続けて、最近の山行記。元は富士山にも匹敵するくらいだったらしい大きな火山群成れの果て連峰の、前回(七月)行きそびれた最高峰へ。峰から南東へ伸びる尾根を登山路、東南東へ伸びる尾根を下山路に取りました。当日朝の天気は雨、降ったり止んだり。やがて降ったり降ったりに変わる天候と、選んだ道が比較的不人気な尾根ということもあり、稜線付近を除いて人は少なく、また静かな登山を楽しんできました。登山中に上の方ですれ違った人が一人、山頂直下の山小屋で五人、山頂付近から見えた他の道を行く登山者が数人といったところ。
出発点は町営宿泊施設の駐車場。標高1565mとかいう石が置いてありました。林道みたいな遊歩道を少し下ると導標があり、しばらくは遊歩道を行きます。十五分程で「池」と名の付く湿原のような空間に出て、そこから本格的な登山道という感じです。雨は弱く、雨具を着ないで出ましたが、笹が生えていてずぼんはびっちゃり濡れました。これじゃあ膝までのスパッツがあったとしてもだめだな、という位置まで。
出発から一時間程で、スキー場の一番上に出ます。標高1900m程。一時間歩いてもまだこんな人間臭い場所かよ、と思いつつ通過。この先少し平らな道を歩いてから急登になりますが、まだ三十分程は笹に濡れて行きます。びっちょり。さっさと雨具の下を履けばよかった。因みにこの辺から、前方には目指す峰から連なる稜線、振り返ると遠くの山々や下の裾野が見えたりして、天気がよければかなり気分よさそうな道です。フジアザミの残骸やらその他の花々もちろちろありました。
スキー場上から一時間強で、三角点のあるピークに到着。標高2280m。ここまでコースタイムより早めだったので、少しのんびりしました。この先は、小ピークを二つ程越えながらだらだらした道を行きます。だらだら道をしゃかしゃか歩いてたら雨が強くなってきたので、雨具を上下着用しました。だらだら道の後には、いよいよ山頂への急な登りが始まります。なんでも、鎖が多いとか。楽しみだけど、雨だし滑ると嫌なので手袋をつけて挑むことに。
左前方に見える山。 |
これから目指す山。 |
登った尾根と後ろの山。 |
今回は、鎖を使わずに(登れるもんなら)登ってみようと思ってました。や、いつもなるべくなら鎖には頼らないようにしようと思ってますが。。。実際行ってみると、岩がごつごつしているので思った程大変ではありませんでした。安心出来る手掛かり/足掛かりを容易に見つけることが出来て、雨で濡れていても難しかったり危なかったりはしません。だんだん酸素が薄くなるのであんまりペースは上げられませんが、ちまちま行くうちに左の急峻な尾根やその向こうの峰の見え方が変わっていって、だんだん登ってるのが実感されます。
とは言え、きつい登りは結構長く続きました。上は見えているから少しずつ確実に近寄って行くのが分かっていいと言えばいいのですが、結局二時間近くわしわし登ったでしょうか。目指す山頂隣の岩峰下に着くと、雨だけでなく東風がびーぶー吹いていて寒くなってきました。岩陰に入ると天国。ああ天国。でも、反対側の下は崖です。天国と地獄って感じで不思議な感覚。(っつーか、寒いなら持ってきたセーターでも着ればいいのに。>じぶん)岩峰下から梯子を登ったりもしつつわさわさと岩岩した道を通り、数分で目指す山頂に到着。2280mのピークから三時間ちょっと掛かりました。でも、やっとこの大きな火山の最高峰に立てて嬉しかったです。今度は西に見えるあの峰に行ってみたいや。
鎖は飾り。 |
左の尾根と向こうの峰。 |
西の峰。 |
目指す峰。 |
山頂直下には立派な山小屋があります。初め、その陰で休んでいたのですが、寒いので軟弱に中へ入りました。休憩料二百えんを払って一息。おにぎりを食べて寛ぎました。もう少し天気がよかったら、南へ続く稜線を辿って登る途中左に見えていた峰まで足を延ばそうかと思っていたのですが、この風雨の中の稜線歩きはあんまり楽しくなさそうなので、そっちはまた今度、ということにしました。で、時間に余裕が出来たのでたっぷり休憩。山小屋のにーちゃんに、西の峰へ南から登るルートについて訊いてみたりもしました。今度そっちに行ってみよう。何か、行ってみたい所が沢山ありますね、この山域だけでも。
そして下山。登った尾根の北隣の尾根を下ります。こっちも鎖場が沢山あるそうですが、出来るだけ鎖に触れずに降りようと思ってました。下ってみるとこちらは高度感のある場所は少なく、一見降りやすそうです。しかし、ガレてたりザレてたりして、浮き石が多い。幸い登ってくる人など皆無という状況なので少しは気楽でしたけど、鎖を使わないで降りようとすると特に落石を起こしがち。起こさずに下るのはかなり難しいと感じました。ここを登る/下る人は、落石に注意して下さい。かなり崩れやすく、危険です。
一箇所、どう考えてもここは岩登りの領域、という岩壁に掛かった梯子を除けば、特に鎖や梯子に頼らないと通れないような場所はありませんでした。(梯子を使わないと梯子が邪魔で苦しい、という場所は幾つかありましたが。)ただ、岩の質が登った尾根と違い、こちらの方が手掛かり/足掛かりを見つけにくい感じでした。なんかもこもこしてる。雨で水が流れてなければもうちっと楽なのかな?南隣の尾根より多分ちょっと難しいです、鎖に触れないで通るのは。
山頂から一時間強で一つ目の小ピーク。下ってくるとそこがピークという感じは殆どしませんが、一応それらしき案内板みたいなものがあるので分かります。振り返ると、先刻登った峰がどーんと見えていてなかなかカッチョイイ。晴れてたらもっとすげいんだろうなあ。それだけ少し残念でした。そしてまた下ります。川になった道を「あー、登山靴でよかったなー」とか思いながらじゃぶじゃぶ歩いたりして、一時間程で二つ目の小ピーク。これも下ってくるとピークという感じはしません。ちょっとした広場になってるだけ。でも、そのすぐ下で道が分かれています。私は駐車場に戻るので右へと尾根を逸れます。左の道も、少し下ると枝尾根へと逸れていくようです。
七月に登った峰。 |
下ってきた道。 |
岩壁。梯子あり。 |
川と化した道。 |
登った山を振り返り。 |
三十分程の急降下で、林道に出ました。沢沿いの林道を二十分程歩くと、舗装路に出ます。舗装路を二十分位歩いて、出発点の駐車場に戻りました。万歩計は24740歩、大したことありません。登りも下りも、休憩込みでほぼコースタイム通りでした。この日は睡眠が足りてたせいかいつもより荷物が軽く感じられ、疲れ具合もかなり軽かったように思います。ちょっとしたことで結構変わるもんなんですね。
三週間前の話になりますが、富士山麓を散歩してきました。富士天神山スキー場の駐車場から鳴沢林道を少し歩き、精進口登山道の一合目に当たる天神峠から多分五合目相当の御庭山荘までの往復。因みに、精進湖畔の登山口から天神峠までは多分三時間くらい掛かります。有名な青木ケ原樹海を抜ける道なので面白そうですが、この時は時間の都合で割愛。
駐車場は標高1280m、天神峠が1310m程度。二十分程の舗装路歩きです。林道と登山道の交差点に一合目の表示等いかなる案内も無く、「ん?ここが峠みたいだから、この道かな?」という感じで登山道へと入りました。んー、人来ないんだろうなあ。
しばらくは笹原交じりの樹林帯歩き。かつては車が走れたであろうような太い道です。鬱蒼とした広葉樹林、といっても生えているのはブナ等の僅かな種類だけ。本当に若い山ですね。足元には白っぽいヤスデがいっぱいいました。頑張って土を作ってね。四十分程登ると富士林道との交差点、二合目に着きました。標高1530m程。ここには辛うじて「二合目」の標識があり、人の住んでいる気配のある家屋と車もありました。
更に登ります。しばらくは静かな樹林帯歩きと思いきや、やがて上の富士スバルラインを走る車の音が賑やかになってきます。ちょっと複雑な気分。二合目から四十分程でスバルライン下を潜り、舞う蝶に別れを告げて少し急になった道を登って行きます。二十分程で三合目の広場に到着。標高1786m、かつてはここに山小屋があったみたいなのですが、今は何もありませんでした。ここで道がいろいろ分かれていて、ええとキノコ採り教室か何かの人達とすれ違いました。危ないキノコを食ってしまったかのような、半ばラリってる夫婦らしき男女にも遭いました。近寄って来た時、思わず身構えてしまった。
河口湖口五合目への道はここで分かれています。私は奥庭/御庭へ行きたいのでその案内のある方へ。この先、降りてくるキノコ採り教室か何かの人達とすれ違いまくりました。はっきり言って不快でした。例えば道の真ん中の倒木に座ってメシ喰ってる中年夫婦、邪魔です。私に向かって「どうぞどうぞこっちを通って下さい」とか言いながら道の端を指しやがりました。てめえがどけよ。いつまでも図々しく道の真ん中を塞いで座ってるその後頭部に、倒木を跨ぎがてら膝蹴り入れてあげたくなりました。
標高2000mを超え、周囲はブナ等の広葉樹林からシラビソやアカマツ等の針葉樹林へと変わっています。ずんずん登り、やがて火山礫等も現れて一時間二十分程で奥庭へ。標高2180m。大分登ってきた感じがします。特に表示はありませんが、このルートならここいらが四合目相当かと。
奥庭には大きめの土産物屋があり、その前にはキノコ教室で使ったと思われるシートやキノコの残骸がまだ残っていました。車でスバルラインを上がってきた人々が多く、やたら賑やかでした。矮小化したカラマツやコメツガ等の間を巡る遊歩道もあるようです。上のスバルラインにある駐車場から(下りで)五分程の場所。生憎、見上げる富士山頂は笠を被っていました。
ここでおにぎりを食べ、しばし休んでから御庭を目指します。御庭の方が奥庭より上にあるというのはちょっと妙な気もしましたが、まあいいや。スバルラインを渡り、遊歩道を歩きます。「御中道自然探勝路」と言うそうです。初めて知ったけど、「御中道」って「おちゅうどう」って読むんですね。「おなかみち」だと思ってました。滅。
まだ辛うじて木の生えている火山礫の道を登り、四十分程で御庭山荘に着きました。標高2400m弱かな?この御庭山荘、登山用地図には「休業中」と書かれていますが、どう見ても「廃業後」でした。小屋前にある展望用テラスのようなものも、朽ち果てて崩れていました。富士山のマイナーな登山道を辿ると、沢山の廃墟を目にすることが出来ます。廃墟好きにはお薦めの、富士山不人気ルート巡り。あはは。
山荘の脇からちょっと登ると、尾根の末端のような場所に出ます。眺めがよい。近くの山々や富士五湖の一部、そして遠くには八ヶ岳や奥秩父の山々らしきものも霞んで見えました(残念乍ら南アルプスは雲の中)。富士山頂の方を見ると、いつかは行きたい七太郎尾根(の下の方)が見えました。七太郎尾根を登っていく方向には、辛うじて踏み跡のようなものがあったような気がします。
しばし景色を堪能し、下山です。来た道を素直に戻りました。奥庭から三合目の間で、いつの間にやら登った道を外れていました。勘を頼りに二十メートル程右へ行くと、登った道がありました。一体どこで道を外れたのやら。謎です。まあ、踏み跡はしっかりしていたのでそのまま下ってもいずれ三合目に出ると思われますが、行く人はちっと気をつけて下さい。
順調に下って、御庭山荘から三時間弱で「ふじてんスノーリゾート」の駐車場に戻りました。万歩計の数値は29000を超えてました。意外と多かったっす。朝もこの時も、富士山頂までよく見えました。御庭辺りにいた時だけ山頂に雲が掛かっていたのはちょっと残念。この角度(北西)からだと、富士は幅が狭く見えます。んで、白山岳が尖って見える。私の慣れ親しんだ富士は主に東〜北東側から見た、幅広で山頂の平らなものなので、へへえ、と思います。
帰りに寄った「道の駅なるさわ」からの夕暮れの富士は、裾野まできっちり見えて壮大でした。陽が沈むとやがて吉田口登山道沿いにある山小屋が光り出します。これまた独特の雰囲気を醸し出していました。先刻まで山頂を覆っていた雲が風下にぶっ飛び、その際からは月も見えてきたりして、素敵でした。しばぁらく見とれてしまったとさ。
先日、生まれて初めて「ゆにくろ」という安い衣類の量販店に行きました。山へ持っていく防寒着はフリースのものが軽くて暖かいからいいという情報を得たからです。で、ペットボトルの再生品如きに高い金を掛ける必要もあるまい、ということで他の用事で出かけた際に見つけた店舗へふらりと入ってみました。
・・・置いてねえじゃん、それっぽいの。
ということで、今日改めて(webででかそうな店舗を探して)行ってきました。目的の品は買えましたが、「なにこれ?どこがリバーシブル?どう見てもイリバーシブルじゃん。」とか思ってしまったのはナイショです。まあ、ひとまず寒さはしのげそうだからいっか。安かったし。
今日は運動してきました。しかも、相手がやたら弱かったのでぼっさりと勝ちました。その後、別の場所でまた運動しました。こちらはお気楽なものなのでお気楽にやりましたが、筋疲労が激しくてかなりへろへろでした。
山歩きに要求される体力と異なる部分が多いからなあ。バランスよく身体を維持するってのは難しいことです。
あっそうだ、何だかんだ言われまくっていたけど、朝青龍優勝おめでとう。
気付けば日が開いてしまいました。取り敢えず、先日の山行記。故あって別記事に分離してます。山梨百名山、鶏冠山。標高2115m。
米国の同時多発テロから二年。世界はその後どう変わったか?少なくとも、よくなった感じはしませんね。戦やテロの犠牲になった人が増えたように思います。
猛烈な台風14号が接近中。宮古島では、最大瞬間風速74.1m/sを記録したそうです。私の未体験ゾーンです。車が転げてます。自然の猛威は昔から変わらない。
今宵は中秋の名月。晴れている南関東では、文字通りの「名月」を拝めています。月はいつでもそこにある。いつとも知れぬ昔から、いつとも知れぬ未来まで。
低 擧 疑 牀 頭 頭 是 前 思 望 地 看 人 山 上 月 間 月 霜 光
今宵は月と火星が接近して見える日。幸い南関東某所では晴天に恵まれ、間もなく満月を迎えようとしている丸い月の下にぽちょっと火星が輝いてます。手元のデジタルカメラで写真を撮ってみましたら、見事な月が。月が。月だけ。。。80万画素の古いモデルでは苦しいようです。残念。
三つ目の富士登山レポートを別頁に載せました。今回は、最も人の多い吉田口を割と下の方から登ってます。
久々に運動して来ました。自分に出来る事はやったつもりだけど、結果がついてきませんでした。んー、レベルアップを図らねばならぬか。。。
夜、涼しくなりましたね。もう秋です。でも夏があまりはっきりしなかったせいか、あまり秋だという気がしません。みなさんはどんな夜をお過ごし?火星は相変わらず綺麗に輝いてるはずだけど、今宵は見えません。ち。
今日は防災の日。八十年前の今日、伊豆大島付近(相模湾の北西隅)を震源とした巨大地震により、大きな被害が出たのがこの「防災の日」という記念日の設定理由だそうです。東京付近での振幅は最大で14cmから20cmにも達したそうな。丁度お昼時だったせいで火災が多数発生し、地震による直接の被害よりも火災による被災者が多かったようです。
揺れたらまず落ち着いて身の安全を確保し、揺れが収まったら火の始末をする、というのがよろしいようで。つっても、その時自分の居る建物が倒壊したりしたら落ち着くも何も無いのやもしれませんが。。。
もう一つ、今日から大型トラックにスピードリミッターの装着が義務づけられました。これは、簡単に言うと大型トラックの最高速度を90km/hに制限するものです。大型貨物自動車の高速道路での法定速度は80km/h。しかし、実際には(夜の高速道路などで)100km/hもしくはそれを超す速度で走っている大型トラックも少なくありません。狂気的な速度で走っているものは一時期程には多くないようですが。
で、どうなるか。色々あると思いますが、一番単純にはトラックで運ばれるものが減る、ということでしょうか。例えば青森から東京まで、今まで八時間で運んでいたのが十時間以上掛かるようになる、ってこってしょうからね。「急ぎのものは頼めないよ」といった状況が生じるのではないかと。これが私達の日常生活にどう影響するようになるのかは分かりません。もっと卑近な場合で言うと、二車線しかない高速道路で追い越し車線を塞ぐのは交通量の少ない時だけにして欲しい。 > 大型トラックの運ちゃん
先日の富士山行記(御殿場口)を別頁に載せました。
昨日書いた機械判定について、AYNiMac「ロボット審判?」にて情報を頂きました。大リーグでは、審判の判定能力を判定する目的で投球の軌道をコンピュータにより再構築し云々、とな。但し、現状では問題が多いようで、まだまだ「機械判定の実用化」には至ってないもよう。んー、単純に横方向の判定だけでもいいと思うんですけどね、最初は。審判の助けにはなるでしょう。
話変わって、2003.08.19記事の続き。二日目の話です。
日の出は朝五時頃。食事も五時から。天気は曇りで、昇る太陽を拝む事は出来ませんでした。食事を済ませて準備をして、出発。前日すっ飛ばした山頂を目指し、稜線を登って行きます。霧はかかっていないので、行くべき道が見えていました。
太陽の昇る側は雲に覆われていましたが、反対側は遠くまで見えます。半分だけだけど、かなりよい景色。景色はよいものです。とりわけ、こんな高い所からのそれはもう。不思議なくらい気分が高揚してきます。この気分は高い山に登っていい景色を見た時にしか得られない。
登るにつれて隣の山が低く見え出し、隣の山脈の向こうにちろっとだけ見えていた大きな火山がだんだん「もっと」見えてきます。高さというものを実感出来る状況です。へへん、こっちの方が高いもんねー、ってなもんです。や、威張ってもしょうがないんですけど。足元の花々にも目をやりながら、ゆっくりのんびりと気持ちの好い登りを楽しみました。
振り返れば崖。 |
あとひと登り。 |
そして山頂へ。隣の山脈や隣の山には多少の雲が掛かったりしてきましたが、向こう側の白い山は雲の切れ目からちろりちろちろと顔を出しています。あいつにもいつか登ってやる。また決意を新たに。そのうち富士山も雲の上から頭を出しました。因みに、山頂には数えられる程の人しかいませんでした。まあ、山小屋の宿泊者数を見て予想した通りと言えばそうですけど、のんびり出来る空間があるってのはいいことです。特に、こんな景色の好い日にゃあ。
内気な花崗岩の山。 |
隣の3000m級が低く見えます。 |
しばらく山頂で景色を堪能し、出発。こないだすっ飛ばした北側にある峰にも立ち寄ってみました。誰もいないので気分さいこう。振り返れば、南へ続く稜線やその先の大きな山なんかも見えます。先刻までいた山頂の方を見ると、人がちょっと増えているようです。
名残を惜しみつつも、下山開始。白く輝く峰の方向へ、屋根の青い小屋を見下ろしながらずんずん下ります。青い屋根の小屋の前に人は少なく、時間も丁度だったのでお昼ご飯にしました。いつものおにぎりではなくて、泊まった山小屋で朝に受け取ったお弁当。シャケその他弁当でした。そこなお花畑の写真なども撮り、また下へ進みます。先刻まで見下ろしていた霧の中へと。
今回は、やたら滑りそうな名前のついた道ではなく、そこから分岐している沢沿いの道への道(ああややこしい)を取りました。花は多く人は少なくさしたる悪路でもなく、落ちついて歩けるいい道でした。ずんずん進むうちにだんだん沢音が近くなり、霧の向こうに突然ほあっと雪渓が見えてきました。お、もうすぐ仮設トイレのある分岐。
そこからは沢沿いの道です。しばらくは雪渓を横に見て歩き、豊富な水量の沢、枝沢、それらが成す大きさも形も様々の滝を楽しみながら、ほいほい降りて行きました。印象として、本当に水の豊富な山域という感じです。ごーごーだばだばじゃーじゃー流れていて凄い。この沢沿いの道を、登山口から仮設トイレのある分岐まで往復するだけでも十分に楽しめるのではないでしょうか。
たっぷり山を楽しみ、夕方、県道の通行制限に引っ掛かる前の時刻に無事下山。車で通行制限区間を抜けた後、すぐ先にあった日帰りオンセン施設に寄って温泉に入りました。他に人はいなくて、でかい浴槽を独り占めしてきました。ぬるぬる系のお湯で、たっぷりと身体をほぐしました。めでたしめでたし。因みに、登山口の駐車場から私の帰るルート沿いでは、約70km走るまでコンビニは一つもありませんでしたとさ。めでたしめでた・・・いや、牛乳を飲みたかったんです。。。
夏の高校野球決勝。初の東北勢優勝なるかとの期待を見事に裏切り、今回限りで引退するらしい名物監督率いる茨木の常総学院が4-2で宮城の東北高校に勝ちました。どちらも締まったいいチームで、決勝戦に相応しい好ゲームだったと思います。優勝した常総学院の面々には、おめでとうと言いたい。破れた東北高校の面々には、よく頑張ったけど惜しかったなと言いたい。
おめでとう。/よく頑張ったけど惜しかったな。
でですね。難癖一つ。試合後の閉会式だか表彰式みたいなので、偉そうなおっさんが出てきて「講評」だか何だかを垂れてました。その中で、「今回は見逃し三振が多かった。見逃し三振した選手は、どうしてそうなったのかをよく考えて反省しろ。」みたいなことを言ったんです。
私がその瞬間思ったのは、決勝戦九回裏の東北高校の先頭打者のこと。カウント2-3から、最後のボール球を彼は見送りました。当然四球で一塁に進めます、普通なら。無死一塁、二点差を追う東北高校にしてみれば、逆転の雰囲気にも繋がる好機の発生です。ところが、球審はそのボール球を「ストライク」と称しました。「は?」
確かに、二点差で負けていた東北高校がその出塁を得たところで勝つ確率はせいぜい二割六分六厘くらいだったかもしれません。しかし、あの大事な場面でああいった誤審は痛い。審判も人間だから完璧を要求するのは酷です。だけど、それまでそれなりの判定を下していた球審があの大事な場面でアレってのは痛い。東北高校の選手は無念だったことでしょう。
言いたいのは、「アレのどこを反省しろと言うのだ、おっさん。」です。球審がそれまでは割とちゃんとやっていたのにあの大事な場面で想像もつかないような誤審を下すと見抜いて無理矢理カットしておけ、って?無茶言うなよ、おっさん。見逃し三振の全てが誤審だとは言わないけど、流石に決勝戦終了直後にあんなこと言われたら東北高校の九回裏先頭打者は遣る瀬無いぜ、おっさん。
野球も、そろそろ大相撲みたいにエラー訂正の仕組みを取り入れるべきなのではないでしょうか。ストライク/ボールの判定、横方向だけならかなり実用的な「機械判定」も可能なのでは?
野球の話題。巨人軍の川相選手が、通算犠打数512という世界記録を達成。記録の数字はともかく、彼の功績を素朴に讚えたいと思います。達成した試合の後、東京ドームのファンはお立ち台の川相選手にべらぼーなる拍手を贈っていました。「犠打(自分が犠牲になって走者を進塁させる作戦で、打者が普通に打たないで送りバントという技を使う。)」というのは地味な仕事だけど、それを必要な時に確実に決めることが出来る選手というのはそういない。そして、川相選手はそれだけでなく守備もすごく上手で、「本塁打王」とか「最多勝投手」といった派手な冠とは縁が無かったけど今回のこれでファンも彼への正当な評価=賛辞を贈る機会を得た、という感じでした。
地味な仕事でもその意味を理解し文句を言わずにきっちりこなす。カッチョイイです。
お盆休みの山行記。まだその前の分の写真もまとめてませんが、ひとまず行った分を書いておきます。ええと、前と同じ山に行きました。また来てやる、その欲望を案外あっさりと叶えられたわけです。近道が通行止めで遠回りだってのによくやるよ、自分。
今回は泊まりで行きました。出発は早朝だったので時間はたっぷりあり、こないだとは違うコースからゆっくり登りました。梅雨時なので(!)天気は雨がちでしたが、二時間程登った所にある山小屋(池のある所)からは「最初にこの山へ登ろうと出かけて林道の通行止めに阻まれ、代わりに登った山々」等が見えたりもしました。
そこまでは尾根道。そのまま上に向かって鬼のように登っていくルートもあります。こないだ下山に使った、滑りそうな名前の道。でも、沢沿いの道へ抜けるトラバース道があるので、そこを歩いてみました。花は多く人は少なく、静かなよい道でした。そして、沢沿いの道の仮設トイレがある場所へ。ここいらからも、先刻の山々が見えました。
雪渓はまだ大量にあります。こないだは雪渓上を登りました。でも今回は左岸に付けられた土の道を行きました。凹凸がやや激しいので、雪渓を歩くよりも大変だったかもしれません。途中、二回程10m弱ですが枝雪渓を渡りました。雪はこないだよりも固く凍っていましたが、ほぼ平らな区間だったのでアイゼン等は着けずに渡りました。
ここら辺、殆ど人が居ません。お盆だから本来ならもっともっと人が多くてうんざりする頃だと思うのですが、前日まで雨で登山口への静岡側からの県道が通行止めだったということで、異様なまでに人が少ないようです。驚きだ。というより、来年同じ時期にまたここへ来たらその人の多さに驚くのかもしれませんけど。いずれにせよ、人の多過ぎない方が楽しいので幸運です。
程なく雪渓を離れ、梯子の掛かる急登を経由して鞍部へ。ここにすら人は殆ど居ませんでした。何のこっちゃ。その先、花は相変わらず沢山咲いているし、富士山は見えたりしたけど天気は曇りで山頂からの展望はあまり期待出来ないので、山頂は経由せずに泊まる予定の山荘へと続く巻き道を行きました。遠目には崖っぷちに掛けられた恐ろしい道。でも、実際に行くとそんなに怖くない道でした。
コルの先から見えた富士。 |
山荘への巻き道と山荘。 |
山荘に着いて受付を済ませます。予想通り、人はすげえ少ないようです。定員150人くらいの大きな小屋ですが、実際その晩と次の朝に食堂で飯を食っていた登山客は私も含めて11人でした。真夏のこの山域でこれ?驚きだ。夕食の時、山荘の人が下山は尾根道から行った方がよいと言いました。沢道上部(雪渓)の下りで事故が多発しているそうです。きっと、あの固い雪渓を簡易アイゼンも着けずに降りる人が多いのでしょう。剣呑剣呑。
つづく。
敗戦記念日。南関東周辺では昨夜から大雨で、24時間の雨量が200mmを超えたりしてます。こういった強い雨が降るようになれば、「そろそろ梅雨明け」でしょうか。
北米では大規模な停電があったとか。NHK総合TVの夜七時のニュース、トップは終戦関連ではなくてそっちでした。面妖だという気もしますが、亜米利加に負けて以来あっちが「主」でこっちが「従」だからそれでいいのかもしれません。
負けて初めて分かることってのもありますけどね。
今日は一日雨。東京の最高気温は、午前零時に記録された22.8℃だか何だか。日中は20.6℃までしか上がらなかったそうです。梅雨明け宣言は出たものの、まだ日本上空にあるのは「梅雨前線」に相当するものだったりします。欧州では稀に見る酷暑だそうで、何やら北半球はやや気象が乱れているもよう。
お盆ということで、帰省ラッシュだとかUターンラッシュだとかで高速道路等はいつもと違った交通状況になっています。今日は、各地の高速道路で計五ケ所程事故による通行止めが生じたそうな。言ってしまうと、ドライバーの平均運転態度が悪いのでこういうことになります。自分の反応時間と車の制動能力に見合った車間距離を取りましょうね。っつーか、最近「一般ドライバー」の脳みそ足りない度が上がってるような気がするのは気のせいでしょうか。やや気掛かりです。
お盆なので都内は閑散とする、のが少し前までの傾向でした。でも、ここ数年はその傾向にも変化が見られます。むしろいつもよりわらわらした雰囲気になったりする部分もあるようです。人々の動きってのは色々変化する。そして、その変化の速度も上がってってるように感じられます。慌ただしい世の中、なのでしょうか。
気合いの入った台風10号が来ております。河川の増水や高潮、がけ崩れ等のみならず、風の強い日には思わぬ物が飛んできたりしますのでお気をつけ下さい。そういや、長崎に行ったはっとは大丈夫かな。
さて、先週末の山行記。今回は、ひと月程前に行こうと思って行けなかった山。前回私を阻んだ通行止めの林道を回避して、別の道から行ってみました。やや遠かった。っても、家を出てから三時間ちょいで登山口の駐車場に着いたので、まあまあでしょうか。
まず驚いたのは、車が多いこと。んー、来やすい道が崩落で通行止め、それを迂回する道は関東方面からだとすげえ遠回りになるってのに、何だってこんなに沢山人が来てるんだ?という印象です。数日前に山頂近くの山小屋へ泊まった人の話による山小屋の人の話だと、これでも例年の五分の一くらいの人出だとか。「例年」は一体どんなことになってるんだ・・・
ともあれ、登ります。吊り橋を渡り、登山口付近の山小屋でトイレを借りました。その山小屋の前では、既に中高年のパーティがいくつか出てみんなで準備体操をしてたりします。これは登りで思ったように歩けなくなるかな?この山へのこちらからの登山道は、沢沿いの道と尾根を行く道があり、私は沢沿いの道を選びました。理由は、そっちの方が楽そうだから。楽なのが好きというわけではありませんが、先行きは長いしこの山はきつそうなので、ひとまず無難そうな方をということです。
登り始めると、思った程人は多くない。多数派は尾根道を行ってるようです。男性二人組の後を、時折単独行の男性に抜かれたり中高年のパーティを抜かしたりしながら、足元の花や行くべき山そしてその直下の岩壁等を見つつ登りました。基本的には沢の左岸(上流から下流に向かって右とか左とか言います)に付けられた道です。途中の崩落箇所で右岸へ迂回した他は左岸を行きました。
やがて雪渓が現れます。結構下の方にまである。今年は雪が多かったみたいです。簡易アイゼンを着けて登ります。雪渓上を吹き抜けてきた風が冷たい。雪で冷やされ、恐らく氷点下の空気。登るとあちいので丁度いいんですけどね。アイゼンは、最初四本爪のしょぼいのを着けました。やっぱり滑りやすいので、その後六本爪のに替えました。これなら楽です。
雪の上を登り、道の分岐点へ到着。仮設トイレがあって、幾らかの人が休んでいます。降りてくる人も少なくないようです。ちょっと賑やかな感じ。逆に言えば、出ている人の数に比してここまでが静かな登山だった、ということなのでしょう。天気も好かったし、見たことない花もあったし、沢は涼しげで楽しい一時でした。
そこからは登りが少し急になってゆきます。霧に包まれ、視界はあまり効かなくなりました。しばらくはアイゼンを着けたまま雪渓を登り、そのうちに雪渓が尽きてガレた道から岩場へと進んでゆきます。最初に私の前を歩いていた二人組の他に、単独行の男性一人とほぼ同じペースで登ってゆきました。抜いてゆく人も一人いたかな。
先刻まで登っていた沢の源頭に当たる鞍部が次なる目標地点。そこまで四十分とかいう看板を見て「あれれ、まだそんなに。」と思い、薄くなる酸素にへぇへぇ言いながら、急な岩場に掛けられた木の梯を登ります。花も増え、目指す山頂下の急峻な岩場も時折霧の切れ目から見えたりしました。
そして鞍部(コル)に到着。今初めて気付いたんですが、コルって英語(col)だったんですね。ラテン語の「首」という意味の語から来てるそうな。山の用語には独逸系が多いんですが、クーロワール(仏)とかバットレス(英)とかラク(日)とか、たまにチガウものがあるようです。
その鞍部には、花が沢山咲いてました。びっくりだ。当初の予定では、さっさと登頂して長い長い尾根を下ってみようかと思っていましたけど、こんなに花が咲いてるなら写真を撮ったりしながらのんびり登ろう、そして下りは楽な道を行こう、と方針転換しました。でかい山だし、一回であれもこれもと欲張らなくていいや。
しばし休み、いよいよ山頂への急登。最後の苦しい区間となるはずのところを、方針転換したお陰でちんたら楽しく登りました。ずっと一緒だった二人組&単独行の一名とはでかい山荘の方への近道分岐で別れ、一人山頂を目指しました。因みに、成り行きで一緒に歩いた合計三名とは、休みながら花の話だとかデジタルカメラの話だとか、結構色々話したりしてます。人が多すぎるのは嫌だけど、たまにはこういう交流もいいものよの、とか思った次第。
咲きまくる花にCFカードのメモリを食われまくりながら、程なく山頂に着きました。やった。しかも、人は少なめ。大阪から来た中高年夫婦一組と、挨拶の出来ない男性二人組と、静岡から来た日帰り単独行の男性一名と、私。これくらいなら上等です。ただ、雲に包まれていて景色を楽しめなかったのは残念。今度来る時には晴れるかしら。
蛇足。挨拶の出来ない人は、ここでの二名の他にも多少いました。全て、単独行もしくは二人組の中高年男性でした。中高年男性、ダメじゃん。ああはならないようにしよう。。。っても、一部ですけどね。
山頂でおにぎりを食べ、楽な道から下山開始。来たのとは反対へと降り行きます。そこからの道も、花が多かった。来た道とは多少生えている草木の傾向が違い、飽きることなく(時に這いつくばって写真を撮ったりしながら)進みました。やがて人で賑わう山小屋(朝から登ってきてここで泊まる人が多いようです)でトイレに寄り、すぐ出発して、へばりながら登ってくる大勢とすれ違いながら高度を下げてゆきました。「あとどれくらいで○×ですか?」ということをやたら訊かれました。
稜線を離れ、急な下りへ。その道に付けられた名前から、草のある滑りやすい道なのかなと思っていたら、普通の土の道でした。草は周囲にあるだけ。でも、あまり足場がよくない箇所もあって、登ってくるのは大変そう。すれ違う人は一様にへばってました。沢山咲きまくっている花を楽しむ余裕も無さそう。ちょっと勿體無いやもしれません。
そのうち、下に平らな場所が見えました。正確に言うと、そこが見えるよりも先に若い人がきゃあきゃあ騒ぐ声でその場への接近を知りました。雪が残った脇に池があり、その周囲がキャンプ指定地となっています。すぐ先には山小屋もあり、その日そこへ泊まると思われる人々がわらわらしてました。ここへ泊まるのは、時間とお金に余裕があって体力にはあまり余裕がない人が多いと思われます。色んな人の色んな登り方を許す山だから人が多いのかな?いや、人が多いからそういった許容性を山が持つようになった、という見方が正しいのでしょうか。
そんなことを考えつつ、喧騒をほぼ素通りして私は進みます。しばらくは山腹を横切る道、小さな沢を渡ってからは尾根の下りへと続きます。ここも結構急でした。大きな段差が多く、こちらの道から登る際は木の根に掴まりながらわしわし登ることになるでしょう。どちらかというと沢沿いの道を来た方が楽かな。でも、こちらから尾根伝いに登れば、雪渓は歩かなくて済みます。落石等の危険は少ないし、雨が降ってもある程度は安心です。
次第に高くなる気温に汗だくになりながら、ひょいひょい降りてゆきました。やがて両側から沢音に挟まれ、沢道と尾根道との合流が近いことを悟ります。
程なく分岐点へ到着、そして十分程で登山口近くの山荘へ着きました。トイレに寄って、車に戻ります。ここまでの県道には時間帯による通行制限があるので、あまりのんびりはしていられないのです。朝にも渡った吊り橋を渡ると、救急車の音が聞こえてきました。あれま、誰か滑って転んだのかな。或いは急病かしら。私は今回も無事でしたけど、いつ何が起こるか分かりませんよね。登山者向けの保険に入っておこうとこの時決めました。
帰り道、通行制限を仕切る為の案内の人に言われました。(一般車両の制限に反して)救急車がまた来るかもしれないから(対向車たる救急車に)気をつけて下さい、と。気をつけてゆっくり行きました。しばらく進むと、救急車が来ました。早めに音を聞いて察知したので、広い所で除けて待ちました。すれ違い様、救急車の人が手で挨拶してくれました。救急車の人、ご苦労様です。
そんな訳で、景色はあまり楽しめなかったものの花やら何やらで刺激の多い楽しい登山でした。また来てやる、そう思わせる山です。
先週末の山行記。今回は、地味な山です。とある地味な高原から入ります。川の多い所です。車を舗装路の橋のたもとに止め、出発。初めは尾根を登ります。難読の名前が付いています。低気圧が来ているので雨を覚悟して行きましたが、朝のうちは晴れ間も見えたりしてちょっと得した気分でした。一つ目の分岐を見送って進みます。緩やかに登る尾根道を囲む木々の隙間から、時折南側の山々が見えました。以前登ったことのあるような山もあります。富士山は、残念ながら裾野しか見えませんでしたけど。
雨上がりなので土は軟らかく、鹿の足跡が鬼のようについていました。こんなに沢山の鹿の足跡を見たのは初めて。でも、思ったほどぬかるんだりもせず、快適に登れます。のんびりと、涼やかな朝の樹林帯歩き。天気予報のお陰もあってか、他に登る人も居ないようです。静かな山。いいものです。
やがて二つ目の分岐点。右は後で行く予定の峠への近道、左が目指すピークその一への登路です。左へ。しばらく緩い道が続きます。一つ谷を横切り、次の尾根へと回った所で三つ目の分岐。左は山小屋への道、右がピークへの尾根上の道。右へ進みます。湿った岩の上には、小さなクロイロコウガイビル(多分)がうねってたりしました。こいつは「蛭」と名がつくけど実は蛭の仲間ではなく、ぶった切られて遊ばれることで有名なプラナリアに近い生き物だそうです。ナメクジやミミズを溶かして喰うという。小さい頃、どこぞの空き地で1mくらいあるこいつの仲間を見てびっくりしましたっけ。【参考サイト:THE KGB FILES- KGB友の会;旧ソ連のКГВじゃないっすよ。/って、コレを喰った奴まで居るのか!:むしむしQ】
時折のっそり動くガマガエルを見つけたりしながら少し登り、谷を一つまたいで更に隣の尾根へ。また分岐、四つ目です。右は縦走路、上は通行止め、左は神社への道。水源に祀られた水の神様の社だそうな。左へ寄り道してみます。五分ほどで神社の下に到着。ここはとある川の水源で、運がいいと水が滴っているそうです。この日は、雨上がりだったので水が滴っていました。そして、初めて他の登山者(と言うよりは水源の写真を撮りに来た二人組)と出会いました。三脚を置いて本格的に撮ってるようです。
彼らは置いといて、上にある神社へ寄ってみました。ほんの数十メートル、崩れそうな踏み跡を辿ります。神社は、石造りの簡素なものでした。崖の上なので、あまり本格的なものは造れないのでしょう。高さ1mくらいしかありませんでした。でも、お賽銭が少々。みんなまめですね。
少し休憩して下へ降り、来た道を四つ目の分岐まで戻ります。そこからピークその一への登り。直登する道が通行止めなので、縦走路を僅かに進んだ所にある分岐(五つ目)から山頂への道に入ります。急登。でも、もう咲き終わった吾妻石楠花の間を潜ってすぐに小さなピークへと出ました。岩場。ここからは稜線歩きです。少し「高い山」っぽい雰囲気。でも、ちょっと前から周囲は霧に覆われて真っ白になってました。
ちょこまかと上り下りしつつ鞍部の笹に裾を濡らしながら進むと、程なくピークその一へと着きました。と言ってもこの山はちょっと変です。最初のピークには三角点があり、次のピークには山頂を示す標があります。ここまでは狭くて、(晴れていたとしても恐らく)展望は得られません。その先、岩を下った肩のような場所は開けていて、こちらにも山頂を示す標があります。低いけど、ここでおにぎりを食べて休憩。天気は悪いから遠くは見えず、来た道と反対側から登ってくる登山道の先にあるはずの山小屋も見えませんでした。ち。
しばし休み、先へと進みます。と言っても、初めは来た道を五つ目の分岐まで戻ります。あ、三角点のあるピークで、登ってきた人に出会いました。この日、三人目。すれ違って下ること十五分で分岐に到着。そこからは、縦走路へ。この縦走路は結構長い。いつか通して歩いてみたいと思っています。今回はその一部だけをちろりと歩きました。道はよく切り開かれているけど、歩く人はさほど多くないようです。そのうち、雨が降ってきました。でも最強雨具があるからいいもんね。道の脇にはアカガエルみたいなのがぴょこぴょこしてます。雨だと嬉しいんだろうな。小さくて可愛いやつらです。
少し登り、稜線に出ました。風が吹き抜けます。稜線らしい細かな上り下りを幾つか重ねながら徐々に登って行きます。目指すピークその二は、標高で言うと先刻その水源を見た川の流域に当たる山域で一番高い所です。でも、地味。ちょっと登りがきつめになったかな、と思ううちにひょいと登頂してしまいました。木々に覆われた狭い山頂です。山頂と言うよりは、稜線上にある小さな凸部でしかないといった風情。地味。
ここでもおにぎりを食べて休憩。その先、稜線伝いに続く縦走路は塞がれていました。通行止めらしい。どこか崩れてしまったんでしょうか。案内に従って、少し下ります。迂回路なので、道は少々悪くなりました。地味な山と言っても、結構あちこち崩れやすいらしく、油断はなりません。湿った岩は滑るし、根っこもぼこぼこ出ています。慎重に歩きました。
やがて、左の岩峰への分岐へ。もう六つ目の分岐ですか。この岩峰へは、天気が好かったら景色を楽しみに寄ろうと思っていました。でも、雨。そのうち機会があったら寄ってみることにして、先へと進みます。徐々に下り、七つ目の分岐に着きました。左はいつか行こうと思っている別の山への道、右はこの日最後の目的地となる峠への道。右へ進みます。道は緩やかになり、八つ目の分岐を過ぎて間もなく峠に着きました。
ここいらはやけに平らになっていて、独特の雰囲気があります。標高は1800m程。小さな花も僅かですが咲いていました。
しばし休み、八つ目の分岐へと戻ります。この分岐の辺りは読めない漢字の名前が付いていて、何でも昔の武将が金塊を埋めたとか埋めてないとかいう伝説があるとか無いとか。色んな人がここを通ったのかなと思いつつ、緩やかな尾根道を下り始めました。
この尾根道は晴れていれば眺めが良さそう。雨も止んできて、ほっと落ち着いた気持ちでさくさくと下りました。相変わらず鹿の足跡は沢山付いています。みんな、早朝にでもちょろちょろしてたのかな。そして人の足跡は極めて少ないという。何だか不思議な気持ちでした。
やがて未舗装の林道へと合流し(先刻寄った峠の下にある山小屋へは車が入れるようです)、ちんたら下って舗装路に出ました。舗装路を二十五分程歩いて車へ戻り、無事に山行終了。休みも入れて合計約十時間(万歩計29000歩)、出会った人は合計三人の静かな静かな旅でした。
南関東では、梅雨明けもままならぬうちに七月が終わらんとしています。私はどちらかというとあちいのが苦手なので、涼しい七月は楽でした。しかし、もうすぐ八月。花火だ海だ山だ山だ山だといった季節です。少しはあちくなった方が夏らしくていいのかもしれません。
それとは別に、稲。冷夏だと不作で、また米不足とかになる可能性が。今のところ状況はあまり芳しくないようです。水田に張る水を増やす(水を張っておく方が暖かいから、寒くても育ちへの影響が少ない)等の対策が取られているとか。日本の米は手をかけて作っているので、ちょっとした気象の変異にも弱く、色んな意味で大変です。
やっと2003.07.24記事の山行で見た花の写真をまとめました。また名前間違いあるやもしれませんが、載せたのは以下。
以前載せた花は省こうかとも思いましたが、半ばヤケクソ気味に載せました。(これでも全部じゃないんだけど・・・)
水泳世界選手権、男子平泳ぎの北島康介選手。100mに続いて、200mでも世界新記録での金メダル。大したもんだ。何が大したもんかっていうと、100mと200mでは要求される能力が質的に異なるってのに両方で記録を出しちゃったのが大したもんなのです。
水泳の100mは、陸上競技で言えば400m走。身体に蓄えたエネルギーを使って泳ぎ/走り切ります。でも、水泳の200m/陸上の800m走になるとそれではもたない。酸素を取り込みながらの(持続可能な)運動が必要です。極端な言い方をすると、水泳の100mや陸上の400mは「短距離」、水泳の200mとか陸上の800mは「長距離」の種目になります。だから、その両方で勝つのはすごい。
一方、渋谷では連続通り魔事件。何やってんだか。
先週末の山行記第二弾。今回は、恐竜時代に隆起した山。上の方には、(今の)ハワイ辺りから来たという岩が露出してたりします。風化したその変成岩の色から、地元では「渋沢(しぶっつあ)」と呼ばれていたそうです。それが今の山名の由来とな。
ここもアプローチは少々面倒。一旦車をスキー場等の駐車場に止め、そこから小型のバスなり乗り合いタクシーなりで登山口(峠)まで運ばれることになります。この運賃が片道九百円。駐車場代千円と合わせて、合計で二千八百円かよ。馬鹿になりません。尚、単車の場合は登山口まで直接行けます。荷物や靴が気にならないなら単車の方がいいな。。。それでも駐車料金は五百円取られるようですが。
さて、人が溢れ返る登山口から山へ入ります。最初は緩い樹林帯の登り。最近の山行では珍しく、日が照ったり青空が見えたりして気持ちよく登れました。っても、少々暑いですけどね。道はよく整備されていて、所々ぬかるんでいる以外は問題無し。しょしんしゃOKといった雰囲気です。や、ぬかるんでいても登山靴なら「怖いもの無し」状態でした。ひざ下のスパッツがあると汚れ対策という意味でも最強かもしれません。
緩い登りが続き、右手の涸れ沢にはシラネアオイの群落があったりして、やがて平らな場所に出ます。「田代」と呼ばれる、小湿原。さわやかな感じです。人が多いけど。ここらから先は、稜線歩きとなります。行くべき峰やその手前の峰がよく見え、道も相変わらず緩いのでお気楽な散策が続きます。人は多いけど。
道が少々「上の方」っぽくなり、やや遠くの山々や(「や」が多いや。)こないだ登った山や下の湿原や反対側のダム湖や登山口の峠にある山小屋と車の群れ等が見えたりして、徐々に高度を上げてゆきます。珍しい高山植物の花も増え、時折登山者の渋滞が出来たりもします。この山(やその他ごく限られた山域)にしか無い花などもあって、退屈しません。人が多いのも頷ける、といったところでしょうか。
やがて小ピークに到達。○×△にたかるハエの如く人が群がっているので、そそくさと通過。気持ちの好い風が吹き抜ける稜線をちょっと下り、いよいよ目指すピークへの登りに入ります。相変わらず花は沢山咲いてるし、道はやや滑る岩が多いとは言え危険も無いし、人が多くてペースはゆっくりにせざるを得ないので、結局らくちんなまま登頂しちまいました。古い地図だとコースタイム二時間強のところを、四時間弱掛けて登ってるわけですから楽なのも当然ですか。
山頂はやっぱり人が多すぎて、どこだよここは、渋谷のハチ公前交差点の一部を切り取って持ってきたのかよ、というような状態です。お昼ご飯をゆっくり食べる気にもなれない(というか場所の確保すら難しい)ので、少し降りてっていい場所があったらそこで喰うことにしました。靴紐を締め直して早速下山開始。
下りは大湿原への道を取ります。露出した変成岩が滑ることで有名な道。少し降りた所で適当なスペースを確保できたので、そこでお昼ご飯にしました。おにぎりおいしいな。登ってくる人が、そこらにムシトリスミレがあったから見てご覧、と言って通り過ぎました。有り難う、登る途中にも一つあったけど、花がぼろぼろでイマイチだったのでチェックしてみます。
お昼ご飯を食べて、すぐ先のムシトリスミレを見つけました。わあい、綺麗に咲いてるや。こないだもモウセンゴケの類を見たりしましたが、食虫植物ってのは不思議ですね。でっかかったらたいへんだ。食獣植物。SFの世界です。こわいこわい。
その後、道は急になり、すべりまくりのすけすけちんでした。つっても、億劫がらずにちゃんと身体を使えば安全に降りられます。脚だけに頼ると悲惨なことに。あちこちで滑ってる人を見かけました。やがて、某web記事に案内のあった湧き水地点へ。おお、あった。湧いてる。やった。名物の変成岩はアルカリ性なので、水もアルカリ性だとか。山の水には珍しい口当たりですが、冷たくて美味しかった。
急な下りを通過し終えた辺りで、雨が降り出しました。急なところで降られたらもっと滑ったでしょうから、まあよかったよかった。でも、気温が高めで運動している最中なので、雨具を出すこともなくそのまま濡れて行きました。そして、恐怖はその先にあったのです。
下の方は、岩を金網でまとめたブロックだとか木道、木の階段が多出します。その木道は、平らな板の上に進行方向と垂直に打ち付けられた「横木」が出張っています。通常は、その横木に足を置いて登り降りする感じ。とある横木に私が足を置いた瞬間、そいつが抜けました。すてん。転んじまったい。すぱっと受け身くらいは取れるのでどこも怪我しませんでしたが、周りにいた人が驚いてしまいました。ごめんなせい。。。
他の人もあちこちで転んでるようでした。滑る岩の地帯では、気をつけていることもあるし滑らないような足の置き場を見つけることも出来たので比較的安全。しかしこの木道や半分腐って斜めになったような木の階段のところでは、そういった安全確保の余地が無い所も少なからずあって、かなり転びやすい状況でした。人の多い山だけに、ここいらはもう少しどうにかした方がいいように思いました。
やがて最後の樹林帯を抜け、湿原へと下山完了。雨も丁度上がりつつあり、穏やかな雰囲気でした。振り返ると、今登ってきた山・・・の、下の方だけが見えていました。上の方は霧というか雲の中に隠れてしまっています。まあ、上から下の景色を見られたことだし、いっか。
湿原で休憩し、帰りのバスの時刻を気にして早めに戻ることにしました。時間があったら湿原をぐるっと歩こうかとも思っていましたが、それはまた次回ということに。登山口の峠まで、木道を歩きます。僅かな登り。時折渋滞に阻まれながらも割合すたすた歩き、四十五分程で出発点の峠に戻りました。
峠はすごい人。帰る人の混雑ピークだったでしょうか。ここはどこだよ、新宿東口のアルタ前を一部切り抜いて持ってきたのかよ、といった為体。まあ、観光地なので仕方なし。出来ればここいらは平日に訪れるべきなのでしょう。バス待ちの列に連なり、それでもそんなに待たされることなくバスに乗って駐車場へ戻りました。再びすごい雨が降ってきて、駐車場は水たまりになってましたとさ。
帰りに、通り道からちょっと逸れた所にある日帰りオンセン施設へ寄りました。ごひゃくえんで結構楽しめたと思います。
#花の写真は後日改めて紹介する予定です。
以前から欲しかった、椅子用の低反発素材クッションを買いました。さんぜんえんくらい。厚みが結構あります。今んとこ、気に入り。あとはどれくらい潰れずに使えるかが問題です。
他に(そっち関係で)欲しいものと言えば、畳。本間一畳(六尺三寸×三尺一寸五分=191cm×95.5cmくらい)を、ベッドの布団の下に敷くのが夢です。畳といえば畳屋さんで買うものですが、最近はweb通販もやってる店があるみたいですね。「置き畳」なんてのもあって、マトモそうな品を半畳五千円程度から買えるようです。
畳は、日本の気候によく合った内装材と思います。湿度の調節だけでなく、部屋の空気を綺麗にしたりする効果もあるそうです。いいねえ。
先週末の山行記第一弾。前回、前々回に続いて今回も火山に登ってきました。まずはこの山について。気象庁の火山の資料によりますと、
基底8×6km、海抜x,xxxm、比高約700mのほぼ円錐形の複成火山で、山頂に直径約800mの火口を有する。
かこう岩と古生層を基盤とし、安山岩からデイサイト質の溶岩流、溶岩円頂丘及び火砕流堆積物から構成される。
北西麓に向かい規模のやや大きな火砕流が流出している。過去には火砕流噴火や山体崩壊が繰り返し起きているが、明確な活動記録はない。
初期の噴出物は輝石安山岩、後期の山頂部溶岩及び火砕流は主に輝石デイサイトである。
本火山の噴出により、西麓の××××川や××川が堰き止められて××××湿原や××沼が形成された。
とのこと。(一部伏せてあるのは、私のにっきを見て行ったのがどの山か当てる楽しみを残しておくためです。っても、もうバレバレか。)別の資料によると、まず土台となる堆積物の層が三十五万年程前に形成され、十万年(±五万年)程前には北西側にてやや大きな噴出があり、約二万年前に今の本体となる円錐火山体が出来たそうな。その後約八千年前には山頂から大規模な崩落が起こり、五百年程前に山頂南側で溶岩ドームが生成されたとか。要するに、富士山同様「活火山」である、と。
さてこの山、アプローチ(接近)がやや大変です。まず車でとある国道の果て(行き止まり)まで行き、駐車場から林道を一時間歩き、峠を越える山道(遊歩道級)を一時間半程歩いた後には沼沿いの遊歩道を一時間歩きます。で、やっと登山道入口。そこから山頂までは大した登りではありません。コースタイムは二時間半、目標タイムは二時間。
朝四時過ぎに雨の駐車場を出て、途中雨は止みましたが湿った木道や木の階段等を経て登山口に八時頃入りました。ここまでで既に万歩計の数値は14000を超えています。選んだ登山道は、南斜面に刻まれた山頂への最短経路。初めに少し緩い道がありますが、その後の大半は急登です。事前に調べて急登だということは分かっていたので、ひるむことはありません。がしがし行きました。歩く人は(場所柄にも拘わらず)少ないらしく、下の方は倒木や枝の張り出しが多くてさほど歩きやすい道ではないようです。岩ごろごろ系。でも、時折振り返ると下の沼が見えたりして気持ちのいい道。
しばらく行くうちに、ばてました。二時間で登ってやる、とか思って飛ばしすぎました。どちらかというと「畜生の道」系(両手両足を駆使して登る道)なのに、無茶はいけませんね。以降、ちんたら休み休み登るはめに。
上の方に行くと、いろんな花が咲いています。まだ実物を見たことが無かったものも幾つかありました。雪渓もあります。ひゅう。結局登山口から二時間半近く掛かって、目指すピークその一に到達。山頂近くで他の登山道と合流するまでは殆ど人にも出会わず静かな登山を楽しめたのですが、山頂には他の登山道から登ってきた人達が溢れていました。私の選んだ道は、この山への登山者全体の一割未満しか使ってないのではないかと思われます。
さて、ピークその一は、目指すピークその二よりわずかに低い。霧が晴れると、向こうにピークその二が見えます。なかなかダイナミックな光景。どちらにも「〜ぐら(やまかんむりに品)」という接尾辞が付いています。山ではよく見る名前付けで、「嵒(ガン:意味は「いわ、いわお」)」の異体字だそうです(広辞苑)。山頂でおにぎりとサッポロポテトを食べ休憩してから、第二のピークへ。結構急な登降がありますが、往復で三十分程でした。第一のピークに戻った時点で、万歩計は20500歩程。
そして下山。当初、第二のピークから西へ下り、山の西にある大湿原の東端に行くつもりでした。しかし、登りでばててしまったことと、時間的な問題(西へ下ると戻る距離が二時間分くらい長くなる)から、そっちは諦めて来た道を戻ることにしました。道の状態は登りで分かっているので、下りの労力や時間もある程度の見当を付けられて安心です。
コースタイムは一時間半。でも、ばてていることと、朝方降った雨とその後の霧で湿ったままになっている岩がやや滑りやすいこと、そしてばてていることがあったので、結局二時間掛かりました。やー、大変だった。ここから山頂までの往復で、水を1.5リッター位消費しちまいました。時間的なことを考えると、西へ降りずこちらへ降りてきて正解でした。その後は、沼沿いの遊歩道をワタスゲやキスゲの群落を見たりしながら戻り、峠を越え林道を下って、十八時過ぎに車へ戻りました。万歩計の数値は40801、結構な長旅でした。
おしまいに花の写真・・・と思ったけど、多過ぎるので別頁にすることにしました。ぴんぼけとか、花が咲いてないのもあります。また、名前の間違いもあるかもしれません。
名古屋場所千秋楽。実は見てないのですが、情報によると魁皇が千代大海を下して優勝したとか。千代大海が立ち合いから彼の持ち味である突き押しで持っていこうとしたのを魁皇がこらえ、今場所途中からの魁皇らしい強烈な寄り/押しで巻き返した、というような話をどこぞで読みました。脳内で補完しつつ映像再現。なかなかいい相撲だったようです。
魁皇は上位には強い。今場所も、下位の力士にぺこぺこ負けたりしているところを除けば、十分に強い。だから、怪我を治し安定して取れるようになれば横綱も夢ではないと思います。いつだったか、元横綱若乃花(にいちゃん)が彼を評して「ゴリラ(のように力が強い)」と言っていたのを思い出します。
ふと思ったこと。腕相撲の世界チャンピオンあたりに、この辺の力士なら勝てるのかな?腕相撲には技術が必要で、相撲界の力士はそっち方面については恐らく素人だから負けてしまうのかもしれませんけどね。
昨日の大リーグ・オールスター戦。初出場のヤンキース松井は初打席の初球から打ってって安打したそうな。当たり損ねでしたね。でもちゃんと振り切ってた。三度目の出場になるマリナーズのイチローは、三打席中二打席が四球。四球には安打と同じくらいの価値があります。貫録付いたのう。同じくマリナーズの長谷川投手、打たれちまいました。それでも、本人楽しめたようでよかった。
一方、大相撲。混戦です。今日までで三敗の力士が何人並んだのかしら。どうなるか、全く予断を許さぬ状況です。途中から横綱不在の場所となってしまいましたが、大関陣を中心に最後まで盛り上げてもらいたいところ。勝ち星の数も大事ですけど、見ていて興奮するようないい相撲をみんなに期待したいです。
前回の予告通り、富士登山に持ってったものや関連サイト紹介など。
富士っても、夏に登るのであれば他の山へ行くのと大きな違いがあるわけではありませんでした。基本的には普通の登山装備でOKと思います。ただ富士山特有の側面もありましたので、そこらも含めて書いてみます。あくまで私見ってことで、他のサイトやガイドブック等を参考にしつつ適当に加減して下さいまし。
項目 | こめんと | 重要度 | 価格 |
---|---|---|---|
靴 | サンダルやハイヒールは不可。砂が入るので、ハイカットのものを推奨。底が厚く固いものが疲れにくい&防水性のあるものが望ましいと思います。登山靴なら頼もし。履き慣らしておくこと。 | A | 10000円〜 |
靴紐 | 切れた時の予備。「まさか切れやしないだろう」で、もし切れたら?まともに歩けません。また、紐は靴底が剥離した時の応急処置にも使えます。ポリウレタン製ミッドソールを採用していて、買ってから五年以上も経っている靴は要注意。加水分解が進んでいて突然ばごっと逝く場合があるようです。 | B | 200円〜 |
靴下 | 厚手の、出来れば登山用のものを。濡れた時の為に替えもあると安心です。 | A | 1000円〜 |
長ずぼん | 伸縮性のある丈夫なもの。吸汗・速乾性素材なら尚よいでしょう。ジーンズは不適(だけど私はLevi's)。 | A | 5000円〜 |
ぱんつ(下着) | 吸汗・速乾性素材のものがオススメです。(ぶらじゃあにもそういうのあります。。。) | A | 500円〜 |
Tしゃつ | 同上。普通の綿のやつだと濡れて寒くなります。替えがあれば安心。 | A | 2000円〜 |
長袖しゃつ | 同上。っても、私はここまで手が回らず普通ので行きました。綿80%、ウール20%のやつ。 | A | 4000円〜 |
帽子 | ゴアテックス最強。欲しかった。。。風で飛ばされないように、あごひもの付けられるものを。 | A | 2000円〜 |
雨具(上下) | 防水性・透湿性の高いものが必須。全天候型のやや厚手のものなら防寒具にもなります。安っちいビニール製のだと汗で凍えます。凍えます。 | A | 10000円〜 |
手袋 | 速乾性素材で、撥水性も高いものがよいです。或いは革製。岩に手を付くことがあるので、丈夫なものを。安い軍手は濡れると悲惨です。 | B | 2000円〜 |
背負い鞄 | 登山用のザック(腰ベルト、肩ベルトの付いているもの)が疲れにくくてよいです。最低でも容量は20リッター級、30リッター以上あれば安心。 | A | 5000円〜 |
ザックカバー | 雨が降ったら鞄の中はぐしょ濡れです。中身をビニール袋に小分けして入れるのも大事ですが、やはり鞄全体も濡れない方が吉。 | B | 2000円〜 |
ウエストポーチ | 小物やおやつ、カメラなどを入れておくのに便利。 | C | 1000円〜 |
懐中電灯 | 防滴/防水機能付きのものを。ヘッドランプは両手があくので便利。夜間登山の場合、照射範囲の広いものが歩きやすく、白色LEDのやつは電池が長持ちするのでよいです。あと、マグライト。私は腕の長さくらいの紐で腰からぶら下げられるようにして行きました。明るいし、照射範囲を調節できて重宝しました。 | A | 1000円〜 |
予備の電池 | 折角ライトを持っていっても電池切れでは使えません。正しいサイズを確認して。単四や単三等の場合、アルカリマンガン電池が長持ちしてよいです。 | A | 100円〜 |
サングラス等 | 紫外線強いです。裸眼の方には重要。砂よけにもなりますので、透明なスポーツ用ゴーグルみたいなのもいいかも。 | B | 1000円〜 |
時計 | 何分歩いたら何分休む、といったことはあまりきっちり決めなくてもいいかと思われますが、山で行動する際は日の出や日没と無関係ではいられないので是非一つ。 | A | 100円〜 |
防寒具 | 風雨よけになる雨具の下に着られるものを。セーターとかフリースとか。夏でも富士山頂の気温は10℃以下で、20-30m/sの風もざらです。 | A | 1000円〜 |
ゴミ袋 | ゴミは持ち帰りましょう。 | A | - |
ちり紙 | トイレではトイレットペーパー以外使えません。常備されてる綺麗なトイレも増えてますが、無い所もあります。芯を抜いて適量を持つと楽です。 | A | 100円〜 |
タオル | 汗拭き用など。肩当て、首巻きにもなります。 | B | 100円〜 |
食べ物 | 山小屋でも(開いている時間帯なら)食えますが、値段が高いです。コンビニのおにぎり等の方がいいやも。カロリーメイト等の固形補助食品や、ゼリー状のちゅうちゅう吸えるやつも摂りやすくてよいです。 | A | 100円〜 |
おやつ | 甘いものとしょっぱいもの両方を用意しておくと飽きなくてよいかと。飴やガムもリラックスに役立ちます。 | B | 100円〜 |
水 | スポーツドリンクでもよいけど、市販のは濃いので薄めた方が飲みやすいかも。合計1.5リッターくらいあると安心。お茶や珈琲等カフェインの入ったものは、トイレが近くなるのでやや面倒です。 | A | 100円〜 |
救急用品 | 消毒薬とかバンドエイドとか頭痛薬とか下痢止めとか。 | A | 100円〜 |
地図 | 登山用の、新しいものを。登る前によく確認すること。登る前によく確認すること。 | A | 800円〜 |
方位磁針 | 地図を見る時に役立ちます。 | B | 100円〜 |
笛 | 何かあった時のために。 | C | 100円〜 |
カメラ | 記念に写真や動画を残したいひとは適宜どうぞ。デジタル機器の場合、寒いと電池の消耗が早いので注意。下界の半分くらいしかもちません。 | C | 1000円〜 |
お金 | トイレでは小銭が必要。日帰り予定でも一応15000円くらいは持っていくと安心。 | A | - |
健康保険証 | 倒れたら役立ちます。倒れたくて倒れる人はあまりいませんけどね。 | A | - |
日焼け止め | 塗るやつ。普段日焼けなど気にしない男性でも、晴れたら厳しい気がします。 | B | 500円〜 |
筆記具 | メモを取ったりする場合に。 | C | 100円〜 |
気合い | よっぽど慣れている人は別として、通常は無いと登れません。 | A | ∞ |
上記中、普通のお店で売ってないようなものは、(気合い以外)大体登山用品店で売ってます。一度覗いてみると面白いでしょう。
事前の情報収集に役立ったサイトなど。
富士登山(夏期)の総合情報サイト。よくまとまっていて、ここを読んでおけば大体OK、ってな作り。
総合情報サイト。URLが潔いですね。「富士登山のノウハウ」のコーナーは一部が特に役立ちました。
富士急の宣伝といった匂いの少ない、総合情報コーナーになってます。
当日と前日の富士山頂に於ける気温、風向、風速、天気が見やすく表にまとめられています。
台風の夜に須走口から登った時の、貴重な挫折記。挫折記とて侮る勿れ、下手な成功報告の何倍も役立つ情報が込められています。
偉大なるアホ企画(←褒めてる)の報告記。半ば挫折記でもあるので、教訓も多いっす。っつか、いのちをたいせつにね。(めも:雑記ログ/2003年07月分)
須走口からの登頂までの辛苦と登頂後の感動が、写真と共にリアルに綴られています。
漠然とした題ですが、高山病についての記事です。
やや見にくい白黒画像だけど、細かい地形まで分かるので使えます。但し、登山道の表記は古いので注意。
厳選したつもりなのに、結構多くなってしまいました。
昨日の行程紹介で書き切れなかった細部を少々補足。
こんな記録に意味があるのかどうかは置いといて、ひとまず自分の覚え書きという感じ。
須走口は比較的すいているし、高山病になりにくい条件が揃っているし、下山も楽なので、(他と較べてないけど)お薦めです。七合目から八合目あたりに一泊すれば、さほど体力に自信の無い人でも大丈夫だと思います。大事なのは、ゆっくり歩くこと、深く呼吸すること、水分や栄養をきちんと補給すること。(宿泊する場合は、睡眠時の雑音遮断用に耳栓を持っていくといいとか。)
とは言え、必要な装備を揃えたらそれで万全だということではありません。日頃身体を動かしている人ならよいのですが、運動不足の自覚がある人はそれなりに身体に喝を入れてから行きましょう。事前に手近な山へ登ってみるのもよいし、近所をジョギングするなり自転車で少し長く走るなりといった事も効果的だと思われます。通勤・通学時に「隣の駅まで/隣の駅から」気合いを入れて歩く、ってだけでも大分違います。
当日は体調を整えておくこと。不調なら先送りするべきです。実際に山へ行っても無理しないで下さい。無理だと思ったら素直に退く勇気を忘れずに。無事に戻ればまた挑戦出来ますから。登頂成功率は2/3とか1/2とか言われています。「初めてなら失敗してもともと」くらいの楽な気持ちで行くのがよろしいかと。
週末、また山へ行ってきました。今回は知り合い二名の「引率係」として山梨県/静岡県最高峰の富士山(3776m)へ。私も初めての山なので、引率どころか足を引っ張って泥沼に嵌めるようなところもありましたが・・・恥を忍びつつ、大まかな時刻表示付きで行程紹介。時々、()内にその地点の標高を記します。
用賀ICより東名高速へ。渋滞無し。曇天だが時折陽射しも見え、暑い。
御殿場ICで降りて国道138号へ。途中でお食事。須走口へ向かうふじあざみラインでは、キジみたいな変な鳥が目の前を急いで渡ったり、道路脇でウサギが何か喰ってたり、若いシカがびっくりしてぴょいぴょい逃げて行ったりした。
須走口第二駐車場着。霧。百台近い車があるが、まだ空きもある。準備して出かけて行く人達や、新たにやって来てこれから準備を始めそうな人達も幾らか居る。天気悪いのに(しかもこれから下り坂なのに)ご苦労なこった。自分もか。時折雷の光る中、薄い酸素への慣らしも含めてゆっくりと登山準備。隣は、名古屋から来た三菱デリカのおっちゃんだった。
駐車場のすぐ近くに、ぴょっこりと黒いピークが見えた。初めは何だろう?と思っていたが、くよくよ考えたらこれが目指す富士であった。向かって右の肩には、山小屋の明かりが固まっている所がある。恐らく、あれが須走口/河口湖口/吉田口登山道の途中にある「山小屋銀座」。後で通って確認したら、八合目から本八合目にかけてそれがあった。
登山口にある山小屋&お土産屋「菊屋」のおばあちゃんにしいたけ茶を貰い、帰りにお土産を買う約束をさせられた後見送られ、いよいよ登山開始。最初に古御岳神社(2000m)というのがある。後で確認したところ、ここが登山道と下山道の分岐点だった。が、この時は迷うことなく向かって左に見えた道へ進んだ。
何の疑問も抱かずに、樹林帯の中の下山道をゆっくりゆっくり登る。ライトとか脈拍とか雷とかいったことばかり気にしていた。
車が通れそうな幅の道と交差。何じゃこれ?と思ったが、そのまま下山道を進む。
砂払五合(2230m)に到着。地図を取り出し、ここで初めて自分が大きな間違いを犯していたことに気付く。ここから登っていく道は、砂走りの下山道である。そして、ここから北側の登山道へ通ずる道は、(明るい時に見れば探せたのかもしれないけど、夜の闇の中では)見当たらない。その旨同行者に告げ、詫びまくりつつ、どうするか選択肢を示した。
戻るのが一番無難なのでそう言ってみたが、同行の二名は「ここまで来たのに戻るなんて嫌です……、そんな事言う人嫌いです……。」といった雰囲気だったので、頑張って登ることにした。しかし、何故こんなくそまぬけな間違いを?後でくよくよ考えて分かったのは、私の持っている古い登山用地図ではこの砂払五合で登山道が分岐していて、私の脳みそにはそれがしっかりと刷り込まれていたらしいということ。教訓。登山時には、新しい登山用地図で道をよく確認しましょう。
砂走り下山道を登坂開始。ふかふかした砂礫の、下りやすそうな路面である。ああ下りやすそうだなぁと思いながら、足をずりゅずりゅ滑らせて登る。滑るからやっぱり戻ろうか?と同行の二名に再度選択を迫るも、先程と同じく「戻るのは嫌です……。」といった強気の意見。腹を括って登る。脚力の強化には良さそうである。つまり、無駄に疲れる。私は(この程度の標高なら)無駄に元気だからいいとして、同行二名がここでの体力浪費が元で登頂出来なかったらどうしようと思い、くそまぬけな自分を呪った。
ずりゅずりゅ登っていくうちに、強い雨が降り出した。ゴアテックス雨具を取り出し、初めて上下着用。雨でも路面状況が悪くならないのは、やたら水はけのいい富士山の利点か。登山道への分岐はまだ見当たらないが、同行のKさんが持っていた文明の利器「標高を測れる時計」で、地図と合わせてあとどれくらい登れば分岐点なのか大体把握出来たので助かった。
地図と実測標高から想定した分岐点の少し手前に、「本五合(林館)へ」という看板が現れた。同行二名の体力と心持ちを考えて、少し下ることになるがここから登山道の方へ移ることにした。直線距離で200m弱、若い山らしい小さな谷を越えて一つ隣の尾根に行くだけなので、多少道が悪くても大丈夫だろうとの判断。林館の明かりも見えている。道を示すペイントマークは沢山あるが、闇の中で見失わぬよう、慎重に進んだ。
本五合(2425m)林館に到着。自家発電による電灯に照らされた鯉幟を見て、ほっと一息。本来なら登山口からここまで一時間、ゆっくりゆっくり来ても二時間程度と思われるが、結局三時間以上掛かってしまった。この時点で、日の出前の山頂到達は無理だと諦め。しかし、どの道天気が御来光を拝むことは許さないだろう。10分程休んでいると雨も殆ど止み、気分を新たに登山道を登り始めた。登山道っていいな、登りやすくて。
六合目(2630m)瀬戸館着。Kさんの時計の標高表示は2635m。かなり正確で感心する。少し前から同行のYさんが眠気を訴えていたので、10分程仮眠を取らせる。っても、山小屋の前の丸太ベンチに座ってうとうとするだけ。01:20には出発。
薄い雲越しにその光を届ける満月(正確には月齢13位)に驚かされたり雲の隙間に見える数多の星星に励まされたりしながら、七合目(2920m)大陽館に到着。風が強い。十名程の若いパーティと一緒に25分程休む。雑談などもする。彼らも初めての富士登山だそうだ。この後、本七合まで彼らと前後しながら登ることに。
本七合(3190m)見晴館着。何となく一緒に登ってきた感じのパーティは、ここで2000円の休憩料を払って休んでいくことにしたそうな。御来光目当ての宿泊客が捌けた後なので部屋には余裕があるはずだが、私達は軽く休むに止め、山頂を目指して出発。
眠気や息切れでふらふらしがちなKさんを励ましつつ、八合目(3270m)江戸屋に到着。ここは、駐車場からそして道中でもしばしば見えていた「山小屋銀座」の下の端といった場所。河口湖口/吉田口下山道が分岐する地点でもある。有名な下山者向けの案内板を目にして、ああコレがアレかと思う。まるで観光客。いや、この時期に富士山へ登ってる時点でもう観光客だからいいのか。20分程休んで出発。
本八合(3360m)江戸屋(胸突江戸屋)着。よれよれのKさんがかなり厳しそうなので、小屋に入って休憩。一杯400円のインスタントココアを頼む。休憩料と思えば安いのかもしれない。同行の二名は一杯400円のインスタントみそ汁を食した後、仮眠。幸い他の人の出入りは少なく、長居出来た。少しは回復するといいのだが・・・
30分強の仮眠でYさんはかなり元気になった様子だが、Kさんはまだ危うい感じ。大丈夫だろうか。無理ならここから下山すべし。問うと、登ると言う。その見上げた根性を信じて、山頂を目指すことにする。十分なストレッチをして出発。酸素が大分薄くなっているので、酸素摂取能力の低い私としてはここからが勝負。標高差だけで言えば、残りは高尾山一回分(京王高尾山口からの場合)程度。意識的に息を強く吐きながら、ゆっくりゆっくり砂礫と岩の混じる道を登る。
目指す山頂(にある山小屋群)はもうすぐそこに見えている。行くべき道も全て見えている。「すぐそこに見えるけどなかなか着かない」と以前どこかの記事で読んでいたが、そういう状況には慣れているし(南から登る時の金峰山五丈岩め!)、歩けば歩いただけ山頂が近づくので、見えていることはむしろ励みになった。ただ、Kさんが辛そう。辛そうというか、眠そう。いや、寝そう。目を覚ましてやろうと思って真顔でギャグをかましつつ励ましたら、効いた。本当はKさんのザックを持とうかと思っていたんだけど・・・実際には、この時に飲んだ少々高価な栄養ドリンク剤が効いたのだろうと思われる。
因みに、Yさんは余裕こいてました。登る途中でしばしば脈を計ったりしてたんですが、Yさんは心臓が強いみたい。下の方で90-100/min.、上に来ても130/min.程度。私は下で110-120/min.、上の方では140/min.近く。Kさんは下で140/min.、上では160/min.くらい。個人差はありますが、持続的な運動をする場合は大雑把に言うと心拍数を
(220−年齢)×0.75[回/分]
以下に保つのが無難です。20歳なら毎分150回、33歳なら140回、47歳なら130回程度。
富士山頂上奥宮(3720m?)、或いは山頂の山小屋群に到着。万歩計の数値は10955。ここは、富士登山者の約半数が登ると言われている河口湖口/吉田口登山道の終点でもあるため、山頂を成す周上では一番賑わっている領域。観光地富士山の面目躍如といったところか。予想通りとは言え、ちょっと不思議な気もしてくる。何だってみんなこんなとこまで登ってくるんだ?自分もか。幸い、時間帯が半端でさほど人は多くなかったゆえ、まだいい方なのだろう。
山口屋支店という山小屋で休憩する。一番安い400円のコーンスープに一瞬目が眩むも、ここは話の種にと800円のみそラーメンに挑戦。案の定インスタントだったが、結構ぜいたくな支那竹とワカメ、刻んだネギが載っていたので感心した。気圧が低いため水の沸点もやたら低い富士山頂でインスタントラーメンをまともに仕上げるには、やっぱり積み上げたノウハウか何かがあるのだろうか。
しばらく休み、元気の出たらしいKさんが、地図を見ながら剣ケ峰(3776m)に行こうと言い出した。確かに、当初の予定では「余力があったらお鉢巡り」としていたが、ここまでのKさんの状態を考えて却下。残念ながら却下。有無を言わせず却下。Yさんにもその気力は無いようだった。お鉢巡りは次回(あるのか?)にしましょ。っつーか、登る途中あれだけへばっていたKさんをしてそんなことを言わしめるこの富士という山は、やっぱり偉大だと思う。
お鉢巡りをしない代わりに、山小屋群の脇から火口を見に行ってみた。火口は、想像以上に凄まじかった。これだけでも、登った価値があったと思った。霧が晴れて、反対側の剣ケ峰もよく見えた。いつかあそこに立ってやる、と心に誓った。
下山開始。下山道を下る。噂の「砂走り」をいよいよ体験。柔らかな砂礫の道を、大股でしゃくしゃくと下る。土踏まずに体重を掛けるようなイメージで足を運ぶと、滑りながらも体重が足から逃げずにうまく歩ける。楽しい。
八合目、河口湖口/吉田口下山道との分岐に到着。ここから山頂まで、登りは二時間半近く掛かった。山頂からここまで、下りはたったの半時間。やくごばいのそくどである。びっくりだ。山頂はもう遥か彼方、霧の中。バイバイ、山頂。
途中、所々普通に歩かねばならぬ領域もあったが、概ね快調にすっ飛ばせた。七合目、大陽館前で休憩。明け方にもここで休んだ。その時の自分と今ここで休む自分は、ちょっとだけ何かが違うような気がする。不思議。登る時は気付かなかったが、ここには白い犬が二匹いた。わんわん吠えた。朝は閉ざされた犬小屋の扉の奥で眠っていたのだろう。
登る時に通ろうと思っていた、登山道六合目への分岐を発見。本五合(林館)への分岐は、そこから(下りで)127歩の所だった。その先(ちょっと下)には、昨夜自分の付けた踏み跡があった。下山道の脇へ数歩延びた後、大人しく戻っていた。
林館への分岐から約1200歩、砂払五合に到着。はやいもんだ。生憎湿っているので靴や裾の砂は払えず。でも、たった二時間で1500m近い標高差を下り切ってしまった。すごい。かなり楽な下りだった。同行の二名も何ら問題無く下りられてよかった。
「もう下りてきたぜ」ムードでのんびり休み、鳥居を正規の向きに潜って最後の樹林帯へと向かう。昨夜は真っ暗だったので、今度は明るい道を周囲に目を配りながらゆっくりと下った。種類は少ないながらも結構な数の花が咲いていたし、ギンリョウソウなんかもあった。苔むした岩や明るい広葉樹。優しい感じのする道だった。脇目も振らずにすこすこ下りていく他の下山者をいっぱい見送った。この道を通るのは初めてという人も多いと思うんだけど・・・
古御岳神社に到着。自分のくそまぬけな間違いを確認すべく、神社に向かって右にある登山道を見に行った。足元には、よく目立つ「←登山道」の案内板があった。ちきしょう。
登山口着。おつかれさん。菊屋のおばあちゃんが笑顔で迎えてくれた。こちらも笑顔で応えた。昨夜の約束通り?、お土産を買った(のは同行の二名だけだった、というのはヒミツ)。このおばあちゃん、商売っ気はあるんだけど朗らかな人柄が滲み出ていて、憎めない。こういった観光地では「お金落としてってー、お金落としてってー、お金落としてってー!」光線の強すぎる人が多いのに、大したもんだと思う。長生きしてね。
万歩計の数値は22168。登山口から山頂まで(10995歩)と、山頂から登山口まで(11213歩)とがほぼ同じ。通常は、登りのカウント漏れが多いため下りの数値が登りよりもかなり多くなるが、ここでは均等だった。他の山と較べて如何に下りの一歩が長いか/下山道の道のりが短いかを物語っている。
登山口から第二駐車場まで、舗装路の上を僅かな登り。最後の試練。ここで息が切れ頭が痛くなったのはナイショにしといて下さい。車に戻り、あー無事戻れてよかったー、と思う。思えば長い「一日」だった。いきなりくそまぬけな間違いから始まってるし。それでも無事登頂を果たし戻ってこられたのは、同行諸氏の心の強さがあったから。改めて敬意を表したいと思います。
ふじあざみラインを車で下山開始。すごい急坂が続くので、ギアを1速に入れてもスピードがどんどん上がってしまったりする。ブレーキ過熱注意。そう言えば、来る時にはこの道で変な鳥とか兎とか鹿に会ったっけ。まだ20時間程しか経っていないけど、もう随分前の事のようにも感じられた。ひっそりと霧雨の中に沈むこの森のどこかに、彼らは逞しく生きているのかな。いつまでも彼らの暮らせる森であって欲しい、そう思った。
てなわけで、予想通り予想だにしなかったような問題を含め色んなことがありましたが(一番予想すべきだったのに出来なかったのは自分のくそまぬけさ加減だ)、一言で表すれば「楽しい」登山でした。剣ケ峰登頂を果たせなかったことが無かったとしても、「また来たい」と思わせる山でした。富士山に登ると言ったら須走口を薦めてくれたきしさんにも感謝。まだ他のルートと較べることは出来ませんが、単独で評価しても変化に富んだ魅力ある道だったと思います。
次回は、持ってったものとか事前の情報収集で役立ったサイトの紹介などをするよてい。
この地図ではまた登山道が違ってますね。ややややこしい。
大相撲名古屋場所。武蔵丸はやっぱり怪我が原因で途中から休場、一人横綱となった朝青龍はまたもやたいへんだ。で、その朝青龍、今日は高見盛に破れてしまったようです。見たところ、横綱の心には迷いがある。そりゃ横綱だって普通は人間ですから、迷いがあって当然。しかし、それを他者に悟られぬよう勝負の場では平常心を保つのが一流の勝負師。ガンバレ。
山行記。今回は、元は富士山にも匹敵するくらいだったらしい大きな火山群の成れの果て連峰。ここの火山群は今から百万年以上前に活動を開始し、二十万年前くらいに最も活発、現在では磐梯山の如く山頂部が吹っ飛んだその残骸しか目にすることは出来ません。しかし、その膨大な裾野を見ればこの山が並々ならぬ規模であったことは想像に難くない。そんな山の、ぼこぼこしたピーク一つを目指しました。
当日朝の天気は雨。選んだ道は不人気な尾根。稜線付近を除いて人は少なく、比較的静かな山を楽しんできました。最初の尾根登りに入ると、こないだ他の山で見つけたギンリョウソウが沢山生えてます。沢山ありすぎて、珍しさが消えるくらいでした。実がなったような状態のも下の方で見ました。やがてギンリョウソウも消え、どんどん高度を上げてゆきます。
出発点の標高が既に1800m近く、目指すピークまでの登りは比較的緩やかなので、そんなにきつい登山ではありません。やっと「最強」ゴアテックスの雨具を試す機会に恵まれ、霧の樹林帯をふよふよ登ってゆきました。しかし、長い。地図にある白丸ポイント(登山道を幾つかの区間に分ける印)がどこなのかも分からぬまま、ただただ霧の樹林帯をたらたら登ってゆきました。長い。あ、ゴアテックスはいい感じでした。
やがて高山植物の花もちらちら現れ、山頂まであと三十分と書かれた看板も出てきて、いよいよ森林限界を超えます。ハイマツ帯に入り、足元には風化しつつある溶岩らしいごろごろ岩がごろごろし出して、落石を起こさぬように気をつけながら薄くなった酸素の中をのたのた登りました。ぷいと飛び出した岩にはイワヒバリみたいな鳥もいて、別に私を歓迎してるわけではないのでしょうがぴよよぴいよよぴぴぴ啼いています。かわいいな。
そして稜線に到達。小さなピークがあり、尾根を登る途中に休んでいる私を追い抜いていった人が言っていた通り、花がいっぱい咲いてました。っつーか、いっぱい咲きすぎ。どれが何やら、分かるものもありましたし分からないものもありました。写真を撮りに来ている人もいて、聞くとこの十日で三回目だとか何とか。今までに見たことの無かった花もあったし、この山の他の部分にはあるらしいけどここいらには無いだろうと思っていた花もあったし、いつの間にか雨も止んでいて何だか得した気分でした。
霧の稜線を、写真を撮りながら目指すピークへと散策。道は緩いので散策。こんな崩れそうな砕けた溶岩の砂によくもまあ生えるねえこの高山植物の女王様はまったく、とか思いながら、程なく山頂へ到達しました。西側が切り立った崖になっている岩峰。そこでお昼ご飯にしました。いつものコンビニおにぎり。天気のせいか人は多くなく、二三組とすれ違い気味に出会っただけでした。関西から来てたと思われる女性二人組とか、家族連れ風の三人組とか。ここで思い出したように雲が薄くなりました。薄日を浴びた岩が温い。
一息ついて、帰路へ。来た道を愚直に戻る前に、ちょっと先まで行ってみました。ここから先はややスリルのある岩場で、たまに落ちて怪我する人などもいるようです。でも、あまり進まず、そこらにあった(それまでに見ていなかった)花の写真などを撮り、戻りました。そういや、先刻すれ違った人はハイマツの間にオコジョさんを見たとか言ってましたっけ。あいにく私は会えませんでしたけど。
天気はその後崩れることなく、時折青空が見えたりまた霧の中に入ったりしながら、長い尾根道を急がずに歩きました。道は「完璧に整備されている」とは言えないもののさしたる悪路といった風でもなく、特に問題無く降りてきました。休日なのに人は希薄。静かな、静かな下山でした。
下山して、登山口にあった「下山者ノート(登山時に入山届を出した人が記すもの)」を見てみると、この日この尾根を下ってこれを書いたのは私を含めて三人(三組)だけのようでした。それはいいとして・・・少し前の方も面白がって見てみると、登山道が荒れてるぞ、ちゃんと整備しとけゴルァ!みたいな書き込みが複数あり、何だかちょっと残念な気持ちになりました。てめえが直接金払ってるわけでもねえだろうし、道はそんなに荒れていたわけでもないのに、あんな書き方をしたら登山道を管理している人達はどう感じるでしょうか。文句をつける前に、自分の歩行技術を上げればいいのにな。。。
おしまいに、花。一部ぴんぼけ御免。
深山唐松 |
舞鶴草 |
小深山酢漿草? |
三葉黄蓮 |
? |
御前橘 |
深山大根草 |
御山の豌豆 |
岩鬚 |
岩梅 |
深山塩釜 |
長之助草 |
白山一華 |
深山金梅 |
得撫草 |
駒草 |
深山旗竿 |
深山苧環 |
岩弁慶 |
例によって記してある名前もマチガイかもしれません。読み方は順に
です。酢漿草とか苧環とか、読めないっすね。
「ダニ 登山」で検索して見つけたサイト。すごい情報量です。いや、ダニの情報はそんなに多くありませんでしたが、いっぱい歩いている人です。文章も読みやすい。
くま特集。
ネコ目
じゃなくて食肉目という書き方をよく目にしますが・・・私も単独で山に入ることが多いゆえ、いつもくまには気をつけています。お互い、無用な争いは起こしたくないもの。いろいろ書いてありますが、結局のところ
物に頼るのではなく、人間のもつ五感をフルに活用して周りのほんのわずかな異変をも察知できるよう、アンテナを張り巡らせることが最も大事なのではないでしょうか。
この辺りが肝だと私も思います。精進しよっと。
んー、鈴は場合によりけりですか。出会ったら、「穏やかに話しかける」ってのが有効だそうです。「やあくまさん、こんにちは。ちょっとお邪魔してます。ごめんね、すぐ立ち去るからさ。」とか心を込めて言えば、きっとわかってくれるでしょう。いや、マジで。
瞬間芸。
今日はたなぼた。棚からぼたもちが降ってくる日だとか。海の向こうでは、シアトル・マリナーズの長谷川投手が監督推薦でオールスターに選ばれました。今季は出るたびにきっちりシゴトをしていたので、その実績を評価されてのものです。おめでとう。それから、同じくマリナーズのいちろうとヤンキースの松井も選ばれました。大したもんだ。
一方、海のこちらでは、昨日から大相撲名古屋場所が始まりました。まだよく見てませんが、怪我による欠場力士が減っているとか。よいことです。先場所までは何だか悲惨でしたからね。怪我といえば、今場所の幕内力士のうち、身長180cm/体重140kgを両方とも満たしていないのは一人、海鵬だけです。無闇な大型化も怪我増加の一因かと思われます。ここらで、親方レベルでの意識改革が必要なのではないかと。
さて前回の続き、下山篇。山頂付近の花々に別れを告げつつ、長い下山の始まり。スリムなムーミンパパ主人の居た山小屋まで一時間十分程。「高い山の上の方」といった雰囲気を漂わせる領域も、降りるのは一瞬といった感じです。あとは普通の山道へと続きます。山小屋で再び(ちょうど空になった)500mlのペットボトルに水を汲み、どこかから戻ってきたらしい主人に挨拶して歩き始めました。そこから二三分で、何だかちょっといい感じの空間を発見。樹林中で、水の集まる場所らしくシダ類がいっぱい生えています。あ、ここは写真に撮ろう、と思ってカメラを取り出そうとした瞬間、誰かの視線を感じました。
岩陰のクモマナズナ? |
ちっす。 |
ニホンカモシカ。しばらくこちらの様子を観察していましたが、私が襲ってこない(せいぜい写真を撮るだけ)と判断すると、(恐らく再び)食事を開始しました。何やらうまそうに喰っています。もしゃもしゃ。カモシカはあまり逃げないと聞いていた通り、ニホンジカと違ってぴょいぴょい逃げたりしませんでした。何枚か写真を撮り、ばいばいしました。ばいばい、元気でな。
そこからはこの日最後の登りらしい登り。と言っても標高差で80m、時間は三十分弱の緩い道。難なくこなし、少し休んで先へと進みます。がしがし下り、途中の広場で休んだりしながら四十分程で廃れた旧峠に到着。この時点で万歩計の数値は31500歩程でした。数だけで言えば、これまでの登山では既に最高。でも、まだ余力はありました。
廃れた旧峠から少しだけ登り、新峠を抜け、最初の山小屋のあった峠へと向かいます。ここいらから、少し雨が降ってきました。段々強くなるようだったので、こないだ買った必殺のゴアテックス雨具を使う好機か?と思いました。でも、もう標高が下がってきているし、止まって休む時間もさほど取らずに進めそう=動いてる間は寒くないし、木々が雨を弾いてくれてあまり濡れないので、そのままの格好で歩き続けました。
もう少しで山小屋のある峠に着く辺りで、前から高校生くらいの男の子二人が来ました。ん?こんな時間にどこへ行く?と思ったら、「すみません、この先に水場はありましたか?」と訊いてきます。水場?あ、下の峠脇のキャンプ指定地で幕営するのか。で、水場?ここまでは、ただの尾根道でしばらく水場などありません。水場なら幕営地の近く、恐らく幕営地よりも下にあるはずでしょう。そう告げると、彼らも私と同じ道を山小屋のある峠方面へと戻りました。
やや強い雨の中、峠に到着。ここまで来れば私は「もう下山したも同然」な気分です。水場を探す彼らと幾らか話をしました。幕営地にはもう二人居て、一人は高校生くらいの男の子その三、もう一人は、二十代後半くらいの女性でした。引率のせんせいかしら。でも、キャンプの事などはあまりよくわからんちんな様子。んー、どういう集団なんだろ。まいっか。
私の地図には、その幕営地付近に水場マークはありません。水場があるとすればどこかの沢の源頭付近でしょうから、地図を見て指しながらそう助言しました。ここいらか、ここいらじゃないのかな、と。先に水場があるなら踏み跡があるはず。私の持っていた水(手付かず:登山口で汲んだ1.8リットル)をあげようかと言ったら、どうにかなると思いますんでいいです、と言われました。ま、最悪の場合、登山口まで戻れば汲めます。日没まではまだ時間があるので、頑張ってねと言って去ることにしました。
そして私は最後の区間へ。登りで異様に苦労した標高差400m弱です。時間にしてたかだか三十分、整備された道なので雨で濡れていても問題無し。ですが、ここまでの長い行程で脚が疲労していました。思ったよりたるかったっす。下の方なので気温も高め。汗をかきかき下りました。ふへー。結局、下りはコースタイム合計五時間四十分のところを休憩込みで四時間ちょい。速めに歩いたと言うよりは、区間によってコースタイムがやたら甘かった、という印象でした。万歩計は39674歩。文句無く今季最高値。
何にせよ今回も無事行って戻りました。最後に、花の写真でも並べておしまいにします。
? |
? |
? |
ヒメイチゲ |
コメバツガザクラ |
タカネナナカマド |
ミヤマタネツケバナ |
ウラジロナナカマド |
オオカサモチ |
註:名前の書いてないのは全然わからんちん。書いてある名前もマチガイかもしれません。正しい名前の分かる方がいたらおしえてください。(mailto:rj-taka@t3.rim.or.jp)
山行記、一昨日の続き。山小屋のある最初の峠から、尾根伝いに目的の山へと向かいます。峠の付近には、色んな高山植物らしきものの花が咲いていました。かなり賑やかです。道は一旦僅かに下り、やがて長い長い登りへ。尾根の西側を歩く感じ。薄暗い樹林帯で、きのこが増えました。まだまだ先は長いぞと思い、ペースは控え目。この山域に入るのは初めてなので、いろんなことを感じながら歩きました。
やがてもう一つの峠へ。ここは近くにあるピークの西側を巻く(回り込む)箇所で、昔はその先にある鞍部(尾根にある凹んだ所:馬などの鞍のような部分)が峠だったそうです。つまり、私の歩いている道と交差する道がかつては存在していた、と。今では廃れまくっていて、殆ど見る影もありません。手元の古い地図にすら載っていないようです。山小屋のあった峠からこの旧峠までのコースタイムは二時間、掛かったのは一時間半。お?少し早いかな?と言うより、コースタイムが甘いだけのような気が。
そこから更に登ります。周囲の相が少し変わり、標高が上がってきたことを実感。三十分程でちょっとした広場に出ました。西側には、当初行こうと思って行けなかった山が先刻より少し近づいて見えます。天気は回復傾向。足元には色んな花が咲いていて、ミネウスユキソウなどもありました。しばし和み、また歩き始めます。石がごろごろだったり深い樹林に入ったりしましたが、登り自体はさほど急ではなく、ずいずい登れました。でも、酸素が少し薄くなってきています。標高は2150mから2500mくらいの区間。
廃れた旧峠から一時間十分で、小ピーク下の交差点に出ました。廃れた旧峠からのコースタイムは二時間となっていますが、いくらなんでもこれは間違い?そんなに急いだ覚えはありません。登山口からここまで、コースタイム五時間のところを休憩込みで四時間。これなら、思ったより楽に登り切れるかもしれません。ともあれ、小休止して出発。ここからは、鞍部にある山小屋へと下ります。
ゆるやかに下り、三十分弱で山小屋へ到着。広場にある、大きな山小屋です。ちょうど主人らしき人がペンキ塗りをしていたので、挨拶しました。こんにちはー。こんにちは。今日はこれからどちらまで?○×(目的のピーク)、余力があれば△◇(その先のピーク)までです。日帰りですか?そうっす。何だか異様に人のよさそうな、ムーミンパパをスリムにして山男にしたような人でした。ここから先に水場は無いから、小屋の脇で水を汲んでいって下さい、とな。ありがとう、そうします。因みにここまで、500mlのペットボトルが丁度空になるくらいの消費量でした。水場で水を汲み、飲みます。ぷはー。むちょけちゃ冷たい。んまい。これがあるから山はやめられません。
主人に挨拶して出発。いきなりの急登です。水が流れていたらちょっと歩きにくそう。でも、急な道はすぐに終わり、白桧曽(シラビソ/シラベ)に囲まれたゆるやかな尾根道となりました。気分いいなあ。ちょっと前から太陽もちろちろ出てきて、薄い霧に包まれた樹林に光が差し込みます。綺麗。
山小屋からの急登。 |
霧、陽、樹、岩、苔。 |
「ガマの岩」と名付けられたへんちくりんな岩を見やり、徐々に標高を稼いで、コイワカガミやキバナノコマノツメ等が増えてきた頃、森林限界を突破しました。標高は既に2600mを超えているでしょうか。かなり高い所まで森がある山だと思います。ごろごろした大きめの岩が増え、山の上の方に来たぞ、って雰囲気が漂います。わしわし登ると、当初行く予定だった山が更に間近に迫ってきました。ちょっと雲に覆われ気味ですが、迫力あります。カッチョイイ。そして、前方には目指す峰も見えてきました。いよいよ頂上へのアタック。
ごろごろ岩の小ピークを越え、鞍部にある三つ目の山小屋脇を抜け、足元の花を見ながら花崗岩の(所々砕けて砂礫になった)道をずいずい登っていって、目的(仮)のピークに到着。やった。半分以上雲海だけだったけど360度の展望を独りで味わい、ふーっと一息。気持ちいいや。主人が居た大きな山小屋から一時間半、コースタイム通り。登山開始からは約六時間の道のりでした。長かったかな?でも比較的楽でした。緩い登りが多かったせいでしょう。
当初登ろうと思ってた山。 |
目指す第二のピーク。 |
まだ正午までは時間があったので、少し休んでからその先のピークへ足を伸ばしてみることに。そっちの方が80mくらい高く、セットで語られる三山の中では最高峰となっています。行くべき稜線は見えていて、見るからにすぐ行けそうな距離。ひゅうひゅう吹き上げる風に心地よさを感じつつ、珍しい花を見ながらほいほい歩いて三十分強。標高2840mのピークに達しました。ここにも誰も居なくて、山頂独占。また360度の写真を撮り、丁度お昼頃だったのでゆっくりとおにぎりを食べました。因みに、ここまでで万歩計の数字は20000歩を超えていました。登りなのにすごい多さ。道のりの長さと緩さを物語っています。
風に吹かれておにぎりを食べていると、遠くに何か見えてきました。ん?あ、富士山。ヤーイ。反対側を見ると、お?アレは今度行こうと思ってるでかい山かしら。あっちも、こっちと同じく花崗岩の山です。雲の切れ目からちろっと頭を出したその姿は壮麗でした。あそこは、北東に伸びる長い尾根から登ると決めています。日帰りは無理なので、一泊して登る予定。って、気が早いですね。
今度登ってやるのです。 |
歩いてきた尾根と富士。 |
下山篇へ続くっ。
では、一昨日の「やってみよう」の見方。自分の描いた絵を見ながら読み進めて下さいな。
順に少々補足します。
私の場合の解釈を記してみましょう。
やってみたみなさん、いかがでした?繰り返しますが、所詮遊びですのであまり深刻にならぬよう。
昨日の「やってみよう」の見方について説明する前に、言っておくべきことがあります。これはただの遊びで、「科学的根拠に基づいた診断」の類ではありません。また、その見方を説明した後で絵を解釈するのは、絵を描いてみた貴方ご自身です。あくまで遊びなので、自分で出した結果を笑って流せずに怒り出す可能性のあるひとは、この後説明する「見方」を読まないで下さい。
いきなりここに載っけるのはキケンかしら。念の為、次に回していいですか?
ということで、今日は別の話題を。また山行記。今回は、以前から登りたいと思っていた高い山を目指しました。三峰セットで語られることの多いその一番北にある峰です。盆地から割と真っすぐな県道を進み、続く林道へと入ります。がんがん林道を登っていくと、やがて長いトンネルの手前にある駐車場に出ました。行くべき登山口はもっと先です。しかし、トンネルの手前で林道のゲートが閉まっていました。
アレ?
そこにあった電光掲示板その他によると、4.2km先で崩落があり、危険なので歩行者ですら通行止めだそうです。ダメじゃん。困ったな。登山口へは他の車道からも接近出来ますが、今からそちらへ向かうのはかなり面倒です。直線距離は近いけど、道のりはすげえ長いので時間も掛かります。日帰りの予定なのに、出発が遅くなると予定していた長い尾根下りは出来なくなりそうです。諦めて、通行止め地点の駐車場からすぐに登れる山へと目的地を変更しました。ちょうど手頃な山があり、ピストン(往復)で行けそうです。
こちらも、三つの山がセットで語られることの多い所です。但し日帰りで三山制覇は無理っぽいので、正午を目安に行けるとこまで行くことにしました。日の出ちょい後から歩き始めて、正午まで進んで、少し休んでそこから戻るという行程。行きは登り中心、帰りは下り中心だから、日の入りまでにはちゃんと戻れるでしょう。大雑把な行動計画ですが、その割には理に適っています。たぶん。
最初の区間は、峠までの登り。道はよく整備されていて歩きやすく、まだ気温も上がらぬ早朝なので快適に登れ・・・ませんでした。異様にきつい。朝一番の登りは身体がまだ慣れていないからゆっくり行こうと思ってゆっくり行ってるのに、きつい。汗だくだくだくになりながら、標高差約400m、樹林帯の中の急登を一時間。コースタイムも一時間。きつかった。
山小屋のあるその峠から、最初行こうと思っていた山がその南の二峰と共によく見えました。ちきしょう、いつか登ってやるからな、待ってろよ。小休止しつつ、そんなことを思いました。そういや今回からデジタルカメラのCFカードを増強しまして、写真を沢山撮れるようになりました。ここでも何枚か撮りましたので、載せてみましょうか。枚数増やすと記事が重くなって大変かな。どうしよう。'click to enlarge'(クリックで拡大)方式を試験的に採用してみます。
右が、当初登ろうと思ってた山。 |
そこらにいっぱい生えてたアヤメ。 |
長くなりそうなので、ひとまずここで切ります。続きは後日。
やってみよう、のコーナー。まず、縦長(縦横比は4:3くらい)の適当な白い紙を一枚と鉛筆やペン等を用意して下さい。そしたら、そこに
以上。出来ましたか?では、Rjにっきの次の更新をお待ち下さい。因みに私は下のようになりました。
ヤンキース松井が初の週間MPV獲得。同じNYのメッツとの「地下鉄シリーズ」で、満塁本塁打を含めバカ当たりしてましたからね。おめでとう。でも勝負はこれからだ。ガンバレ。
該当にっき | 目的地 | 経路(標高†) | 行った日 |
---|---|---|---|
2003.07.04 | 薬師岳・観音岳 | 夜叉神峠東登山口(1380m)〜夜叉神峠(1770m) | 2003.07.03 |
2003.07.06 | 薬師岳・観音岳 | 夜叉神峠〜杖立峠(2150m)〜苺平(2520m)〜南御室小屋(2440m)〜薬師岳小屋(2710m)〜薬師岳(2780m)〜観音岳(2840m) | 2003.07.03 |
2003.07.07 | 薬師岳・観音岳 | 観音岳〜薬師岳〜薬師岳小屋〜南御室小屋〜苺平〜杖立峠〜夜叉神峠〜夜叉神峠東登山口 | 2003.07.03 |
2003.07.11 | 八ヶ岳(横岳) | 杣添尾根登山口(1760m)〜三叉峰(2825m)〜大権現(2829m)〜奥ノ院〜三叉峰〜杣添尾根登山口 | 2003.07.06 |
2003.07.15 | 富士山(須走口) | 古御岳神社(2000m)〜砂払五合(2230m)〜本五合(2425m)〜富士山頂上奥宮(3720m?)〜須走口下山道〜古御岳神社 | 2003.07.12-13 |
2003.07.16 | 富士山 | (富士山の補足、関連情報) | 2003.07.12-13 |
2003.07.22 【燧ケ岳の花】 |
燧ケ岳 | 大清水小屋(1180m)〜三平峠(1762m)〜大清水平(1665m)〜沼尻(1665m)〜爼嵒(2346m)〜柴安嵒(2356m)〜爼嵒〜沼尻〜浅湖湿原(1665m)〜三平峠〜大清水小屋 | 2003.07.18 |
2003.07.24 【至仏山の花】 |
至仏山 | 鳩待峠(1591m)〜オヤマ沢田代(2030m)〜小至仏山(2162m)〜至仏山(2228m)〜山ノ鼻(1400m)〜鳩待峠 | 2003.07.20 |
2003.08.08 | 北岳 | 広河原(1520m)〜大樺沢二俣(2220m)〜八本歯のコル(2880m)〜北岳(3192m)〜肩ノ小屋(3010m)〜白根御池小屋(2236m)〜広河原 | 2003.08.01 |
2003.08.19 | 北岳 | 広河原(1520m)〜白根御池小屋(2236m)〜大樺沢二俣(2220m)〜八本歯のコル(2880m)〜北岳山荘(2880m) | 2003.08.12-13 |
2003.08.24 | 北岳 | 北岳山荘〜北岳(3192m)〜北岳北峰〜肩ノ小屋(3010m)〜草すべり上部の分岐〜大樺沢二俣〜広河原 | 2003.08.12-13 |
extra 2003.08.21 |
富士山(御殿場口) | 御殿場口新五合目(1440m)〜二合五勺(1920m)〜七合目(3040m)〜剣ケ峰(3776m)〜七合目〜宝永山(2693m)〜新五合目 | 2003.08.21 |
extra 2003.09.03 |
富士山(吉田口) | 吉田口馬返(1440m)〜安全指導センター(2390m)〜白山岳(3756m)〜安全指導センター〜吉田口馬返 | 2003.09.03 |
extra 2003.09.17 |
鶏冠山(山梨県三富村) | 西沢渓谷入口(1100m)〜鶏冠谷出合(1150m)〜鶏冠山(2115m)〜鶏冠谷出合〜西沢渓谷入口 | 2003.09.17 |
2003.09.27 | 富士山(精進口下部) | ふじてん駐車場(1280m)〜天神峠/精進口一合目(1310m)〜精進口二合目(1530m)〜精進口三合目(1790m)〜奥庭(2180m)〜御庭山荘(2380m)〜三合目〜ふじてん駐車場 | 2003.09.06 |
2003.09.29 | 八ヶ岳(赤岳) | 町営美し森たかね荘駐車場(1560m)〜羽衣池(1610m)〜真教寺尾根:賽ノ河原(1906m)〜牛首山(2280m)〜扇山〜2316m峰〜竜頭峰〜赤岳(2899m)〜赤岳頂上小屋〜県界尾根:大天狗(2445m)〜小天狗(2178m)〜たかね荘 | 2003.09.24 |
該当にっき | 目的地 | 経路(標高†) | 行った日 |
†出発/通過/帰着点の標高はおおよそです。