重要だという話をするんだけどけんぢまんは「絶対に売れないと僕は嫌です!」といつも僕にからんで来ます。あんだけ暖かい長崎の連中が「がんばれよ」って気持ちを込めて送りだしてくれているし、成功を望んでいる中そりゃあ、長崎まで届くような成功のニュースを届けたいと思わないわけないよなあ。今回一度しか長崎の人たちの前で演奏してない僕でさえ強くそういうふうに思うようになりました。

僕らの成功を望んでいるのは長崎の人達ばかりでなく、身近にも、そして全国にもいます。そんな人たちへの感謝と大きなプレゼントの意味も込めて近いうちに大きな結果がだせるといいなあと強く思います。そしてりぶさんや今回旅に参加した連中、そして参加はしなかったけれどいつも一緒にがんばっている仲間達といつまでも素晴らしい音楽を続けていけたらいいなあと思うのです。

長崎ライブの最後はまた全員参加による「ハイになってGO!」そしてアンコールの「橋の上に座って」でしめくくられました。極限までがんばったけんぢまんは楽屋で倒れ込みそしてて僕らは全員で握手を交わしライブはかげないのない素晴らしい空気の中終了しました。遠くからわざわざ駆けつけてくれたお客さんも何人かいてそんな人達にも大変感謝しています。

最後に練習の時にけんぢまんが編み出した「バウンドエンディング」はあまり反応がよくなかったので、次回の長崎ライブまで封印されることでしょう(笑)。

つづく。


2003.12.13 - 神戸、長崎捨て犬日記(第十五話)

第十五話:(無題)

(久々の更新でごめんなさい。が、しかし僕の記憶力の凄さにみんな驚愕することでしょう。)

無事ライブが終了後、音響機材を階段で「えっちらおっちら」出演者全員で下に降ろし車に詰め込んだり、会場の椅子やら机やらを元の位置に戻し、スターダストを後にしました。

思案橋近くのビルに寄り、借りていた音響機材を返却しました。その時手伝いに出てきた人たちが、みんなパンチパーマだったり角刈りだったりする人たちだったので、いったいけんぢまんはどういう所から音響を借りたのだろうと心配になりましたが、別にからまれることまなく無事に返却し終えました。

その後、本日も馬鹿猛者達が打ち上げを開いてくれるということで、昨日歓迎会をやってもらった諫早のお店へと向かいました。まさか昨日の今日でしかもライブも見に来てくれた馬鹿猛者達は疲れてあんま来てないだろうと思い、店のに入ると。「ふ、増えてる」

昨日よりもさらに多い人数の馬鹿猛者達が待ち構えていてくれました。しかも昨日よりも女性の数も増えている。もうなんか、すっかり嬉しくなってしまいました。

宴会は昨日よりも落ち着いたテンションでした。山本君も森君もさすがに疲れたのか普通の人になっていました。なんと馬鹿猛者達は、僕らRMS連中のために長崎チャンポンのおみやげまで用意してくれました。

はっきり言って、歓迎会やライブ、そして今日の打ち上げと、楽しいことばかり僕らは経験させてもらっているし、きっと馬鹿猛者達も日々の忙しい中集まってくれたりしているのに、さらにこんな、おみやげまでもらっていいのだろうかと申し訳ないとも思いましたが、なんかすごく感動してしまいました。

宴会の途中、大矢修司が例の得意技「必殺バルーンアート」を始め、長崎ギャルのハートをゲットしていました。バルーンアートができない僕はただ呆然とその光景を見ているだけでした。しかし馬鹿猛者の回りは可愛い女の子ばかりで羨ましいなあと思いました。やはり強い男の周りにはいい女が集まるのかなあ?と思い、湘南に帰ったら体を鍛えようと決意する僕でした。(決意だけで終わりました。)

そして、まだまだ飲んでいたかったのですが、みんな明日の仕事もあるいということで、打ち上げはお開きになりました。それでも3時でしたが。最後別れる時、馬鹿猛者達が手でアーチを作ってくれました。でもこのアーチ、けんぢまんの日記等で、非常に危険なアーチだと知っていたので、「湘南に無事帰れないかもしれないな」と一瞬思いましたが、さすが心の優しい馬鹿猛者達、素人の僕らはそのまま通してくれました。

なんか、みんなにサヨナラという瞬間、めちゃめちゃ寂しくなってしまいました。考えてみるとたった2日間の出来事なのに昔からの友人と別れるようなそんな気持ちになりました。ありがとう馬鹿猛者達。また来るからね。

なぜか家に帰れない馬鹿猛者達のサンドバック「ゲンちゃん」だけ僕らについて来ました。またほとんどがけんぢまんの家に泊まりましたが今日も僕は江口の家に泊まらせてもらうことにしました。今日は僕だけでなく浜野さん、あやちゃん、優ちゃんも一緒でした。今日は二日目だったので江口のお母さんはもう恐くありませんでした。

つづく。


2003.12.15 - 神戸、長崎捨て犬日記(第十六話)

第十六話:最終日の朝

そして夜が明け長崎を旅立つ日になりました。実は僕の父方の祖父母のお墓が長崎市内の寺町にあり、今回の旅のついでにどうしてもお墓参りがしたかったのですが、この2日間は超過密スケジュールだったので行く暇がありませんでした。

なので、この日朝6時に起き(ちなみに昨日寝たのは4時)、長崎市内へのナビをさせるため江口も叩き起こし、お墓参りに出かけました。江口にしてもけんぢまんにしても、頼みごとによるとは思うが、こっちが真剣にお願いしている事に関して、いつも嫌な顔一つせずつきあってくれるので本当に有り難く思う。

江口と二人で夜明けのドライブは、すごい快晴で、しかも空気も気持ちよく、なんだか非常に清清しかったです。市内までの道中、カーステから某宗教番組が流れていて、二人でそれを聞きながら、「なかなかいい事言うねえ」なんて感心したりしましたが、今となってはすかっりその内容は忘れてしまいました。

寺町に着くと、その町並みが非常に風情があり、なんか早起きしてこんな所に来ましたが、すごく得した気分になりました。もう随分長い間お墓参りには来てなかったのですが、お墓のあるお寺に近づくにつれ、僕の記憶の扉が開かれ、すぐにお墓も見つけることができました。きっと汚れてるから掃除をしようと思って来ましたが、なぜかお墓はピカピカで周りにあるどの墓よりも綺麗にされていてびっくりっしました。

たぶん長崎にいる親戚がまめに掃除してるんだろうなあと、またもや感心しました。先祖を大切にする気持ちは、僕自身も強く、無宗教の僕は(神様は信じるけどね)先祖にきっと守ってもらってるんだろうなと常に思って生活しています。だから今回大好きな仲間と長崎に来れて、しかもこうやってお墓参りまで出来たことをすごく嬉しく思うし、胸を張って僕はおかげさまで元気ですと報告できて本当に良かったなあと思いました。

墓参りも終わり江口の家に戻り、寝ている浜野さん達を起こし江口のお母さんの用意してくれた朝食を頂きました。最初寝ぼけて不機嫌そうだった優ちゃんも次から次ぎと出てくる朝食とは思えないごちそうに、あやちゃんと二人でキャーキャー言いながら食べていました。

朝食を頂きながら、江口のお父さんともいろいろお話をさせて頂きました。非常に柔和な表情でいろんな話を聞かせてくれました。当初きっと叱られると思っていた江口家の日々も大変よくして頂き本当に感謝しております。

湘南に帰ってから、お世話になったお礼に野呂さんのお店で鎌倉山納豆を買い江口家と小川家に送りました。そうするとちゃんとお礼状まで返って来ました。りぶさんの二人が普段おちゃらけているようでも、人望が厚く思いやりが感じられるのは、やはりこういう両親のルーツがあるからなんだろうなあと思いました。

江口のお父さんお母さん、そしてけんぢまんのお父さんお母さん本当にお世話になりました。こっちの二人は悪い道に逸れた時は僕が叱りますので安心して彼等の成功を祈っていて下さい。

つづく。



SWAMPS unofficial site
http://rj-chaos.sakura.ne.jp/swampyhatto/

Copyright © 2001- SWAMPS/HATTO & Rj. All rights reserved.