created: 2003.09.08
†出発/通過/帰着点の標高はおおよそです。 |
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今回は有名な吉田口からの登山。と言っても、多くの人は車やバス等で富士スバルラインの五合目まで行き、そこから河口湖口の登山道を通って吉田口六合目まで来ちゃうのですが、私は下から。「馬返」という、昔は馬でここまで来たんだろうなと思わせる所を出発点に選びました。もっと下の富士浅間神社から登った方が「下から登ったぜ!」と威張れるような気もしましたが、馬返発着と較べて往復で計四時間程余分に掛かりそうです。それだと時間的にも体力的にも日帰りは厳しそうなので、今回は省略。
富士浅間神社東で国道138号を逸れ、時折正面に吉田口登山道沿いの山小屋の明かりを見ながら車で登ります。正面から見るとこんなにいっぱい山小屋があるのかと思わされまくり。「中の茶屋」手前で一瞬道が途切れてるように錯覚しますが、左の綺麗な舗装路(滝沢林道入口)を無視してそのまま真っすぐ進みます。やや荒れてはいるものの、一応舗装路が続きます。あ、うさぎが道を横切った。
午前四時頃、馬返下の駐車場に到着。まだ真っ暗で、六等星まで見えそうな満天の星空を久々に堪能しました。おお、もうオリオンがあんなに昇ってるや。あっ、流れ星!そんな感じ。駐車場には他に一台だけ車があり、車内灯を点けたまま誰かが寝ているようでした。この後富士山に登るのかしらん。
午前五時、朝食やトイレその他の準備を済ませて出発。最初は舗装路を登ります。一瞬で階段になり、やがて鳥居が見えて馬返。そこからは土(や、敷石)の登山道になりました。昭和三十九年だか何だかの富士スバルライン開通前は多くの人がこっちからも登ったんだろうなあ、などと思いつつ先へ進みます。富士登山にあるまじきと言ってしまうと言い過ぎですが、まあ比較的希薄な樹林帯の中の道です。
こないだ御殿場口から登った時には上の方でややへばってしまったので、今回は努めてゆっくり歩くことにしました。道は幅広く、最近整備されたとかで歩き辛い箇所もあまりありません。気持ちのいい朝の森の中を、ちんたらちんたら登ります。若い山なので植物相が単純だと言えばその通り、しかし、火の山はこうして森に覆われて行くんだぜ、といった植物の気合いを見るようで頼もしいと言えば頼もしい。
十五分程で一合目に到着。鈴原天照大神社とか書いてありますが、ただの廃墟にしか見えません。昔はここでみんなお参りしたのでしょうか。今の私はさくっと通過。またちんたら登ります。一合目から四十五分程で二合目に到着。そこにある廃墟は、御室浅間神社だそうです。
當本殿は慶長十七年の建立にして桃山時代の豪華なる建築様式を示し貴重な文化財として鑑賞保護するものである
という古びた木の案内板が立っていましたが、ただの廃墟にしか見えませんでした。ごめん。因みに、江戸時代まで、ここから先は女人禁制であった
そうです。
一合目、鈴原天照大神社。 |
樹林帯の中の登山道。 |
二合目、御室浅間神社。 |
二合目から三十分弱で三合目に到着。ここは見晴し茶屋と言って、以前は三軒の茶屋があったそうです。今あるのは二つの廃墟と幾つかの木製ベンチのみ。景色も、木が育ってしまって今一つでした。更に三十分弱で四合目。ここも廃墟でした。普通の建物(のカス)の他に、小さな祠の廃墟もありました。
三合目の廃墟。 |
今は見晴らせない。 |
四合目の廃墟。 |
四合目から十五分程で、「五合目」という表記のある山小屋に到着。御座石という石があります。閉まっていたので一瞬また廃墟かと思いましたが、夏期は予約をすれば宿泊も可能な山小屋のようです。ここは景色のよい所でした。五合目と書いてありますけど、気分的にはまだ四合目くらいです。
オオサワトリカブト? |
「五合目」御座石。 |
小屋前のけしき。 |
廃墟を幾つか見送りながら登っていくと、やがて綺麗に舗装された林道に出ました。夜明け前に車でその入口を見送った滝沢林道です。ここへ来て、やっと目指すべき富士の頂が見えました。山頂に向かって右の方を見ると、富士スバルラインの終点らしき所(にあるという観光施設)も見えます。ふーん、富士登山者の約半数(年間、と言っても主に七月と八月の二ヶ月間で約十五万人)はあそこから登るんだ。へー。私は行ったことありません。富士宮口の方(表富士周遊道路/富士山スカイライン:昭和四十五年完成)の五合目へは遊びに行ったことあるんですけどね。
林道を短絡する踏み跡もあるようですが、景色を見がてらヘアピンカーブを一つ登ります。すると、また林道を短絡する道があります。赤い鳥居があるので見落とすことは無いでしょう。そこから登山道へ入り、再び滝沢林道と出会う所に五合目の標識(比較的新しいもの)がありました。でもこの標識、標高の数字が随分不正確に思えるのは気のせいでしょうか。っつーか、大嘘?因みに林道はここで通行止めのゲートが閉まっていましたが、もっとずっと下の方で一般車両は進入禁止となっているそうです。【山梨県警:富士山(交通状況等)】
そこからちろっと登った所にあるのが佐藤小屋。冬期、雪上訓練の拠点として使われることの多い山小屋だそうです。周辺にはそれに関連する注意やら何やらが見られました。ここまで、御座石から三十五分程。そのすぐ上には星観荘という山小屋があります。六合目と書いてあります。そして、七合目まで約59分
だそうです。どこを指して七合目と言っているのか不明ですが、七合目と書いてある山小屋のうち一番低い所へも私の脚では一時間を切るのは難しいと思われます(その区間だけ、空荷で歩くなら別ですけど)。因みにこの星観荘、宿泊料金は一泊二食付きで7500円(週末は8000円)だそうです。吉田口登山道沿いにある殆ど全ての山小屋では7000円なので、反骨精神溢れる経営方針と言えましょうか。
滝沢林道手前の廃墟。 |
佐藤小屋。廃墟に非ず。 |
経ヶ岳付近の廃墟と富士。 |
この辺から先は、じゃりじゃりの火山礫を登ることになります。高い木も徐々に減り、多くの富士登山者が回想するであろう「富士山っぽい道」となりゆく訳です。経ヶ岳というあまりピークには見えない場所付近にある六角堂というらしい六角のお堂の脇を通り廃墟を二三見送って、樹林帯が終わると六合目の富士山安全指導センターらしきものが見えました。佐藤小屋から約三十分。上には富士の頂、下には山中湖やら河口湖の一部が見えます。午前九時、晴天。あちい。日焼け止めを塗り直しました。
安全指導センター? |
見下ろせば山中湖。 |
よく見えないけど河口湖。 |
そこな烏の写真を撮ったり水分等を補給したりして、出発。安全指導センターらしきものの脇から五分程登った所にある山小屋は閉まってました。廃業したのか、来期までの休業期間に入っただけなのかは不明。その先、石垣の積まれた幅広いジグザク道を登ります。じゃりじゃりだけど、御殿場口登山道程には歩き辛くありません。恐らく、ここが噂に聞く「馬の登る道」なのでしょう。なら馬糞があるはずだと思って登っていくと、ありました。馬糞。あはは。
なんて思っていたら、下からすごい速さで追い上げてくる未確認生物が居ます。とても人間業とは思えません。よく見たら人間の母子を載せた馬でした。しかし驚くべきは、馬を引いているにいちゃん。馬と同じ速度でがしがし登って行きます。私がすぽーつさんだるで高尾山をムキになってがしがし登っていく時のような速度です。ここはもう標高2500mを超えているはずなのに。荷物が無いとは言え、やっぱり慣れている人は違うなぁと思わされました。
ずんずん迫って来て、 |
一瞬で私をぶち抜き、 |
あっと言うまに去るUMA。 |
やがて道は変わります。よく整備された幅広のだらだら道のおしまいで、馬の旅もおしまい。馬を引いて来たにいちゃんや馬に乗って来た母子に追い付き、軽く雑談しました。富士スバルライン終点からここまで、五十分くらいで来たそうです。普通の人が歩くと一時間半くらい掛かると思われますので、倍近い速さですね。たいしたもんだ。ということで、このにいちゃんは強者に決定。因みにお値段は幾らなのか調べてみたら、12,000円という情報がどこぞにありました。おかねもちののりものだ。ということで、この母子はお金持ちに決定。(後者は短絡的すぎ。。。)
馬の終点から先は岩場が現れます。観光客のひとはここで少々びびるのでしょう。しかし、山登りをするひとにとっては特に問題無いと思われます。強いて言うとすれば、斜度が半端なので手を使うには緩すぎ/脚だけで登るにはきつい、という点が問題と言えば問題。まあ、ゆっくり行きましょうか。あそうだ、馬で来た母子がこんな時刻から山頂を目指すのかどうかちょっと気になったので、訊いてみました。行くつもりだそうです。で、今日のうちに五合目へ戻る予定だそうです。もうすぐ午前十時。速い人なら余裕で行って来られますが、ゆっくりな人だと日没が際どくなる時刻です。懐中電灯は持ってないと言うし。
おせっかいとは思いながらも、登山経験の有無を訊きました。おかあさんは子供の頃に羊蹄山(蝦夷富士:標高は諸説あり、webで「羊蹄山 蝦夷富士 標高」を検索語として調べたところによると1898m/1893m/1893mmといった具合で、ものすごい幅があるもよう。)へ登ったことがあるそうです。こどもは水泳とかサッカーとか何とかとかいろんな運動をしているとのこと。あ、水泳はいいですね。えーと、息が苦しくなるのが一番問題だと思いますから、初めはゆっくり登るといいですよ。健闘(検討?)を祈りつつそう言い残し、お先に失礼しました。
すぐ上に山小屋。七合目花小屋だそうです。ここから先、頻繁に山小屋があります。そして、七合目に入ってから八合目を抜けるまでが長い。さっき七合目に着いたと思ったら次も七合目で、その次もまたその次も七合目。やっと八合目に着いたと思ったらやっぱり次も八合目で、その先も更にその先も八合目といった具合。山小屋多過ぎ、七合目と八合目長過ぎ。ここら辺、東名自動車道で静岡県を走っている時のような気分、と言えば分かる人には分かるでしょうか。静岡県に入ってから延々と静岡県が続き、「まだ静岡なのかよ!」となってしまうアレです。「七合目」とか「八合目」とかいうのは、「点」であって欲しいのにな。「本八合目」とかいうややややこしいものまで含めると、七合目の一番下から八合目の一番上まで三時間近く掛かりました。(八合五勺は更にその上です。)
トモエシオガマ。 |
フジハタザオ。 |
七合目、富士一館。 |
途中追い越した人達の中に、専門学校生らしき五人の集団がありました。一人遅れてる。ちょっと化粧が派手だけど可愛い女の子。歩きながら少し話をしました。富士山に来るのは二度目だそうです。一度目は、小学校二年の時に八合目まで来たとな。その時のことはあんまりよく覚えてないそうです。でも、歩き方はそのグループの中で一番よく知っているようでした。上に行くと、へばりきった彼女の仲間四人がそこらでへなへなしてました。みんな、彼女のペースで行けば確実にそしてもっと楽に登頂出来るのにな。わしゃわしゃ登って長めの休憩を取るよりも、ちんたらちんたら登り続ける方が楽です。本八合まで頭痛とか吐き気とか無しで登れたら、ほぼ確実に頂上まで行けるよ。そう励まし、八合目辺りで別れました。
イワツメクサ。 |
どれが亀岩やら。 |
八合目、白雲荘。 |
さて、話を自分の登山に戻します。長い長い七合目から八合目。逆に言えば、この長ったらしい山小屋過密区間を越えてしまえばもう山頂は目と鼻と口の先。東名を東に向かっている時に喩えると、神奈川県に入ったようなもんです。見上げれば山頂下の鳥居かな。本八合目で須走口登山道と合流します。前回ここを登った時は、知人の引率でゆっくりゆっくり登りました。今回は、自分のペースでちんたら登ってみることに。
ということで頂上アタック開始。時刻は午後一時ちょい前。夜明けに馬返を出発してから、既に八時間近く経っています。が、前半に体力を温存しておいたお陰で、そんなにへばってませんでした。やや歩きにくいざれざれの道も、こないだの御殿場口上部に較べれば遥かに歩きやすい。一歩一歩、確実に頂上への距離を詰めて行きます。四十五分程掛けて九合目の鳥居へ。あまり長くない鎖に繋いでジーンズのベルト通しにぶら下げた懐中時計入り記録写真を無理な体勢で撮っていると、ちょっと前に何となく追い抜いたはずの夫婦の夫さんが空荷で追い付いてきて、写真を撮ってくれと私に頼みました。ここまで登ったという証拠に、だそうです。え?あれ?元気そうなのに、上まで行かないんですか?どうも、妻さんの方が「もうダメだ」状態らしい。残念ですねえ、ホントにあとちょっとなのに。
九合目まで来て登頂放棄なんて悔しいでしょうね。そんな場所の証拠写真を撮ったところで、達成感は無いし他人に威張れもしないでしょう。それでも、この辺りで挫折する人は少なからず居るようです。ここまで意識絶え絶えになって登ってきたんならともかく、普通に会話の出来る状態の人なら(時間さえ許せば)「後は気合い!」で行けることが多いだろうにな。ま、でも、元気に下りられればまた改めて挑戦することも出来ますか。無理や無理強いは禁物。
挫折時のお帰りはこちらから。 |
本八合目より山頂方面。 |
九合目。がにまたで登ります。 |
最後の標高差百数十メートルを、一歩一歩ゆっくりと登ります。もう、「ラストスパート」を掛ければ登りきれてしまうような短さです。でも、私は下りが長いのでゆっくり行きます。呼吸もゆっくり。意識的にたっぷり空気を吐き出すようにして、脈が上がりすぎないようにペースを保って。前回も感じたのですが、標高3680mを超えた辺りで急に酸素の薄さを強く感じました。そこで急激に気圧が下がっている訳ではないと思うので、多分これは私の身体の方の都合なのでしょう。焦らず、更にペースを落として最後の数分を登りました。
午後二時過ぎ、迎える狛犬の間を抜けて山頂への鳥居をくぐりました。やった。下りの時間を考え午後三時には山頂を出ようと思っていたので、残りの時間で今回は白山岳まで足を延ばしてみることにしました。白山岳は富士山で二番目に高い峰で、頂上には三角点があります。標高3756m。お鉢に向かって右へ進むと目の前に見える峰が白山岳です。澄んだ空気の中、お鉢やら向こう側の剣ケ峰を眺めながら、これまたゆっくりと白山岳への道を登り始めました。お、あれが金明水か。水があるようです。
登り口にはロープが張ってあります。見た所、特に危険は無いようなのでそのまま進みましたが、足場が多少悪いようです。登る人は自己責任で、ということでしょう。それはここまでの道でも同じなんですけどね、本来。ざれざれの道をちんたら登り、程なく頂上に到着。小さな鳥居と、崩壊した何かと、三角点と、ごろごろの岩がありました。眺めはよい。ただ、周囲は少々雲に覆われていて、南アルプス等は見えませんでした。午前中なら見えたのかもしれません。
目指せ白山岳。 |
道にはこんな所も。 |
山頂の鳥居と奥の剣ケ峰。 |
さて、登山篇の最後に、遊びで個人的「合数」再定義を。馬返のすぐ上にある鈴原天照大神社を一合目、剣ケ峰頂上を十合目として、実際の表記となるべく矛盾しないように、且つ、その場所の雰囲気やそこに着いた時の気分等を加味して、「点」で定めてみたものです。
吉田口登山道、Rj的合数 | 標高 | 標高差 |
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一合目【鈴原天照大神社】 | 1520m | - |
二合目【御室浅間神社】 | 1720m | 200m |
三合目【見晴し茶屋】 | 1840m | 120m |
四合目【御座石】 | 2050m | 210m |
五合目【佐藤小屋】 | 2220m | 170m |
六合目【富士山安全指導センター】 | 2390m | 170m |
七合目【富士一館】 | 2800m | 410m |
八合目【白雲荘】 | 3200m | 400m |
九合目【鳥居】 | 3580m | 380m |
十合目【剣ケ峰】 | 3776m | 196m |
見ての通り、六合目までは労力の割に数の進みが早い。下から登る人にはこれは「罠」ですのでご注意下さい。六合目から上は、ゆっくり登る人で目安として一時間に標高200m分を登ると考えれば大雑把な時間を把握出来るかと思います。つまり、六合目から九合目までは二時間で一合進み、最後は一時間。(ゆっくり登った方が楽で確実です。この位の時間を掛けて登れば、少々自信の無い人でも登頂成功率を高められるかと。)
誰も居ない白山岳山頂で、遅めのお昼ご飯。いつものおにぎりです。風がびゅうびゅう吹いていました。でも、陽が照っているので、Tシャツ一枚でもそんなに寒くはありませんでした。曇ったら一瞬で寒くなるんでしょうね。外側は雲ばっかりだけど写真を沢山撮って、お鉢側はよく見えるのでそっちも写真を沢山撮って、もうちょっと景色を眺めていたかったけど時間の制約があるのでぼちぼち下山することに。靴紐を締め直します。今日の下りは長い。標高差約2300m、砂走り区間のあまり無い道を下らねばなりません。午後三時ちょっと前に白山岳山頂を後にしました。
白山岳を下りた所で、香港か台湾系の人と思われる若い男女にものを訊ねられました。剣ケ峰へはどう行くのが近いですか/時間はどれくらい掛かりますか、ということを日本語で。彼らの日本語はかなり上手で、こちらもゆっくりはっきり喋ったので意志疎通には全く問題ありませんでした。女の子の方がちょっとだけ発音が上手。で、問に答えつつ、これから下山する予定なのかと訊きました。河口湖口の五合目まで下りるそうです。その時間はどれくらい掛かるかとも訊かれました。私も下りたことないのですが、若い人が普通に下りれば二時間半くらいでしょう。お鉢巡りには一時間半。今の時刻に合計四時間を足すと、午後七時。この時期だと、完全に日没後です。やっぱり懐中電灯は持っていないと言っていたので、ややアウトです。白山岳往復だけなら大丈夫だと思いますよ、アレは二番目に高い所です、いずれにせよ無理はしないようにして下さいね、と私は言いました。ちょっと考えてみます、と男の子が答えました。その後別れたので結局彼らがどうしたのかは分かりませんが、女の子はあまり冒険を好むタイプではなさそうだったので、理性的に安穏な判断を下したんじゃないかな、と思います。
河口湖口/吉田口/須走口登山道が山頂に着く付近の山小屋群は、多くが既に閉まっていました。一つ空いているお店があり、その前では先刻追い越した人達が疲れた、しかし満足そうな顔で休んでいました。よかったね、上まで登れて。気分いいでしょ。軽く会釈をして通過。っても、私は彼ら一人一人のことはちゃんと覚えてないんですよね。私の風貌がやや特異なせいか、彼らの方では私をきちんとidentify出来てるようでした。んー、彼らを抜く時にはコンタクトレンズで、その後目に砂が入りまくったから眼鏡に変えたりしてるんですけど、そんな事はあんまり影響してないようです。。。午後三時過ぎ、下山道の導標の所から下山開始。
最初はざっしゅざっしゅ下ります。砂が深めなので、軽い砂走り。ざっしゅざっしゅ下っていると、八合五勺の辺りで変な集団を見ました。若い白人数名、既に寝袋に入って談笑していました。目に付いたのが、自転車の部品を組み合わせて作ったような、車高の低い四輪車。なんだこりゃ?と思って指さし、訊ねました。こんにちは。これで下りるの?descend?すると彼らは首を横に振り、ascend!(登るんだ)と答えました。ほえー。登るのか。で、明日かい。夜に雨降ったら寒いぞう、とか思いつつも、がんばってねと言ってばいばいしました。事後に報道で知ったところによると、彼らは車いすで富士登頂を目指す大学生キーガン・ライリー君とその仲間達、だったようです。いつまで記事があるか分かりませんが→【asahi.com: 4輪車いすで富士山登頂に成功、米の大学生】、翌日の午前十時頃、無事登頂出来たようで何より。
キーガン君と仲間達。 |
途中、九合目で挫折した夫婦を追い抜きざまに話をしたりしながら、二十分程で八合目江戸屋前の分岐に到着。濃い霧が出ていなければ、派手な案内板を見落とすことは無いでしょう。その時も霧は出ていなかったので、問題無く河口湖口・吉田口への道をとりました。霧の出ている時には要注意です。山頂から下に向かって左が河口湖口方面で、江戸屋の前を抜けてちょっと行くとまた分岐があり、向かって右へ下りていくブルドーザー道が進むべき方向です。ここから先は、同じブルドーザー道と言っても砂が浅くなり、ごろごろ石も増えます。ざっしゅざっしゅとは下れません。滑ってバランスを崩したりもしやすくなります。「足がもうヤバい」人には、最後のそして最大の試練かもしれません。幸い私は余力を残していたので、それなりのペースでざしゅざしゅ下れましたが。
下山道分岐の案内板。 |
しばらく行くと、下に先ほどの母子(馬に乗って来たお金持ち!)が居ました。追い付いて、小休止しがてら雑談しました。男の子、九合目で泣きを入れたそうです。そうですか、惜しかったですねぇ。でも、まだ五歳だそうです。五歳かよ!見た目、七歳くらいに見えてました。五歳なのに九合目まで行けたのはすごいんじゃないでしょうか。きっと来年は山頂まで行けるでしょう。で、下りはまだ長いんですが、靴擦れやら何やらといった問題も無いようなので安心。すごいいっぱい色んなものを食べて、飲み物も沢山飲んで、こんなことは初めて、というおかあさんの話を聞いたりしました。蛇足ですがこのおかあさん(っても多分私よりちょっと若い)、1/4くらい西洋人の血が入っているのかと思うような、端正な顔立ちのひとでした。でも子供は東洋系。きっとおとうさん似なんでしょう。
彼らに別れを告げ、先を急ぎます。そう、私は彼らよりも標高差にして1000m近く余計に下らねばならないのです。音を上げて休んでいる白人男性(日本人男性と二人組)に「きつい下りはあともう少しですから、頑張って。」「けど、最後に登りがちろっとだけありますよん。」とか言って励まし(脅し?)、緊急避難所(石室)を過ぎ、公衆トイレに立ち寄り、落石避けのシェルターをくぐって、午後四時四十五分頃六合目の安全指導センター近くに着きました。途中の会話等による時間損失は十五分くらいかしら。ふうと一息。途中でぶち抜いた私以外の恐らく全員は、ここからなだらかな道を三十分程でこの日の山行がおしまいになります。私は、あと1000mくらい下ります。しばし休み、えい、と気合いを入れ直して出発。午後五時ちょい前。
三箇所くらいあります。 |
一応日没頃に下山完了出来るよう白山岳山頂を出ました。しかし、途中で色んな人と話をして、ちょっと遅れました。この分だと、下山中に日が暮れるでしょう。まあ、登ってくる時に「この道なら闇夜でも明かりがあれば大丈夫。」と見切ってますからこんなぎりぎりの時刻に下ってる訳でして。あまりお奨め出来る行動計画ではありません。ただ、余裕を見ていても懐中電灯は必ず持って行くようにして下さい。闇を知らない人は、その怖さも知らない。それは危険です。
六合目から下は樹林帯になります。富士山で高い木が一番高くまで生えているのがこの吉田口登山道付近かと思われます。気分は、普通の山歩き。本来ならもっとゆっくり、山の雰囲気を楽しみながら下りたい道です。が、この時は時間が無いので、すたすた下りました。夕焼けが綺麗。そして段々暗くなって行きます。道は悪くない。しかし、下手に石の敷いてある区間が長かったりして、足には辛い道でした。それも織り込み済みなのでめげずに下りましたけど。。。
湿度がちょっと上がっているようで、眼鏡が曇りました。暗くなって行く中、これが一番辛かった。それでも、幾度か小休止を入れながらずんずん下り、三合目、二合目と徐々に高度を下げて行き、途中登っていく一人とすれ違いながら(!)何とか懐中電灯無しで歩ける限界の時刻くらいに馬返へと戻り着きました。やー、疲れた。登りは前回の御殿場口からよりも少し楽でしたが、下りの長さ/負担は倍ぐらい。合計でも、御殿場口往復よりちょっと大変な旅でした。気になる万歩計の数値は42679で、大清水小屋から燧ケ岳往復時の40801を上回り、日帰り登山の最高値更新です。やった。
日の暮れた駐車場には、朝見たのとは別の車が一台ありました。先刻すれ違った人の車かな?この時刻から登るということは、明白に「山頂で御来光」目当ての人と思われます。私もいつかそういう行程を組んでみたいものです。ん?最初に須走口から登った時には、確かそういう意図だったような気が・・・まいっか。いきなり道を間違えて下山道から登ってしまうようではダメですね。天気も好くなかったし。ははは。
そんなわけで、今回も無事登頂/下山してきました。たっぷりと富士の魅力を味わったと同時に、思いがけず色んな人々とのちょっとした接触をも楽しめた一日でした。こんな怪しい風貌の奴にも気さくに接して下さった方々に感謝。今後、彼らの人生に幸の多からん事をお祈り致します。でも最後に愚痴。人の減った九月の平日、富士山と言えども道行く人々の様子は友好的で、すれ違い/追い抜きざまにはきちんと「こんにちは」の挨拶が交わされていました。そんな中で、挨拶(会釈すら)出来ない輩が三名程。その全てが単独行の中高年男性でしたとさ。寂しいですねえ。すれ違うのは、自分が怪我でもした時に助けてくれるかもしれない人達なんですよ。
富士山(北東) | 須走(北西) |
富士山(南東) | 須走(南西) |