uchiujin Rjにっき - 2004/Q1 uchiujin


もくじ

周辺きじ


2004ねん・第一四半期

2004.03.31

少し気楽な話題を。亜米利加のプロ野球、デビルレイズとヤンキースの開幕戦が日本で行われました。その二試合目、元巨人軍の松井がほうむらんを打ったりして活躍。やった。頼もしくなりましたねえ。というか、彼は毎年進化していくのがすごい。今年も楽しみです。


2004.03.30

回転扉の話、続けます。ひとまず、巨大で(重たくて)安全装置の不十分な自動回転扉は危なっかしい、という点では大方の合意を得られそうです。独逸などにも回転扉は多いそうですが、過去の事故を踏まえてか、もっと軽くて安全度の高いものが中心だそうな。

で、親の問題。私がwebで目にした意見を拾ってみます。

私としては、どちらにも理があると思います。まず前者に関連して。先日も(2004.03.15記事で)書いた通り、今の日本にはあまりにも自分の身を守ることに無頓着な人が多いのではないかと。自分がそうであれば、当然子供に危険を教えることもままならない。

一方、後者。たとえ百回中九十九回は危険から子供を守るよう務めていたとしても、何かの弾みで一回の失態を犯すことがあるかもしれません。誰しも、完璧ではあり得ないのだから。その点を、昨日書いた(ビル運営者側の)「多数重ねた過失」と同列に責めるのは公平ではない。

ただ、親になるということはその一回の過失の責をも追うということだ、ってな意見に私は同意します。もちろん、子供が挟まれる事故が多数起きているのに十分な対策をとらなかったらしいビル管理会社らと同じくらい親も悪いと言いたいのではありません。

法で裁かれるべき罪云々は置いといて、親の側は完全な被害者であり子供の死は他人の悪によってのみもたらされた災厄でありそういった災厄を除けばこの世は平和な天国たりうる、といった考え方には賛同しないということです。あ、誰もそんな事言ってないか。

もう一つ。私の気付いた範囲では誰も問題にしてませんが(この国では死者について公平に論ずることが不徳とされているからでしょうか)、亡くなった子供について。もう小学校に入る歳だってのに、ゆっくり回る回転扉の隙間に自分が飛び込んで間に合うかどうかをちゃんと判断出来なかったのは痛恨です。(「森ビル本社を家宅捜索 警視庁、業過致死容疑 (共同通信) によると、もしかして「ぎりぎりで入ろうとして失敗した」?)


2004.03.29

大方の予想通り、朝青龍が千代大海を下して全勝優勝しました。おめでとう。千代大海はちょっと肩に力が入っていたでしょうか。逆に、いつも通り自然に身体の動いた横綱は大したもんだとも言えます。

それでも千代大海は二敗、魁皇も強い相撲で二敗を守り、朝赤龍は若の里の意地に屈して二敗となりましたが、いずれも立派な成績です。来場所以降も楽しみにしたいと思います。また、後半負けが込んだけどグルジア出身の黒海も来場所はもっと成長した姿を見せてくれることを期待。

続いて野球の話。いよいよ開幕も間近、だんだん活気づいてきたようです。試合の模様は見ていませんが、巨人と対戦したヤンキースの松井は三打数(四球二)二安打(一本塁打)だったそうです。本塁打はニュースで見ました。でかい当たりです。大したもんだ。今季は更なる飛躍を見せてくれることでしょう。

さて、回転扉の話。やっぱり、一つの偶然ではなく多数の過失が重なって生じた事故のようです。やんぬるかな。この国なら容易に起こりうることなんでしょうね、こういうのって。それと、知り合いのひとが調べて教えてくれました。回転扉は、主に建物(と、それを建てる人)の都合で採用されているようです。


2004.03.28

昨日の相撲。琴ノ若は久々の二桁勝利、朝赤龍は勝って一敗にとどまり、千代大海は苦手の魁皇に負けて一敗、朝青龍は武双山を難なく下して全勝を守りました。今日は朝青龍が二場所連続の全勝優勝を賭けて千代大海と対戦します。もし千代大海が勝つと、優勝決定戦が行われます。(朝赤龍も一敗のままだと、三者で巴戦ということに。)

関係ありませんが、いい陽気なのに今年は花粉が少なくて楽ですね。ちまちま飲んでいるインターバランスL-92が効いているのかどうかもよくわかりません。杉や檜花粉の量は、前年夏の気候によって大きく変わるそうです。去年は夏らしい夏が無かったから今年は花粉が少なめ。今年の夏はどうなるでしょう。

別の話。六本木ヒルズの某ビル入り口で、回転扉に子供が挟まれて死にました。扉の安全性だとか母親の管理能力だとかについていろいろ言われています。ひとまず、私はあの回転扉ってやつが「いい」と感じたことはありません。アレって、通る人間じゃなくて建物側の都合で採用されてるものに思えます。


2004.03.26

先月、踵の内側破れ&靴底貼り替えの修理に出しておいた靴が治って来ました。やった。その間しばらく軽い靴を履いてしまったおかげで重登山靴の利点欠点等を改めて感じることが出来ましたが、また履いてみようと思います。因みに出来上がりはこんな感じ:

Ando #2500G (repaired)

革が新しいので色が違いますけど、中敷きを入れて履いた感じは特に違和感ありません。ただ、同じように擦れたまま履いているとまた一年で破けてくるかな、ということも考えてしまいます。なるべく擦れないように、重ね敷きしている中敷きの踵付近の厚みが少し減るように、敷くものの組み合わせを工夫します。

大相撲、魁皇は朝青龍にあっさり負けました。昨日もそうでしたが、あんなに重くて力の強い人でも負ける時は一瞬なんだなあ、と改めて相撲の難しさを見た気がします。一方、昨日魁皇に一瞬で勝った全勝の朝赤龍と、同じく全勝の千代大海戦。千代大海の突き押しを朝赤龍が堪え、見応えのある一番となりました。最後は千代大海が押し勝って全勝を守りました。朝赤龍は、千代大海の腕を内側から外に払うなどして対処出来なかったのが敗因です。と言っても、回転の速い千代大海の突っ張りを外すのは難しそうですけどね。

勝ち越しを前にして足踏みしていたグルジア出身の黒海、やっと勝ち越せました。おめでとう。今場所は、いろいろな課題の見えた場所となったことでしょう。来場所以降にも期待したいと思います。

もう一人、三十五歳の琴ノ若。膝が悪くて大変そうなのに、頑張って星を伸ばしています。今場所の彼の姿には、人や妖怪を感動させるものがあると思いました。


2004.03.25

大相撲はいよいよ全勝力士同士の直接対決が始まりました。まずは魁皇と朝赤龍。私の予想に反して、朝赤龍がすぴゃーんと勝ちました。すごい。千代大海と朝青龍は全勝を守り、明日は朝赤龍対千代大海、そして魁皇対朝青龍です。魁皇がんばれ。いや、朝青龍負けろって意味ではありません。魁皇には一敗に踏み止まって貰った方が優勝争いも面白いかな、と思ってのことです。

次。何となく触れずにおけなくなったので、三菱自動車(→三菱ふそう)の件。「インフォシークニュース > トピックス > 三菱自動車 > 三菱ふそう社長、脱落タイヤで死亡の主婦の墓前で謝罪」によると、

横浜市瀬谷区で2002年1月、走行中の三菱自動車製大型トレーラーから脱落したタイヤの直撃を受けて、神奈川県大和市、主婦岡本紫穂さん(当時29歳)が死亡し、長男と二男がけがをした事故で、三菱ふそうトラック・バス(昨年1月、三菱自動車から分社)のヴィルフリート・ポート社長らが25日、横浜市旭区にある岡本さんの墓に参り、遺族に謝罪した。

とのこと。こう続きます。

墓前に花束を手向けたポート社長は、母親の増田陽子さん(54)に「社を代表しておわび申し上げます。尊い命が失われたことを真摯(しんし)に受け止めております」と謝罪した。これに対し増田さんは「絶対に許すことはありません。こうなる前になぜ、リコールしてくれなかったんですか」と涙声で訴えた。

この事故が起きた当時、或いはその調査が行われていた頃、まだ「ポート社長」は今の「三菱ふそうトラック・バス株式会社(設立:2003年1月6日)」を代表すべき立場に居なかったのでは?(2001-2002年頃は、ダイムラークライスラー・アーゲー バイス・プレジデント(エグゼクティブ・マネージメント・デベロップメント担当)だったはず。)もしも私が謝られる立場だったとしたら、きっとその(欠陥ハブのリコール握り潰しがあったのではないかと現在調べられている件が進行していた)当時の責任者からの謝罪を望むでしょう。現在の社長ではなく。まあこれは、何となく出来上がった「社会通念」に従っているだけなんでしょうけれども。

もう一つ。この「三菱ふそうトラック・バス株式会社」という会社、一般的な認識としては「日本の会社」でいいんですよね?(本社は港区にあるみたいだし、由来は三菱自動車だし。)として、最近やたら謝らせられているこの日本の会社の社長が、日本国内に於いて主に日本人相手に行われている記者会見の場で、外国語しか喋んないってのはどういうことなんでしょう。日本語出来なくても詫びぐらい覚えろやゴルァ、って印象です。

や、たまたま私が目にしたTVの映像で日本語を喋ってないだけで、実はちゃんと日本語でも話をしていたのならごめんなさい。えーと、いっひえんとしゅるでぃげみっひばいいーねん。(babelfish.altavista.com訳)


2004.03.24

大相撲。横綱朝青龍、大関魁皇、同じく大関千代大海、そして平幕の朝赤龍が四人揃って十一連勝。大相撲が十五日制になってからは初の事態だそうで、この先がますます楽しみになって来ました。千代大海は引いたりする相撲も多く、これまで注目して来ませんでしたが、今日のような本来の突き押し相撲を取っていれば有力な優勝候補になるかもしれません。

朝青龍は左の肘がちょっと悪いんですかね。先場所程の安定感はありません。が、その状態でもきっちり勝ち続けているのはさすがだと思います。魁皇は今日もしっかり前に出る相撲。このまま行くと、優勝に最も近いのではないでしょうか。平幕の朝赤龍は実績の無い分他の三人よりも不利ですが、どこまで勝ち星を増やせるか楽しみです。や、十一連勝というだけで既に立派なんですけど。


2004.03.22

大相撲、一敗で勝ち越しを賭けた黒海は、ここまで全勝の朝赤龍に敗れました。んー、朝赤龍って強くありません?一方、同じく全勝の朝青龍は、安美錦に勝って先場所からの連勝記録を24に伸ばしました。立ち合い前の仕切りで安美錦が迷いの無い好い顔をしていたので、ひょっとすると・・・と思ったけど、やっぱり最後の投げの打ち合いでは力、技共に横綱が一枚上手でした。そろそろ気になる優勝争いは、横綱朝青龍と力強く前に出て勝ち続けている大関魁皇が軸となるでしょうか。

次、また暗い話題。イスラム原理主義組織ハマスの創始者ヤシン師が、イスラエル軍のミサイル攻撃で殺されました。ハマスの自爆テロ戦法が人道上望ましいとは決して思いませんが、攻撃を指示したイスラエル政府(そしてその象徴たるシャロン首相)は、ヤシン師を殺せば事態が1mm位はいい方向に進むと考えたのでしょうか?更なる報復テロの嵐を誘うことは、難しい宗教や政治力学のことなど分からない小学生にも火を見るより明らかなのでは?

それとも、ハマス関係者のみならずパレスチナ人を皆殺しにするまでやめないつもりですかね。

あっそうだ、多分ここの読者さんじゃないと思いますが、10-MINUTE TICKERのO-chさんのメールアドレスを持っている誰かのパソコンがウイルス(よくある、不審な添付書類を手動で実行しないと活動できないタイプのウインドウズ専用ワーム)に感染している可能性があります。ウインドウズをお使いの方は、今一度ご自分のパソコンがウイルスに感染していないかどうか、抗ウイルスソフトのウイルス定義ファイルを更新してご確認下さい。なお、この件は10-MINUTE TICKER及びO-chさんの側に何らかの落ち度があったということを意味しません


2004.03.21

地下鉄サリン事件から丸九年が過ぎ、各地からソメイヨシノ開花の便りが届き始め、グルジア出身の黒海は派手なパフォーマンスで有名な青森出身の人気力士高見盛に勝って七勝目を挙げ、「ドリフ」のリーダーとして活躍したいかりや長介さんが癌で亡くなり、丹沢や奥多摩には雪が降ったりしてるようですが、みなさん激しい気象の変化に体調を崩したりしてないでしょうか。

さて、台湾の総統選。有効投票数が約1300万票(投票率約80%)もあるのに、約3万票の僅差で与党民進党の陳候補が勝ったそうです。無効票(投票形式の間違い等)が約34万票もあったこともあり、野党国民党の側では「選挙は不公正なものであった」として選挙結果の無効を求める訴えを起こしたりしてるとか何とか。

仮に約3万票の差で国民党の連候補が勝利していた場合、果たして国民党の諸氏は「選挙は不公正なものであった」として今行っているのと同様の抗議をしていたでしょうか。ただ私とて民進党シンパという訳でもなく、直前の狙撃騒ぎは一体何だったんだろうという疑問も確かに残っています。事前の風向きとしては、国民党が微妙に有利とする見方もあったそうです。

いずれにせよ、選挙戦や投開票の様子を見ていた訳でもない私に詳しいことは分かりません。でも、まだしばらく荒れ模様になりそうです。日本というのは台湾との関係で国際社会上ちょっと特殊な位置にあります。今後の展開次第では何か大きな影響が生じないとも限りません。見守るくらいしか出来ませんが、ただでさえ政治的に微妙な台湾という場所でのことゆえ、彼の地の人々が納得できる形での決着を期待します。


2004.03.19

ア式蹴球の五輪予選、日本は無事アテネ五輪出場枠を獲得できたようで、よかったですね。大相撲は、朝青龍が相変わらず強い。大関陣も調子を上げてきたようで、今日の魁皇、武双山、千代大海は大関らしい強さでした。一方、平幕の黒海は惜しいところで負けてしまったもよう。まあ、まだまだこれから技術を上げていけるでしょうから、今場所の残りも細かいことを気にしすぎずどんどん前に出る相撲を取って欲しいところ。

そういや、貴ノ浪はそろそろ苦しいでしょうか。長いこと現役を続けるのは大変です。貴ノ浪は身体の大きい人ですから、もう脚なんかはかなりがたがたなんじゃないでしょうか。それでも土俵に上がり続けるのは立派だと思いますが、流石に限界が近そうです。考えてみると、「藤島部屋」だった頃の力士はもう殆ど引退してますね。今残ってる関取は貴ノ浪だけ?彼の引退する日は、一つの時代を締め括る日となるのかもしれません。

別の話。今日、台湾の陳総統が撃たれたとか。複雑な台湾の政治情勢はよくわかりませんが、明日の総統選に何らかの影響はあるのでしょうか。

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2004.03.17

山行記。今回は、西上州の四ツ又山〜鹿岳(かなたけ)に行ってきました。西上州と言えば妙義山や荒船山等の奇岩で知られる山域。この鹿岳も、妙義程ではありませんが岩がごつごつしていて面白い山でした。

出発は関越道(混んでた)の下仁田ICからちょっと行った宮室というバス停近く、下郷という辺り。宮室付近で県道と並走する南牧川を渡り、すぐ左で合流する枝沢に沿って僅かに登った橋のたもとに車を止めます。手元の登山用地図には「(P)路肩に3台」と書かれていて、実際そんな感じです。

そこは四ツ又山への登山口。導標に従い、橋を渡って出発。沢沿いの道です。初めは水があり、工事中の堰堤なんかもありますがやがて水は涸れます。道は「三十年前には立派に整備されていた」感じだったり、沢床のがれがれをそのまま踏んだりしつつ、緩やかに登って行きます。三十分程で「第一鍾乳洞」の案内板が出現。見ても、それらしきものは見当たりません。すぐ上に第二、第三とあり、どうやら岩壁に開いた穴の中が鍾乳洞ということのようです。ごめんなさい、素通りしました。

鍾乳洞の先から道は急になり、小尾根を一つ乗り越える感じで更に登ってゆくと、杉の植林帯なのに広葉樹の落葉に覆われた最後の急登を経て峠に出ました。天狗峠。東西南北へ道の続く十字路になっています。ここで軽く休憩。北の四ツ又山への詰めに備えます。因みにここまで、他の登山者の気配はありませんでした。鍾乳洞の下で地元の人らしい男性とすれ違ったのみ。

四ツ又山へは、すごい急坂です。でも、乾いた土は案外しっかりと靴底を迎えてくれたので、「急」だということ以外は特に気になりませんでした。今修理に出している重登山靴だったら一発で踵に靴擦れが起きるだろうなと思いましたが、幸いこの日履いていた安っちいトレッキングシューズでは靴擦れも起きません。やった。

ひゅうひゅう西風に吹かれながらずいずい登り、峠から三十分程で四ツ又山の山頂に着きました。四ツ又山と言うだけあってピークが幾つか並んでいます。ここで「山頂」と書いたのは、その最高峰。標高899m程です。狭めだけど平らな土の山頂には誰もいませんでした。景色も(春らしき霞に遠くは隠れていたけれど)、目指す鹿岳やらその右の浅間山やら妙義山やら何やらが見えて、かなり気持ちのいいものです。やった。因みに木が生えていてよく分かりませんが、山頂の西側は切れ落ちた絶壁です。

しばらく景色を堪能し、カロリーメイトのゼリーを飲んでから出発しました。入れ違いに単独行の中年男性が山頂へ。恐らくまだ四十代で、ちゃんと挨拶の出来る人でした。後で判明することですが、彼がこの日最初の、そして最後の「他の登山者」でした。静かな山って素敵。

少し戻り、北へ続く「四ツ又」の残り幾つかのピーク(ここも景色がよい)を踏み、道が西へ曲がると次なる峠への下りです。尾根を辿ります。所々、尾根は痩せています。岩場は殆どありません。凍結箇所は全くありません。土は大概乾いています。掴まれる木の生えた斜面です。そして、坂が急です。通常、このくらいの斜度があると、岩がごろごろしてたり木の根っこがわにわに露出してたりして段差が大きく、手足を駆使した登降となります。しかし、この道は「ただ急なだけ」でした。普段私の行く山域では珍しい類の道です。

2004.03.13 - kanatake
マメガタ峠手前から、鹿岳。

前方の鹿岳の特徴的な双子峰やら右方の妙義を見ながらずいずい下り、峠に到着。国土地理院の1/25000地形図では北へも道が延びていますが殆ど歩かれていないらしく、そこにあった導標はT字路を示す物となっていました。峠の名前は、登山用地図によると「マメガタ峠」。この日(もっと先で)見た導標には一文字少ない名前が書かれているものがありましたが・・・ええと、「マメガ峠」だったかな?

少し休んで、いよいよ鹿岳への登りです。初め杉の植林帯を、その後は葉を落とした広葉樹林帯の尾根道を行きます。ここも、かなりの急坂です。この山には急坂と痩せたコルしか無いのかい、と突っ込みなるような雰囲気です。面白い。進むうちに鹿岳の岩峰(手前側の、一ノ岳)が段々でかくなり、威圧感を持ってゆきます。アレに登るんだな、楽しみだな。

2004.03.13 - col
一ノ岳〜二ノ岳間のコルから、一ノ岳への道。
梯子の下、右の崖方面は下山道です。

補助用のロープが垂れ下がった巨大な岩壁の下をわしわし登ったりして、一ノ岳と二ノ岳の間の鞍部に着きました。両側のやや切れ落ちた短い鞍部の先に、岩に掛かった梯子があります。右の下高原登山口への道を見送り、正面の一ノ岳への登りへと進みます。ここいらに来てやっと手を使う岩場が生じました。十分程登ると、一ノ岳の山頂に到着。山頂はさほど広くありませんが平らで下は土、少し進んだ所にも平らな土の空間がありました。広々とした景色を見ながらそこでおひるごはん。この日もラーメンと雑炊でした。風が弱まり、陽が照ってぽかぽか暖かい平和な時間でした。

一時間程ゆっくり休み、来た道をコルまで戻って二ノ岳へ向かいます。似たような岩場の道で、途中には梯子やロープもあります。手元の登山用地図では道が赤破線になっていて、一ノ岳への道よりは「おっかない」感じです。大差ないけど。あまり山に慣れていない人は、少し慣れた人と一緒に行く方がよいかもしれません。標高はやたら低いのに「高度感」のある山ってのは楽しいものです。ただ、「表妙義縦走」みたいなのを想像して来ると拍子抜けします。そこまでではない。

ついつい登り、間もなく二ノ岳に到着。標高1015mと書かれた導標がありました。先刻までいた一ノ岳を見下ろせます。こっちの方がちょっと高いんですね。その向こうには、更にその前に登った四ツ又山やそこから続く尾根も見渡せます。今日歩いたとこ、眺めたい放題。反対側には先刻まで霞んでいた浅間山も再びくっきりして見えますし、四ツ又山から見るより微妙に近くなった妙義の奇岩も見えます。近いところには板状の岩尾根とか歩いて行ける岩峰なんかもあり、西上州のごつごつ万歳、ってな感じです。高崎方面の平野も広々としていて気分爽快。いい山です。

2004.03.13 - ichinotake
二ノ岳から、四ツ又山(左)と一ノ岳(右)。

景色を堪能していよいよ下山。先へ進みます。やや激しい下りの後、恐らく山頂から見えていた板状の岩尾根に出て、そこからちょっと先のぽっこりしたフタコブラクダの背みたいなでっぱりへと進みます。でっぱりを二つ越した先で、木々岩峠へ続く尾根道と高原への下山道の分岐となりました。峠方面を示す表示はありませんでしたが、道にはマークが付けられているようです。ただ、登山用地図ではそこは灰色破線になっていて、「?」マーク(迷いやすい)も書かれています。

私は下山するので高原方面へ。この先、一部土が滑りやすい箇所がありましたが、そこまでの急坂と較べると大した道ではありませんでした。少し下で木々岩峠からの道を合わせ、右に特徴的な「一本岩」を見ながらずいずい下り、やがて杉の植林帯に入り、傾斜の緩くなった所でやや迷いやすい箇所もありましたが大きな問題も無く舗装路に出ました。舗装路を伸ばしている最中のようで、工事のおっちゃん達に会釈しながら下って大塩沢川沿いの車道に出ました。ここいらが下高原でしょうか。

そこからは大塩沢川沿いに舗装路を歩きます。途中、大久保やら塩沢といった雰囲気のある集落を抜け、雉を見かけたり後ろの鹿岳を振り返ったりしながら一時間程で小沢橋に出ました。ここで気付いたこと。最後の舗装路歩きで肩が痛くなっていたのは、ずっと同じ姿勢で歩くからです。新しいザックでは大丈夫だったんですが、ちょっと寒くなって上着を着て、長さ調整が面倒だからと腰ベルトをしないで歩いたら一瞬で肩が痛くなりました。

小沢橋から南牧川沿いを更に三十分程下り(途中、道は未舗装になりました。近くで猟銃の発砲が多々あってちょっとびっくりした。)、無事に車まで戻りました。今回も楽しい一日でした。いいな、西上州。気に入ったので、そのうち他のマイナーな山にも行ってみたくなりました。そうそう、万歩計は21426歩。舗装路を一時間半も歩いた割には少ないようです。急坂の登りでは、カウント漏れが増えます。


2004.03.16

ここ数日檜花粉が増えてきたようで、杉では何となく症状が出にくくなった私もくしょんくしゃん言ってます。やっぱり体力の消耗が激しいようで、何やらだるだるな日々です。

さて、ア式蹴球の五輪予選、今日は日本がレバノンに辛勝したとか。おおくぼが気合いを見せたようです。アテネ五輪に出るには、明後日のアラブ首長国連邦戦で日本が勝ち、同日のレバノン対バーレーンでバーレーンがアホみたいな大差で勝たない、ってのが必要なんでしょうか。よくわからんちんですが、折角だから五輪に出られるといいですね。選手はまだまだこれから伸びる人達でしょうし、いい経験になると思います。


2004.03.15

昨日から大相撲大阪場所が始まりました。先場所全勝優勝を果たした朝青龍は、今場所も幸先の良いスタートを切ったようです。今日の相手、雅山は結構頑張ったみたいですけどね。あとはグルジア出身の黒海と九州出身の魁皇が二つ前に出て勝ってるようです。栃東は二連敗。どっか悪いのかもしれません。

先日のマドリードでの列車爆破テロ、アル・カイーダのメンバーが犯行を認める様子を写したビデオがどこぞで見つかったとか何とか。もし本当だとすると、いよいよ新宿でのテロも現実味を帯びてきましたか。気を付けるのも難しそうな災厄ですが、出来る範囲で気を付けようと思います。みなさんもお気を付け下さい。

とは言え、容易に予測可能な危険に対してすら異様な迄に無頓着な人の多いこの国ですから、やられたい放題なのかもしれません。オーメン。


2004.03.14

今日はホワイトデーの日だそうです。よく分かりませんが、訳すと「白日」?ますます分かりません。どうしよう。

さて先日の似顔絵ですが、やってみると何となく自分の顔に似てしまった人、意図的に自画像を作ってみた人など、色々いらっしゃるようです。みなさんはどんなものが出来上がりましたか?因みに私はこれ:

nigaoe (by Rj)

・・・好みの女の子?


2004.03.12

今日はひつまぶし。周囲の人が面白そうに遊んでいたので私もやってみました。

取り敢えず、深く考えずに一つ作ってみて下さい。


2004.03.11

昨日はやけに暖かかったと思っていたら、今日はもっと気温が上がって暑いくらいでした。発達した低気圧に吹き込む南寄りの風が強く、東京大手町では瞬間最大風速31.5m/sを記録したとか。明日は寒冷前線が通過した後なので寒いそうです。春ですね。

スペインのマドリードで複数の同時的列車爆破事件があり、多数の犠牲者が出た模様。「バスク祖国と自由(ETA)」によるテロだという見方もあるようですが、詳細不明。誰がどのような目的で行ったにせよ、テロリズムという手法では物事は好転しないような気がするのは私だけでしょうか。


2004.03.10

今日で東京大空襲から五十九年だそうです。東京大空襲では多くの人が死にました。その頃から、亜米利加は市民を空爆する趣味を続けているようです。野蛮ですね。映画「ラスト・サムライ」は、そんな野蛮な亜米利加人を・・・っと。「ねたばれ」になるから止めといた方がいいのかしら。

今日、神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件の加害者が医療少年院を仮退院したそうです。それまで無かったような奇っ怪な事件でしたが、アレも加害者本人だけが問題だったのではありますまい。勿論、小学生を惨殺するのはいけないことです。しかし、その後の治療・教育で更生したそうですから、今後彼には色んな重みを感じながら生きていってほしいと思います。

二度と同じような事が起きませんように。


2004.03.09

山行記。今回は、大きな山に行ってきました。前回雲取で敗退した後なので、控え目に楽そうなコースを選んでます。登山口はこないだ表尾根を歩いた時と同じバス停で、二つあるルートのうち車でも行ける峠経由の道を行きました。当日は早朝雨が降っていたもののその後晴れ渡り、思いの外快適なハイキングとなりました。

頂上までコースタイム二時間の楽ちんコースなので(と言っても標高差は950m程あります。二時間はむり。)、出発は少し遅めにしました。バス停を8:00に出てまずは450m上の峠を目指します。また敗退すると嫌すぎなので、ゆっくり目に登りました。一時間二十分程掛けて峠に到着。風がびゅうびゅう吹き抜け、気温(0℃前後)の割には寒い感じです。

バス停の裏にある大きな山への登山口を行くとすぐに山小屋とトイレ、展望台となる広場があるので、そこで軽く休憩。陽当たりは好く風は弱く、海まで見えて気分爽快。ここまで、身体の調子に問題はありません。やった。

9:30に出発。沢山ある尾根のうちの一つを辿って、490m上の山頂を目指します。北西の風が強いようで、びーぶー言ってて妙に迫力がありました。幸い、道は尾根から僅かに風下側に逸れた所を通ることが多く、風に煽られたりすることはあまりありませんでした。やがて雪もちらほら現れ、青空の下をお気軽な雪上ハイキング。楽しいな。

fuji, tanzawa

表尾根やらその先の山々そしてその奥に聳える富士を時折見ながら三、四人分の踏み跡を辿ってずいずい快調に登り、山頂から南へ伸びる尾根(とその上の道)との合流点を経て十分後、10:45に山頂到着。峠から一時間十五分、大体400m/hのペースでした。前回の敗退は一時的な身体の不調によるものだったと確認出来て安心です。山頂からの展望は上々。房総半島野島崎、江ノ島、伊豆大島、伊豆半島、初島、真鶴半島なんかも見渡せました。

おひるごはんにはちょっと早かったので、東へ500m程下って見晴らしの良さそうな名前の付いた所、「見晴台」へ進みました。山頂から約一時間。途中、一部融けた雪でぬちゃぬちゃしてましたが、危険な箇所は特にありませんでした。出発からここまで、アイゼンは全く不要。但し、山頂近くの雪が融けてまた凍ると多少滑りやすくなるかもしれません。四本爪アイゼンか何かを一応持っていくと安心です。

おひるごはんは、ラーメンと雑炊にしました。今回はラーメンを作るお湯に日高昆布を入れてみました。心なしか出汁が効いてんまくなったような。まあ、今降りてきつつある大きな山やら下に見えるランドマークタワーなんかも味を向上させていたかもしれませんね。よいケシキと共に食べるものは美味しく感じられます。一時間程ゆっくりしました。

見晴台からは、「関東ふれあいの道」というのを通って下の神社(下社)へ向かいます。途中の二重滝は枯れていて残念。ここいらはケーブルカーの駅から気楽に来られることもあり、「登山者」ではなく「観光客」の人といっぱいすれ違いました。でも、道は所々崩落しかけており、あまりにも安易な入山は多少危険です。サンダルやハイヒールではなく、運動靴等を履いてくることをお勧めします。

下社の辺りは予定通り人がわらわらしてました。とある茶屋のおばちゃんの客引きが凄まじくて引いてしまったというのはナイショです。いや、伝えた方がいいのかもしれません、「しつこすぎる客引きは逆効果ですよ。」と。目を合わせないように素通りし、ちょっと下のトイレに寄ってまた下社の方へ登ります。

私は南の「蓑毛越」という所へ行きたかった。しかし、そちらへ向かう道がどこから出ているのかよく分かりませんでした。しばらくうろうろし、結局神社に向かって左奥に延びている道がそれだろうと見当を付けて行ってみました。正解でした。でも、あれだけ人の手が入った空間でそれらしき案内を一つも見つけられなかったのはやや意外です。

道はそのまま「関東ふれあいの道」という名前です。しかし、やっぱり所々崩落しかけており、あまりにも安易な以下略。まあ、ここいらは雪も全く無かったので、普段山を歩いている私みたいなのにはどうということはありませんが、もしハイヒールを履いていたらかなりびびっていたでしょう。いや、ハイヒールなんて履いたことありませんけど。。。

ほぼ平坦な道を下社から二十五分程で蓑毛越に到着。南東に延びる尾根を辿って不動越まで行くか、ここからすぐ下のバス停に降りるか、ちょっと考えました。でも、今回はこないだの敗退を拭うリハビリテーションなので、さっさと降りちまおうということにしました。約二十分後、15:10には出発点のバス停へ帰着。れれれ。標高差は400m近くあるはずなんだけど、思ったより早く降りてしまいました。万歩計は21190歩。やっぱり少なかったっす。けど軽めだったとは言え、今回も無事に山行を終了。新しいザックもいい感じで、楽しい一日でした。よかったよかった。


2004.03.06

靴のサイズ(長さ)の怪。日本では通常「cm(センチメートル)」という単位で表現されています。これは、国際単位系で使う「m(メートル:現在の定義は違うが、元は地球の子午線の長さから導かれたもの。)」への換算も楽な、単位としては比較的普遍性の高いものです。しかし、欧米の一部では未だに日本で謂う所の「尺貫法」或いはそれ以上に黴の生えそうな単位が使われていたりします。で、こういう地域産の靴を買ったりする時には数字でサイズを判断するのが困難になるわけです。尤も、靴の場合は表示がどうであれ足に合ったものを買うべきなので、実際上の混乱は少ないかとも思われますが。

さて、最近靴を買って気付いたことがあったので拾ってみます。以下の表をご覧下さい。私の手元(足元)にある靴三足のタグや箱に書かれていた数字です。

会社生産国型式名USUKEURcgs
New Balance(米)M33298-1/242-1/227.0cm
Millet(仏)AXS GTX9-1/28-1/242-2/3-
Danner(米)Super Rain Forest 8"98-1/243-

何がおかしいかと言いますと、US表示では「AXS GTX > SRF 8"」なのに、EUR表示だと「AXS GTX < SRF 8"」になってしまう点。「刻みの大雑把性」や「会社による相違」だけでは吸収しきれない、明らかな矛盾です。それとも、これらは靴の長さを示したものではないのでしょうか。んー、苦しい解釈を考えてみると、例えばDannerは42-1/2以上43-1/2未満を「43」と表示している、とか?

因みに私、靴のサイズに使われている(上表に出て来る)三種の数字がどういう単位なんだか知りませんでした。調べたら出てきたので下に引いておきます。が、上に露出した矛盾を見るに、(もしもこれが靴内部の縦の長さだけを示す目安だとしたら)既に単位として意味を成していないような気もします。まあ、欧米人は靴を買う時にサイズの数字なんて見ないのかもしれませんけど。

参考:靴のサイズについて (http://shoes-ten.com/tips/tips1.htm)

まず国ごとにサイズの基準が違います。イギリスとアメリカでは、同じインチ規格のように見えます。でも、元の基準が違うんです。イギリスは実インチ4インチを基準(そこを靴サイズ0インチ)として、そこから、1/3実インチずつ数字を打ってます。アメリカサイズの靴インチは、その1/3インチ小さめの値です。(つまり、1/12実インチです。)もとの0インチの出発点が、イギリスとアメリカで違うんです。(ちなみに、この元の基準を守っているメーカーはありません。)センチ規格であるはずのフランス(ヨーロッパサイズ)では、2/3センチを1センチとして計算していきます(ハーフサイズ表示を嫌ったんでしょうねぇ〜)。ドイツのメーカーはコンチネンタルサイズなんてものもをよく使います。センチ規格でハーフサイズがあります。お隣の韓国では日本とおんなじようなcm規格です。(でも、実寸を比べると1cm小さいんです。)ほかに面白い例として、古くからの靴の輸出国であるイタリアでは、輸出先のサイズにあわせて表示を打つので規格ってのがないんです。

引いといて何ですが、分かりにくい説明ですね。


2004.03.05

山道具、スパッツの話。スパッツといっても色んなのがあります。名前は、昔乗馬に用いたspatterdash(es)から来てるとか何とか。ここで話題にするのは、膝下〜足首を覆う登山用のやつです。登山用のものは、露や泥や雪やアイゼンの爪からパンツの裾を守ったり、靴に砂や小石や枯れ葉や雪が入るのを防いだりといった目的で使われます。

PAINE - GORE-TEX Long Spats DX

私の使ってるのは、アイゼンを引っ掛けたらすぐ破けちゃうような薄い素材のものではないもの、です。下の方1/3くらい(上の写真で、足寄りの黒い部分)は特に丈夫な素材で出来ており、裏地も付いていて防水性は高い。上の方2/3くらい(青紫っぽい部分)は、三層構造のゴアテックス素材で、防水性のみならず比較的高い透湿性もあります。

本来雪山では足にそんなに汗をかかないのかもしれません。が、半端な雪上ハイクくらいしかしてない私の場合、たとえ雪の上であってもかなりの汗が足から出ます。最近履いてる靴はライニングにゴアテックスを使ったものなのでその汗は蒸発し、靴から出ていこうとします。しかし、スパッツを装着した場合、靴のゴアテックスを使った部分の殆どはスパッツの黒い帯(透湿性、ほぼゼロ)に覆われてしまいます。そしてその内側で結露。靴からも湿気が抜けません。結果、靴の内部やジーンズの裾部分はじっとり濡れてしまうことに。透湿性の低い革の重登山靴でも靴の内部が汗で濡れてしまうのは同様ですが、折角ゴアテックスを使ったものなのに同じ結果になってしまうのは少々虚しい気がします。

ということで、今度冬用スパッツを買う時は靴を覆う部分までちゃんとゴアテックスを使ってあるものにしようっと。尚、夏山用のもっと軽くて薄いやつの場合、下までゴアテックス等の防水透湿素材で出来ているものが大半です。


2004.03.03

ひまなつりの日。どうして暇かと言うと、今日は世界中のお魚さん達が年に一度の断食を決行する日だからです。たいへんですね。

冗談はさておき、山行記。今回は、敗退してしまったので半端なものになります。行ったのは雲取山(くもとりやま)。山梨側からの登山口として有名な鴨沢(かもさわ)から登り、山頂まで行く予定が過去に経験の無い脚の怠さから何と堂所(「どうどこ」もしくは「どうどころ」:山頂までの半分未満のところ)までしか行けなかったというお粗末な結果でした。思い当たる原因は特に無し。何だったんだろう?

氷川(ひかわ:JR奥多摩駅)まで電車で行き、そこから鴨沢方面へのバスに乗り・・・ませんでした。事前に時刻を調べたところ、本数が少なくていいのがありません。仕方無く、電車との乗り継ぎが良かった小菅(こすげ)行きのバスに乗りました。深山橋(みやまばし)で降り、鴨沢まで三十分くらい国道を歩きます。

鴨沢に着き、そこにあるトイレに寄りました。トイレ隣の空間には黒猫がいて、彼は控え目に食べ物をくれと言いました。生憎あげられるようなものは持っていなかったので却下。でも、それで不機嫌になったりはしない、よく出来た猫でした。そこでスパッツを履き、いよいよ出発。トイレのすぐ先に脇道と導標があり、よく分からなかったけどその導標に従って舗装路を登り始めました。

少し行くと分岐があり(神社の下)、導標に従って右の舗装路を進みました。本当は車道ではなく登山地図に赤実線で記されている道を行きたかったんですが、入り口が分かりません。仕方無くそのまま舗装路を登ります。まあ、今度車で来た時には走ることになるかもしれない道なので、どういう状況か見ておくのも悪くないでしょう。

気温は微妙に氷点下、汗だくになって登ること約三十分で鴨沢からの近道と合流する地点に着きました。広大な駐車スペースがあります。これなら休日でも大丈夫かもしれません。もう少し舗装路を上がり、やっと登山道の分岐に着きました。ここいらが小袖乗越(こそでのっこし)なのかしら。気のせいか、既にばてばてです。あれれ?

登山道はよく整備されていて傾斜も緩く、僅かに残っている雪もゴム底の靴で歩く際の妨げにはなりません。新しいザックに詰めた荷物は(脱いだ上着等含めて)約15kg、いつもと同じくらい。そして、ザックの重さが殆ど肩に掛かっていた前回までと違い、腰ベルトをしっかり締められるので肩も楽ちんです。しかし、脚が怠い。一歩が重たい。そして、息も切れます。普段なら歩いているうちに身体が段々登りに慣れてきて楽になるのですが、この日はちっとも楽になりませんでした。水や食料を摂っても好転せず。

謎な気分に包まれながら一歩一歩気力を振り絞って登ります。「今日は雲取まで行けないかもしれないな。様子を見て、途中の七つ石山辺りまで行ったら引き返そうか。或いは、そこから石尾根を下れば帰りのバス代節約出来るかな。」なんて考えていました。でも、そんな考えは甘かったのです。

いくら登っても楽にならず、たまに下山してくる人とすれ違う時にはケータイでヘリを呼ばれないように普通の顔をするのが大変でした・・・ってのは大げさですが、へとへと。そもそも無理して登らなければいけない理由はないし、私は山へ苦行の為に来ているわけでもないので、水場を過ぎ休憩によさそうな広場も過ぎて作業道の分岐がある堂所へ着いた時には引き返すことを決めました。だって、七ツ石山まで残り標高差500mも登る体力無さそうだったんだもんよ。因みにここまで二時間半。さして厳しくないと思われるコースタイムをも上回っています。

堂所で荷物を置いて休みがてら木や動物の足跡の写真を撮り、下り方面の尾根上に続く踏み跡を少し辿ってみたりしました。この尾根には「登り尾根」という名前が付いているようです。登山道は尾根東側の斜面にありますが、尾根通しにも踏み跡は残っているのかもしれません。いつか余裕のある時にでも歩いてみたい気がしました。

堂所から少し戻り、先程通過した広場になっている所でおひるごはんにしました。今回も手抜きでカップラーメンとカロリーメイトのゼリー。敗退決定後なので多少しょんぼりしていましたが、東隣の赤指(あかざす)尾根を見ながら食べていたら少し元気になりました。曇っていた空も段々晴れてきたようです。

昼食を終え、時間に余裕があるのでゆったりした気持ちで下りました。脚は音を上げ気味でしたが、それでも登りよりは楽なので周囲を見渡すゆとりがあります。時折南南東の三頭山(みとうさん)が見えたりもして、いい道だと思いました。今度はもっと晴れやかな気分で歩きたいものです。

小袖乗越から今度は鴨沢への近道を行きます。ややガレ気味の道ですが、特に危険な箇所はありませんでした。景色も意外によいようです。向かいに見えたのは鹿倉山(ししくらやま)かな?あっちもそのうち機会があれば歩いてみたい所。やがて道は舗装路となり、少し下ると登る時に下から向かって右へ進んだ分岐点(神社の下)へ反対側から出る形になりました。小学校らしきものの残骸の裏を行けば、近道経由で小袖乗越へ進めるようです。

国道に出てバス停の時刻表を見ると、バスは三分前に行っちゃったばかりでした。次のバスは二時間後です。流石に待ってらんないので、もっと本数の多いであろう奥多摩駅寄りのバス停までどんどん歩いてみることにしました。結局、三十分歩いて深山橋のバス停まで行ったら二十分後くらいに次のバスが小菅から来るらしきことを見つけ、そこで待つことにしました。朝、このバス停で降りてからここまで、万歩計は24099歩。舗装路歩きが合計一時間半以上もあったのに、やっぱり少ないですね。新しいザックで肩は痛くならなかったけど、こんなに短い山行じゃあ参考にならないかも。。。

るるるr・・・


2004.03.01

南関東では異常に暖かかった二月も終わり、今日から三月。いきなり雪や霙が降ったりして、ちょっとびっくり。山には雪が多少なりとも積もったんでしょうか。でも、大した量は降ってないだろうな。

今日はひつまぶし系一つ。知り合いのひとに教わったゲームです。Flash Playerが必要。

車の位置と爆薬の量、設置場所を調整して、上をふよふよ漂う奴等を一発で全部仕留める遊びです。クリアすると次の面に進めます。全四十面、時間制限無し、何回でもやり直せます。打ち上げた車が壁に当たると跳ね返りますが、速度は落ちます。空中では、恐らく空気抵抗を無視した単純な放物線を描きます。どういう軌道ならうまく奴等を全部仕留められるのか、考えながら遊ぶといいようです。


2004.02.28

ぷち切れ買い物シリーズ第二段、その二。新しい中型ザック。

RIPEN Couloir 45L
刺さってるのは、雪山用の杖「鴉」65cm。

今度はもうちょっとバックレングスの長いやつです。堅いフレームや分厚い腰パッド等はついていませんが、簡素な作りで自重は1480g。容量は前のサスカッチとほぼ同等の45Lです。本来岩登り用に作られたもので、肩への負担が最も少なくなるタイプではありません。しかし、軽いし「一本締め」のやつが欲しかったので、あっさり決め。

「一本締め」ってのは、こういった登山用背負い鞄(アタックザック、等とも言います。)の上部、蓋になっている所(天蓋とか雨蓋とか言うようです。)を止める表側のベルトが一本のやつ。中型以上のザックでは、サスカッチもそうでしたが左右二本で止めるのが一般的。けど、実際使ってみてこの二箇所の固定というのは開閉が面倒臭いという結論に達しました。因みにこの雨蓋、取り外して本体のウエストベルト(これも取り外し可能)を通すと、ウエストバッグになります。

・・・で、まだ出番待ちです。


2004.02.27

買い物シリーズの途中ですが、今日はオウム真理教(アーレフに改称)関連の裁判の話。東京地裁で、麻原(松本)被告の死刑判決が出ました。二百数十回に及ぶ公判を経て、救済の名の下に日本支配を考えた動機は、あまりにも浅ましく愚かしい限りだ。遺族らの悲嘆は深く、極刑をもって臨む以外に道はないと。弁護側は直ちに控訴したそうです。

改めて思い返してみるに、本当におぞましい事件の数々でした。あの冴えないおっさん、一人では何も出来なかったでしょう。可能にしたのは、多数の協力者。彼一人だけに憎しみを向けるのは容易い、しかし、それで片付けるのは危険でもあります。未だに「アーレフ」に改称したオウム真理教の信徒は千数百人もいるそうですし、当時関わった連中だけが日本人の中で全く異なる生物種だったとかいうわけではないのです。

あのニヤニヤした薄汚い麻原被告も、テロリストの巣をあばくと言ってアフガンを空爆しまくり、大量破壊兵器があると言ってイラクを空爆しまくり、結果ビン・ラディンは出てこないし大量破壊兵器も出てこないけど数千人の市民はきっちり殺しまくった亜米利加のブッシュ大統領も、それを積極的に支えた人々もそしてこの記事を読んでいる人々も、みんな同じ「ニンゲン」なのです。

もちろん、同じ「ニンゲン」だから皆同じだということではなく、各自がどういう考えを持ってどういう行動を取るかが大きな問題。ただ、私や貴方と彼らとの間には、明確な線など引けない。そのことは忘れないようにしたいものです。


2004.02.26

ぷち切れ買い物シリーズ第二段。昨年十一月からこないだの山行まで十回程使ってみたザック、さかいやオリジナルのSASQUATCH(45L/1650g、ズバリ¥3,980!!)。十回使っても慣れない(肩が痛くなる)のでぷちっと切れ、あっさり今後の使用を諦めました。まずはそのサスカッチのまとめ。

デイパックくらいだとかなりどうでもいいんですけど、中型以上のザックになると身体に合うかどうかが結構重要になります。私の場合、ストーブ(調理用小型焜炉)を買ってそれ(と、それを活用する為の鍋やら何やら)を持って行くには以前使っていたデイパックでは足りないので、間に合わせでたまたま見つけた安いやつをあまり身体に合わないと知りつつも買いました。中型以上のザックを買うのは初めてだから、使ってみて分かることもいろいろあるだろうし、最初は(選ぶ目を自分がまだ持っていない為)どうせ失敗するだろうから安いのがいいや、という立場です。その意味では、このザックは十分役目を果たしてくれたと思います。

SASQUATCH 45L
刺さってるのは、雪山用の杖「鴉」65cm。

SASQUATCH自体は処分品だったのでもう入手出来ないかと思われますが、「さかいやオリジナル」の他の商品はまだ売ってるので、その品質や方向性に関して(短い期間ですが使ってみて感じた範囲で)印象なども述べておきます。

素材や作りは丈夫です。重量15kg前後での山行が多かったのですが、これなら20kgくらいまでは行けそう。サイズを考えると十分な強度。肝心な部分で縫いがほつれてきたりする気配も無いので、百回くらいはきちんと使えるんじゃないでしょうか。ただ、経年劣化に関しては分かりません。内側のウレタンコーティングは何年も経つと剥がれてくるのが宿命でしょう。これは同様の素材を使ったどのザックでも同じかと。あと、雨に降られていないので防水性に関しても不明ですが、噂に聞くマックパックのような「ザックカバー要らず」は期待出来ないと思われます。

形状は正統的で余分な機能は少ないです。(片方の脇に何かを取り出せるような開口部があります。それは邪魔だけど、そこを除いて。)スコップやらスノーシュー等を挟めそうなフラップと、その外側の衣類やスパッツを挟めるバンジーコードは機能的です。両脇下部には丈夫そうなサイドポケットがあり、私は試してませんがスキーやテントポール等を括り付ける事も可能かと。こういった各部分、飾りではなく実際使うことを考えて作られていると思います。この感じだと、他のモデルも同様に機能的に作られているんじゃないでしょうか。

とまあ、概ね褒めたんですが、やっぱり荷重の大半が肩に掛かるとたかだか15kg程度でもヘタレな私には苦しい、という結論で次を探しました。っつか、肩で背負うことが前提だったと思われる昔の「キスリング」って大変だったんでしょうね。アレで30kgとか40kgとか背負ってたという話を聞くと、頭が下がると言うか肩が落ちると言うか・・・

つづく。


2004.02.25

ぷち切れ買い物シリーズ第二段へ行く前に、山行記。今回は、先月も行った近くの山域の同じ山へ、違う方から登ってみました。表尾根から登って、バカ尾根を下ります。前回から雪など殆ど降っていないらしく、道にはそして山頂にも雪が殆ど残っていませんでした。山頂近くの北側斜面に僅かに残る程度。うーん、一番雪の多そうな時期なんだけど・・・

前回より一つ手前の駅で電車を降り、北口の四番バス停から登山口へ。登山口となるのは二箇所あり、そのうちの上の方(峠)まで行くバスは数える程しかありません。登りは少し楽になりますが、時刻は少し遅くなるし、時期や天候、路面状況によってはそこまで運行されないこともあるらしいし、表尾根を登るのは初めてなので折角だから下の登山口から行くことにしました。

下の登山口は標高約310m。上にある峠は標高761mなので、そこまで450m程の登り。コースタイムは一時間です。確かに、速い人は一時間で600m位登っちゃったりします。が、私のような素人にはそれはむりで、普通300-400m/hourくらいが目安です。てことで相変わらず厳し目の設定。でも、この登山用地図が全面改定されたらきっとここの数字はもっとでかくなるんでしょう。

七時十五分、バス停を出発。初めは舗装路を登り、やがて道が狭くなって橋を渡った所から山道っぽくなります。この日は山頂までのコースタイムが四時間四十分。私の脚だとそれはむりだろうから、あまり大きく遅れないように少し速めに歩きました。コースタイムを一割程オーバーして峠に到着。舗装路に出ます。トイレ休憩を入れ、しばらく舗装路を下って山荘のあるところから表尾根へ取り付きます。

表尾根の末端は木の階段などもあり、割合機械的に標高を稼ぐ感じでした。登っていくうちに後ろに大きな山が見えたりして、いつか峠からあっちにも登ってみたくなります。ずいずい登ってほいっと出た最初のピークでは、向こうに富士山が見えました。いきなり見えるのでちょっと楽しい感じです。

2004.02.18 - rindou
峠への登り。
2004.02.18 - ooyama
最初のピーク手前から大きな山。

でも、そのピークで休んでいた六十歳位の単独行男性に挨拶したら、シカトぶっこかれました。また「挨拶の出来ない中高年単独行男性」かよ、とか思って先に出発。すぐ先にある、次のピークを目指します。

二つ目のピークは眺めの好い広い所でした。こないだこっち方面へ来た時、下る途中でずっと見えていた嶺。標高は1205m程あり、出発点からのコースタイムは二時間三十分、私のタイムは二時間四十五分でした。お、優秀。気温は2℃くらいでした。おなかがへったので、カロリーメイトを飲食しつつ十五分程休憩し、写真を撮って出発。

2004.02.18 - Fuji
二つ目のピークから富士山。
2004.02.18 - omoteone
これからZ型の稜線上を行きます。

そこからは一旦くくっと下り、僅かに登り返して次のピークです。標高1136m、山荘があります。その先は細かいピークがいくつもあり、一部鎖場等もあって(凍結していない時は特に危険な箇所ではありません)、退屈しない稜線歩きです。所々雪どけのどろどろぐぢょぐぢょ道でしたが、好天の下を快適に歩きました。いや、ちょっと暑かったのが難点。新たに入手した肌触りの良い細い繊維の羊毛製Tしゃつ一枚で登ってました。

2004.02.18 - gyouja-kusari 1
鎖場その一。
2004.02.18 - gyouja-kusari 2
鎖場その二。

やがて先月下りで逸れた分岐を通り、高齢の為最近ヘリで山を下りたらしい難しい名前の小屋番がいた山小屋を過ぎ、更に二つの山小屋を見送って最後の詰めを登り切ると、殆ど人のいないそして全く雪の無い山頂です。出発から五時間十分、コースタイムより一割程多い時間を掛けて着きました。まあ、コースタイムに休憩時間を足したくらいでしょうか。今回は荷物も軽め(約14kg)だったし、いっぱい写真を撮った割にはそこそこのペースで歩けたと思います。や、速い人だと三時間くらいで来ちゃうんでしょうけどね。。。

2004.02.18 - tounodake sanchou
珍しく人の少ないお昼の山頂。
2004.02.18 - tanzawa mountains
この山域の主要な山々。昨年暮れに登った山も見えている。

この日はずっと晴れていましたが、山頂からの景色は遠くが霞んでいまいち。でも、広々と見渡せるので気分はよいです。お湯を沸かし、今回はカロリーメイトとカップラーメンでおひるごはんとしました。一時間程ゆっくり休み、いよいよバカ尾根の下りです。

前回来たときは上の方がずっと雪に覆われていました。今回は、その雪が融けて出来たぬかるみすら乾きつつある/完全に乾いている状態で、何だかちょっと寂しいような気がしました。

下りは少し急いでみました。久々にしょぼい靴で気合いを入れて下った所為か、足首と膝を使いまくりました。重登山靴を履いていた期間、如何に下りで楽をしていたかがバレバレです。少し反省・・・というより、堅牢な登山靴の意味を再認識。それでも、途中で昨春以来の「ちびT」(名前の分からない小さい鳥:「ちびTちびTちびT!」と啼くので勝手にこう呼んでいる)の声を聞いたりしながら、約1200mの標高差をコースタイムより二割程短い時間で降りてくることが出来ました。やった。十五時、下山完了。

2004.02.18 - bakaone 1
(・∀・)ばかおね
2004.02.18 - bakaone 2
ばかおね(・∀・)
2004.02.18 - bakaone 3
(・∀・)ばかおねー!

前回こっちへ来た時の出発点だったバス停からバスに乗り、駅まで行って電車で帰宅。まだ陽も高く、のんびりこんとした雰囲気のうちに山行を終えました。万歩計は29906歩、舗装路歩きはそんなに長くないので、まあまあ充実した行程だったと思います。今度は、山頂から北へ続く稜線の方にも足を伸ばしてみたいです。

さて、ここでザックの話。今使っている(叩き売られていた安い)45Lのやつ、丈夫で良いものだとは思うのですが、背面長が私には短く、肩に負担が掛かります。今回の山行で見切りをつけました。脚やら足は次の日以降何ともないのに、肩だけ三日後まで筋肉痛ってのはやっぱりちょっと苦しいです。そんな訳で、後日の「ぷち切れ買い物シリーズ第二段」へ続きます。


2004.02.24

ぷち切れ買い物シリーズ第一段、その三。前回はweb通販で注文したところまで書きましたっけ。その二週間程後、無事届きました。箱を開け、早速試し履き。幸運にも、サイズはぴったりでした。足周りの小さい(幅の狭い)ブーツなので(私の買ったのは'D')、紐を締めても両側がきゅっと寄って締め切れないなんてことは無く、いい感じになりました。

Danner SUPER RAIN FOREST 8"
スーパーレインフォレスト八吋

中敷きはかなり分厚いものでした。(もし足周りがきついようなら、これを薄いものに交換すれば多少よくなると思います。通常なら「まず中敷きを足して・・・」とかやらないとうまく履けない靴が多いのに、そんなことに考えを巡らすなんて何か不思議な感じ。)で、そのまま履いて外を歩いてみたところ、登山靴などと違って柔らかいせいもあり、いきなり違和感無く履けてしまいました。やった。

靴の箱には手入れ方法が書いてありました。メモ代わりに翻訳・転載。

貴方の新たなダナー長靴の手入れ方法

  1. 火に近づけるな。靴底と接着剤は熱に弱いので、貴方の長靴を乾かす為に或いは長靴手入れ製品を使用する際に熱を用いるな。貴方の長靴の内側が濡れてしまった時には、湿気を取り除く為に乾いた新聞紙をその中に詰めて一晩置き、その後乾燥するまで置いておけ。
  2. 長靴をしばしばお湯で綺麗にしろ、そして長靴手入れ用或いは保革用製品を薄くしかし定期的に使用しろ(概ね三ヶ月毎に)。重度の使用或いは長靴が過酷な環境に晒される場合、もっと頻繁に手入れ用品を使用しろ。
  3. 長靴がゴアテックス内張りで出来ている場合、防水は不要である。長靴の内外を湿った雑巾で拭き、周期的に適切な手入れ用品を使用しろ。
  4. ダナーは水又はシリコーン基剤の長靴手入れ用品を薦める、何故ならばそれらは革を過度に柔らかくすることが少ないからである。

ついでに、JIS規格の靴のサイズ表も引いておきます。「JIS規格 靴のサイズ」より。足囲、足幅の単位はmmです。

男性
-DEEEEEE4EF
足長(cm)足囲足幅足囲足幅足囲足幅足囲足幅足囲足幅足囲足幅
24.0231952379724399249101255103261105
24.52349624098246100252103258105264107
25.023798243100249102255104261106267108
25.524099246101252103258105264107270109
26.0243100249102255104261106267108273110
26.5246101252103258105264107270109276111
27.0249103255105261107267109273111279113
27.5252104258106264108270110276112282114
28.0255105261107267109273111279113285115
女性
-ABCDEEE
足長(cm)足囲足幅足囲足幅足囲足幅足囲足幅足囲足幅足囲足幅
21.5195812018320786213882199022592
22.0198832048521087216892229122893
22.5201842078621388219902259223194
23.0204852108721689222912289423496
23.5207862138921991225932319523797
24.0210882169022292228942349624098
24.5213892199122593231952379724399
25.02169022292228942349624099246101
25.521991225942319623798243100249102

そんな訳で、これから末長く付き合える一品になるといいなと願いつつシリーズ第一段を終了。


2004.02.23

前回の続き。旧いブーツがぼろぼろになって限界だということで、新しいのを探しました。私が欲しいのは頑丈そうなワークブーツ。街の安売り靴屋を巡ってみても、なかなか欲しいものには出くわしません。そこで、webを使っていろいろ探ります。

で、目に留まったのが米国のDannerというメーカー。登山用品店にはここのハイキングシューズなんかも置いてあったりするので、全く馴染みが無いという訳ではありません。公式サイトを見てみると、元は樵用の長靴を作っていたそうで、私の探す正統的な野外作業用長靴がその商品系列の主要品目となっています。よし。また、この会社はゴアテックス・ライニング(内張り)の革靴を最初に作ったか何だかだそうで、防水性の高い革靴をいっぱい出しています。いいぞ。

しかし、ここで問題発覚。公式サイトには沢山の種類の靴が並んでいて、そのサイズも多くの型で幅の異なる二系統が用意されています(DとEE等)。が、

  1. 正規代理店経由で輸入・販売されている型が少ないらしい。
  2. 販売されている型も、幅の広いものしか入っていないようである。(私の足幅は狭い。)
  3. 何より、価格が高すぎ。高すぎ。高すぎ。

三番目について、一例として「DDR SHOP」というweb店舗での価格を見てみましょう。'RAIN FOREST 8"'というモデル、本家オンライン店舗での価格は$245($1=110円で換算して26,950円)。これが、何と55,000円で売られています。今どき、現地価格の倍です。他の店で他の型も較べてみましたが、概ねこんな感じ。つまり、特定の店が勝手に値付けを高くしているのではなく、日本の輸入代理店(ダナー・ジャパン)の値付けが高いのだろうという結論になります。

ここでぷちっと切れました。いくら何でも倍はないでしょ。ロストアローを見習いなさい!と言いたくなります。(私の買った雪山用の杖はこの代理店経由で輸入・販売されていましたが、米国メーカー本家での通販だと$79.95、日本での定価は7,900円でした。)こんな古典的な殿様商売をやらかしてる所から買うのは嫌です。出す金額云々より、そういった手法を肯定することになるのが嫌です。

そこで、送料(Danner直販だと$100)と輸入関税(靴の値段によって異なりますが、このくらいの価格帯だと大体5,000円前後)等の税金を加えても安いであろう本家直販で買うことにしました。選んだモデルは厚い革の'SUPER RAIN FOREST 8"'というもの。幅はD。正規代理店では恐らく扱っていないものですが、上の例から推測すると日本で売られた場合の価格は60,000円くらい。本家での価格は$270、それに送料と関税、消費税(国内で普通に物を買う時のそれとは異なります)を加えて大体47,000円前後でしょうか。

靴を試し履きせずに買うというのは無謀以外の何物でもない、しかも国際通販にはそれなりのリスクがありますが、ぷち切れた私にはそんなことは壁となりませんでした。最悪、掛ける金額全部をドブに捨てることになるのを受け入れる覚悟で、web通販のBUYボタンをぷちっと押しました。

更なる続きは後日。


2004.02.21

ぷち切れ買い物シリーズ第一段。

G.T.Hawkins
今までさんきう。

長いこと履いていたワークブーツ、あちこち手を入れたりして騙し騙しもたせてきたんですが、崩壊が進んで流石に限界。新調しました。新しいのはオレゴン州ポートランドの靴屋製です。外側は革だけど、ゴアテックスを使った蒸れにくいものだそうで。早速試し履きをしてみましたが、いきなり足に合いそうな雰囲気で第一印象は上々。

詳細は後日。


2004.02.17

南関東ではどんどん暖かくなってきてます。今年は山にも雪が少なく、折角雪道歩き用の杖を買ったのにまだ出番がありません。しゅん。いや、行くところへ行けば雪なんざ腐る程あるんでしょうけど、交通費やら車のタイヤやら時間やらの関係で行くに至ってないだけです。しゅしゅん。

さて、先日知り合いのひとに教わった面白いサイトを紹介。「TAKAGISM 2004」というところの、「CRIMSON ROOM(日本語版)」。Flashを使ったゲームで、閉じこめられた深紅の部屋からの脱出を試みます。人によりましょうが、大体三十分から一時間くらい掛かると思われますので、お時間のある時にでもどうぞ。この手の謎解きゲームに全く馴染みの無い方はちょっと苦労するかもしれません。根気よく隅々まで探ることが大事です。


2004.02.14

今日はバレンタインデーの日。東京では春一番が吹くかもしれないとか何とか言ってるようですがどうでしょう。明日は冬型で寒そうです。

お菓子屋さんの陰謀で始まったとされるバレンタインデーの日も、今年は週末に当たってしまったようで売り上げはどうなることやら。と思っていたら、「ともちょこ」とかいう新たな戦略で売り上げ減を避けているようです。いっそ、連休増加作戦に倣って「二月の第三月曜日」とかにしちゃえばよいのでは?

関係ありませんが、最近webの隅でちろりと目にしたので紹介。読むだけのひつまぶし系といった所です。

色んな人がいるんだからこんな大雑把に括られたらたまんねーよ!という意見はごもっとも。しかし、身近な女性を何人か思い浮かべてくすくす笑ってしまった私がいるのもまた事実だったりします。


2004.02.12

山行記。今回は、近いけどまだ行ったことのなかった山域その二の最高峰へ行ってきました。「まだ行ったことのなかった」と言っても、沢山行ってる山域と繋がってると言えば繋がってるのですが、アプローチの方向がやや異なります。どちらかと言うと嫌いな旧い環状線を経由して電車でゴー。最寄りの駅を降りると、目指す山が目の前にでーんと構えていました。削られまくった山肌に無粋なしましま模様が刻まれています。昔はもっと格好いい山だったんだろうな。。。

2004.02.08 - bukousan
でーん。

登山口は、最寄りの駅から舗装路をいっぱい歩いたところにあります。舗装路をいっぱい歩くのは嫌いですが、タクシーを使うと約二十分で三千円くらいかかるそうなので却下。それ以前に、駅前は閑散としていてタクシーなんざわざわざ呼ばないと来やしない状態でしたけど。

登山口までの舗装路は長いだけでなく、削りまくった石灰関連の工場が左右にひしめいています。そこら中、白くて大変です。大型ダンプ等が異臭を放ちながらごおごお走り抜けて行きます。かなり厳しい。ただ、今回はこないだ買った安い靴を履いて行ったのでまだ楽でした。いつもの重登山靴でこの距離の舗装路はちょっと・・・

途中、「中高年ハイカー」を満載したバスに追い抜かれたりしつつ、一時間二十分程で鳥居のある登山口(と言うより、山頂付近の神社への参道入口)に着きました。準備体操をして出発。いきなり下が凍っています。つるつるなので、こないだ買ったチェーンを着けてみました。効き具合はどうかしら。

少し行くと、沢を渡る橋がありました。手元の地図には「鉄板の橋」と書かれています。その朝は、氷の橋になってました。渡った先の道も氷に覆われていて、すげえつるつる滑ります。その部分はいくらチェーンを蹴り込んでも登ることが出来ず、振り返ってみればこの日の最難関でした。簡易アイゼンを装着すれば五秒程で登れる、何てことない区間なんですが。

アイゼンを外して進み、登山届を出すポストを過ぎる辺りから山道っぽくなります。しかし、前を歩く「中高年ハイカー」五人の集団がうるさい。リモコンの「消音」ボタンを押したくなります。ちょっと先にある滝のところで水を飲み、がーがー喚きながら休憩している彼らを置いて先に出ました。

私の方が少し速く歩いているので、彼らからは段々離れます。しかし、地形の関係もあっていつまでもうるさい。静かな山歩きは無理みたいです。結局、何十分もの間彼らの喧騒に悩まされつつ登りました。ところが、やっと聞こえなくなったと思ったら今度は上から喧騒が。舗装路歩きで私を追い越して行ったバスの「中高年ハイカー」集団のようでした。

彼らも私より微妙に遅いので、だんだんうるささが増しました。やがて大きな杉のある広場に出ると、その二十名程のうるさい集団はがーがー喚きながら休憩していました。私は杉の写真だけ撮って素通り。しかし、その後も出発した彼らの騒音をしばらく背後に浴びながら登ることになりました。

そのうちに、道が分岐している所へ出ました。地図には一本しか道が記されていないので、最近整備されたのでしょう。うるさい彼らの騒音をこれ以上浴びて登るのは嫌だったので、そこで彼らの通過を待ちました。しばらく休み、彼らが右の「一般コース」と書かれた方へ行ったのを見送り、更に少し休んでから左の「階段コース」と書かれた方へ進みました。

そこから階段(丸太で土を留めたもの)をがしがし歩き、ひと登りで目指す山頂から南へ続く稜線へと出ました。眺めの良い場所です。山頂までは五分と書いてあります。山頂へ行ったらまたここに戻るので、眺めを眺めるのは後にして山頂へと向かいました。すぐに(かつては山頂にあったはずの)神社が見えてきました。しばらく前、山頂が石灰採掘の為に崩されるので、採掘する企業群に金を出してもらってほいほい移転したそうです。

神社の脇を抜けて進むと、「←第一展望台」という看板がありました。人が入れないようにする柵に沿って左へ進むと、すぐ先にその展望台らしき空間がありました。分岐点で見送った「中高年ハイカー」の集団がぎゃあぎゃあ騒いでいました。うるさい。。。しかしこの山、昔はもっと高かったんですよね。今は、「山頂の無い山」という印象でした。何だか虚しい。

2004.02.08 - panorama
両神、浅間、苗場、谷川、武尊、赤城・・・

騒音の苦痛を堪えて何枚か写真を撮り(展望は素晴らしかった)、早々にその空間を後にしました。柵沿いに神社を挟んで反対側へ行くと、「第二展望台」がありました。こちらはあまり展望は利きません。正確に言うと、見える方面に高い山々があまりありません。その代わり、直下には採掘用に整備されたと思われる道路が来ていました。何と言うか、無惨な光景です。

多少の雪を踏みつつ神社の方へ戻り、最近新たに整備されたというトイレへ寄ろうと思ったら、鍵がかかっていて入れませんでした。冬は使えないようです。登山者、やたら多いんですけどね。

人の来ないベンチで少し休み、来た道を戻ります。僅かに下ると先程の合流点。これから行く稜線の道がよく見えます。後でしばらく雪の上を歩くことになりそうです。ただ、その地点から鞍部までは陽当たりがよいようで、雪は殆どありませんでした。二十五分程で鞍部に到着。買ったばかりの安い靴で初めての急坂下りでした。流石に重登山靴よりは頼りない、しかし、ローカットの運動靴よりは大分楽です。今のところ足に当たる箇所も無いし、快調。

2004.02.08 - komochi-oomochi
進んだ稜線。

鞍部からしばらく緩やかな、そしてその後は急な登りとなります。雪が薄く積もっていましたが、凍っている箇所は少ないので、キックステップ(つま先を雪に蹴り込んで足場を作るやり方)を使えば滑り止め無しでも歩けそうです。でも、面倒なので&試したいのでチェーンを履きました。この程度の路面状況なら、チェーンはいい感じです。軽いし、滑り止め効果はそこそこあるし、時折雪の消えた領域を歩いてもアイゼンみたいにげぢゃげぢゃ言いません。無闇に登山道を掘り起こすこともないでしょう。やった。

急坂をちまちま登り、先程までいた山頂と同じくらいの高さになった辺りで次の山頂に着きました。ここで向かいの山々を見ながら待望のおひるごはん。今回は、ふかひれすーぷの素(レトルトパック)を使ってうどんを食べました。その後、残った汁にごはんを入れて雑炊にしました。んまかったです。そうそう、みかんも持っていきました。うどん等を作って食べている間ずっと雪の上に置いといたら、冷たくなってしまって食べると頭が痛くなりました。小学校の給食に出てきた冷凍みかんを思い出します。

さて出発。更に南へと稜線を辿ります。軽く下り、軽く登って次の山頂へ。こちらも先程までいた山頂と同じくらいの高さですが、通過する鞍部が前のそれよりも高いので、山頂間の移動は楽でした。少し休憩し、いよいよ下りに入ります。まずは東へ伸びる尾根伝いに峠まで、そこからは北へ谷沿いに出発点の鳥居まで。標高差も距離も大したことないので、楽ちんでした。雪が適度に残っていてさくさく下れた区間もありました。靴の具合も良いようで、気持ちのいい下りでした。

2004.02.08 - oomochiyama
もうすぐ三つ目の山頂。

鳥居に出る直前、手元の登山用地図にはない車道に出合いました。一瞬混乱しましたが、よく見たらちゃんと導標がありました。。。その辺りで「これから登る」ような家族連れらしき人達とすれ違ったんですけど、彼ら一体どうするつもりだったんだろう。峠までの往復なら辛うじて日暮れ前に戻れるかもしれない時刻でしたので、そういう予定だったのかしら。どっかそこいらで幕営するといった風には見えませんでした。

無事最初の鳥居まで戻り、そこからは車道歩き。今回も荷物を軽めにしていたので(14kg位)、まだこの辺りまでは肩凝りも平気でした。しかし、一時間も舗装路を下るうちにだんだん肩が厳しくなってきました。んーむ。このサイズのザックも、そのうちもう少し身体に合ったものをまともな値段で買おう。。。今使ってるやつは、合う合わないを度外視して買った叩き売りのすげえ安いものです。まあ、12-13kg程度で行程十時間までなら特に問題無いんでしょうけどね。

帰りは駅からちょっと離れたコンビニに寄り、あいすきゃんでーを買って食べながら駅へ向かいました。暮れ行く空に、北面を削られまくったかつての名山のシルエットがだんだん沈んで行きました。朝、駅でリセットした万歩計は、再び駅に戻った時点で39234歩。車道歩きを除くと、20000歩弱の山歩きでした。ザック上部の温度計が記録した最低気温は-6.8℃。昼間はかなり気温が上がり、例によって寒い思いはしませんでした。


2004.02.10

不相変毎日200通のウイルスは来るし杉花粉の量も順調に増えてきましたが、いかがお過ごしでしょうか。昨日は手塚治虫の命日。早いもので、あれからもう十五年ですか。偉大な作品は十五年やそこらで朽ちませんけどね。

さて、今日は登山靴の話。先日、踵の内側が擦れて破れたので買った店(メーカー直営の小売り店)に持っていきました。それなりの料金で直せるそうなので、修理を頼んできました。ついでに、先の方が減ってきているからそろそろ替えた方がいいと言われ、靴底も貼り替えることにしました。

問題が一つ。その修理に三週間か四週間くらい掛かると言われたので、その間山で履く靴がありません。普段履きのワークブーツでは高尾山くらいにしか対応できないし、一昨年迄履いていた運動靴はぶにょぶにょなので軽アイゼン(靴底に着ける滑り止め鉄爪の軽いやつ)すらまともに着かないでしょう。仕方無いので、予て試そうと思っていた「登山靴と運動靴の中間」たる領域の「トレッキングシューズ」級を買いに行きました。

選択の条件は以下。

神保町にある某登山用品店webサイトでevernewのTrekStaエボリューションGTX(¥9,800→¥8,820)というのに目をつけてから店舗へ行ったところ、既に在庫切れで跡形も無いようだったので急遽他を探しました。旧モデル叩き売りシリーズみたいなところからmilletのAXS GTX本家サイトの仏語製品頁)というのを拾って試したところ足に合うようだったので、¥9,800でそれを買ってきました。ついでに、これまた以前から試したいと思っていた靴用のチェーンも買ってみました。

印象等は後日。


2004.02.03

節分。豆を撒いたり「お庭、外」とか「腹話、内」とか叫んだり鬼のお面を被ったり豆をぶつけられたりしましたでしょうか。私はどれもやってません。そういや、歳の数だけ豆を食うといいことがあるとかないとか。私は既に納豆を食ってしまったので、かなりの数の豆を食べたことになります。でも、豆撒きで納豆を撒いたら大変ですね。後の処理とか、残る匂いとか。。。

さて山行記。今回は、初めて「バカ尾根」に行ってきました。だらだらだらだらだらだらだらだら登って大変、という意味からそんな名が付いたようです。普通に山へ登りたい人のみならず、重い荷物を背負う訓練とか新しい道具の試用とか、首都圏から行きやすい場所にある為か結構いろんな目的で利用される尾根だそうです。南側で標高が低く、木陰を歩く部分も少ないので、夏は暑くて死にそうになるという話もあります。

アプローチは電車とバス。新宿からだと一時間半ちょい、850えんで登山口に着けます。道理で人が多い訳だ。ただ、週末の早朝は夜通し街で遊んだ人の帰る量が思いのほか多いようで、しばらくはかなり混雑していました。山の方へ行くと流石に人は減りますが、登山口へ向かうバスは登山客で結構いっぱいでした。

バスを降り、昇る夕陽、じゃなかった、沈む朝日、でもない、昇る朝日を見ながら準備体操と軽い朝食を済ませ、登山届を出して出発。最初は舗装路を少し歩きます。今回の荷物は15kgくらい。こないだよりは軽いので、肩が凝るまでの時間も少々長くなる予定です。

少し行くと舗装路を外れ、植林帯を進むうちに登山道っぽくなります。いよいよバカ尾根よの、といった雰囲気。前後には同様に上を目指す人が結構歩いていて、ちんたら歩く私を抜かして行く人も少なからずいました。みんな速いなあ。慣れてる人が多いみたいです。といういより、初めて来てる人は稀といった雰囲気でした。

因みにコースタイムは上まで三時間。標高差が約1200mありますので、例によって400m/hourという設定。んー、最近少し重たい荷物にも慣れたから、例えば数kg程度の荷物だったら私もその位のペースで歩けるでしょうか。でも、今回は無理です。そのうちもっと重たいのにも慣れたら、15-20kgを背負っても400m/hで歩けるようになるかしら。

展望台を過ぎ平らな領域を抜け噂に聞いた階段やら木道を汗だくになりながらずいずい登るうちに、次第に景色が好くなってゆきます。南アルプスから富士山、愛鷹山、箱根、海、伊豆大島、下の街、近くの大きい山、目指す山から右に延びた稜線。あっちの稜線は「表尾根」と呼ばれていて、結構楽しそうな道です。この日、余力があればあっちから下りてみようと思っていました。

2004.01.25 - bakaone 1
バカ尾根の下の方。
2004.01.25 - bakaone kara fuji
バカ尾根から見た富士山。
2004.01.25 - bakaone 2
バカ尾根の上の方。

しかし暑い。気温は大雑把に言って-2℃前後だったと思われますが、汗だくもいいとこ。こんなところを夏登ったら、水が3リッター有っても足りないぜ状態。気温が高い夏場は、富士山に(無雪期、五合目から)登るより大変かもしれません。や、富士山は酸素が少なめだから私みたいな酸素摂取能力の低い輩には辛いんですが、暑さにも弱い私としては真面目にこっちの方がきついかもしれないとか考えてしまいました。

そのうちに雪が現れ、簡易/軽アイゼンを着ける人もちらほら。上から下ってくる人も結構な割合で軽アイゼンを履いています。しばらく雪が降っていなかったと思われるのでどうかと心配していましたが、上の方にはそれなりに雪があるようです。やった。但し、道は通る人が多いので殆ど踏み固められまくっています。場所によってはそれが融けた後凍結しているので、「け、ばかおね如きでアイゼンなんか履いてられっかよ。」と思わずに履いてしまった方が歩くのは楽です。

実は今回(4本爪の簡易アイゼンも6本爪の軽アイゼンも持って行ったのですが)、どうしても試したくてこないだ買った12本爪のやつを履いてみました。要不要の面から言えば、今回歩いた範囲では明らかにこれは大げさすぎ。っつか、ジーンズに出刃アイゼン履いてる奴なんて私くらいのものなので、ちょっと恥ずかしかったっす。でも、試してみていろいろ分かることもありました。まずは歩き方。爪を裾に引っ掛けないように歩くというのは実際やってみるとさほど難しくありません。しかし、道が平らになると油断して普通の(街と同じ)歩き方をしてしまい、何度か引っ掛けそうになりました。次に重さ。最近出た比較的軽量の国産頑丈アイゼンなのですが、やはり慣れぬうちはじわじわと重さ感じます。靴と合わせて片足1.7kg程度でしょうか。ま、すぐ慣れると思いますけどね。

見晴らしのいい所にある山小屋の前でパノラマ写真を撮ったりしてから最後の詰めを登り、出発から四時間強かけてだだっ広い山頂に到着しました。やー、ここがこの山域で(ケーブルカーの敷設された大きい山を除くと)最もいっぱい人が立つと言われてる山頂かー。人が多いなー。でも、広いので混雑しているという印象はそんなに強くありませんでした。よかった。またパノラマ写真を撮り、荷物を拡げておひるごはん。今回もラーメンと雑炊。気持ちのいい山頂でのことなので美味しくて温まりますが、そろそろ他のものにも挑戦したくなってきました。

下山。ひとまず登る時に見えていた表尾根を下ってみることにしました。大きな山を見ながらの、なかなか楽しい道です。道端には鹿もいたりしました。何でこんな高い所に鹿がいるんだろうと思っていましたが、この山は街に近いため麓に棲めず、追い上げられる形でこんな上の方にまでいるんだそうです。やたら人に慣れていて、とある山小屋の側には半ば餌付けされているらしき大きな奴もいました。

2004.01.25 - ooyama - san-no-tou
左奥が大きい山、右は表尾根上のピーク。
2004.01.25 - shika 1
登山道脇の鹿。
2004.01.25 - shika 2
山小屋前の鹿。

道は陽当たりの好い所は雪が融けて無くなり、日陰は踏み固められたものが融けて凍って滑りやすく、ガレガレと混じったりしてそこそこ歩きにくい状態でした。アイゼンを着けたままだと岩をがりがり踏むことになり、外すとつるつる滑る領域が現れるといった感じで、やや面倒と言えば面倒。登りもそうでしたが、こういった状況では靴に着ける滑り止めのチェーンが有効なのかもしれません。今度機会があったら入手して使ってみたいと思います。

表尾根をずっと下るか途中から出発点のバス停方面へ下りるかちょっと迷いました。時間的には一応どっちでも大丈夫です。が、稜線はちょっとでこぼこしていて大変そうなので、軟弱に出発点へ戻ることにしました。そっちだと、ほぼ下り一辺倒ですから楽です。ま、そもそもこの山へ登るのは初めてだし、表尾根はまた今度登りで歩いてみようということで。

その下り、案外厄介でした。凍っている区間が結構あったのはまあいいとして、古い(放置されたような)植林帯に入ると道がややややこしい。かなりの頻度で木や石にペイントマークがあるので迷いませんが、もし無かったら一発で迷うような所でした。鶏冠尾根(山梨県三富村、鶏冠山の南)とちょっと似た雰囲気です。ここへ初めて来てしかも夜だったら、完全に降りることをためらうでしょう。こんなに人の多い山域だというのに、全く誰にも会わないし。この山域でも、道による人の偏りは相当激しいようです。

そうこうしているうちにどんどん標高を下げ、大分肩も凝ってきた辺りで廃墟の群れに出ました。ええと、それはかつてバンガロー村だったもの、のようです。昭和三十年代から四十年代頃までは栄えていたと思われます。富士山もそうですが、自動車が普及した頃から人の多い山域では人の流れが大きく変わってしまったんでしょうね。

その先は林道歩きになりました。登ってきたバカ尾根を眺めながらのゆったりした下り。思いがけずちろちろと雪が舞ったりして、まったりした散策となりました。日の暮れかかる頃には大きな吊り橋を渡って出発点のバス停に到着。ちょうどバスが来ていた&座れたので、山頂でジーンズの上から履いたナイロンカーゴイージーパンツを脱いだりする間も無くバスに乗り込みました。駅まで十五分程揺られ、今回の山行も無事終了。万歩計は28944歩、行動中の最低気温@ザック上部は-3.5℃でした。


2004.01.29

またウインドウズ専用のウイルス(トロイの木馬型ワーム)が大流行しているようです。私のところには、ここ三日ほど毎日100通以上のウイルスが来ています。プロバイダのメールサーバも大量のウイルスに音を上げ気味らしく、通常のメール送受も滞りがちで大迷惑です。

今回のものは'MyDoom'等と呼ばれ、例によって受け取った人が手動で実行しないと感染しないタイプのものです。こういったものが流行するのは、使い手側の保安意識が低すぎることも原因の一つです。見知らぬ人から来たメールに付いている謎の書類を、ネットワークに繋がったパソコンで気軽に実行しないで下さい。タチの悪いものはその限りではありませんが、「謎の添付書類を手動で実行」しないだけでも昨今の多くのウイルスには感染しません。

感染を防ぐための設定や操作について分からない場合の比較的安全な(やや消極的な)方法は、メールソフトとしてOutLookやOutLook Expressを使わないこと、webブラウザとしてInternet Explorerを使わないことです。また、アンチウイルスソフトを入れたからと言って安心せず、定期的に(最低でも週に一回くらいは)ウイルス定義ファイルを更新し、自分のマシンがウイルスに感染していないか確認して下さい。

そういうのが面倒な人は、ネットワークに繋ぐ(webやe-mailを利用する)為のパソコン用OSとしてWindowsを使わないで下さい。他のプラットフォームで活動するウイルスもありますが、ウインドウズ専用ウイルスと較べれば現状ではその数は無視できる程に少ないと言えます。いずれにせよ、感染したら貴方が加害者になることをお忘れなく。

関連記事等

(ARPさん@Mac News 4 U、ありがとう。)


2004.01.26

朝青龍全勝おめでとう。これまで朝青龍を嫌いだった人も、少し見方が変わったりしてるかもしれません。来場所以降もがんばれ。

話は違いますが、登山靴。ちょっと前から踵の内側が擦れて破れ、中のパッドが見えてきてしまいました。どうしよう。眺めていても直らないので、ひとまず買った靴屋に行ってみます。それなりの料金で直せるようなら直してもらうし、ダメなら買い替えないといけません。やっぱりインソール重ね敷きでの使用には無理があったのかしら。うー。


2004.01.24

朝青龍優勝。千代大海も(万全ではないとは言え)それなりに頑張りましたが、横綱の方が上でした。強くなっています。才能だけでここまで強くなることは出来ない。品格だとか何だとか色々言われていた時期もありましたけど、大したもんです。今後も大相撲を引っ張っていって貰いたいところ。明日は、1996年秋場所の貴乃花以来となる全勝優勝なるか、というのが興味の対象です。ここまで来たら行ってほしい。相手は綱取りに失敗した大関栃東。

二敗の琴光喜も黒海に勝って二敗を守りました。優勝は逃したものの、平幕で12勝は立派。来場所以降にも期待しましょう。負けたとは言え、黒海も力を付けてきました。前に出る圧力は相当なものです。後は、相撲の技術を身に付けていけばもっと強くなれると思います。

いじょ。


2004.01.23

まず大相撲。昨日、千代大海と魁皇が平幕相手にそれぞれつまらん負け方をしちまいまして、二敗で残ったのは結局琴光喜だけになりました。琴光喜は平幕とは言え優勝経験もあるので、優勝争いの行方は面白くなってきたとは決して言えないものの辛うじて「まだ分からない」状態にあります。でも、朝青龍は今日も強かったですね。13連勝。

さて、次は「なんば」の話。なんばと言っても色々ありますが、ここでは歩き方や走り方のそれ。明治以前、日本人は普通「右手、右足を同時に前に出す」方式で歩いたり走ったりしてたそうです。有名なところでは江戸時代の飛脚とか伊能忠敬、今でも歌舞伎役者やら陸上の末續選手らにその伝統が残っていますね。

私も最近やってみました。ジョギングで。やり方は簡単です。下手に「右手と右足を一緒に前に出して・・・」とか考えてると多分うまく出来ないので、ここでは簡単に出来る方法を紹介します。軽く走る場合、押さえておくべき点は以下。

やってみると分かりますが、これで走ると自然に肩がひらひらします。右足が前に出る時には右肩が前に出て、という具合。脳天から尾てい骨を通る線を軸にして、平たい板がひらひらするような感じで身体が動きます。取り敢えずそんだけでOK。私の(20分くらいのジョギングでの)試行では、それまでの西洋式の走り方より5%程速いタイムで楽に走れました。っつーか、今まで○×年間やってきた西洋式の走り方って一体何だったんだろう?だましたやつでてこい!という印象です。

これと同じような動きは他にも沢山あります。私はよく知りませんが、剣道とか空手の動作では基本だそうです。ボクシングだと、右構え(でいいのかな?右利きの人が左肩と左足を前に出して構える方式)から左のボディーアッパーで相手の肝臓を打ち抜く時とか。私の時々やってる運動でもこういった動きは必要になりますし、山を歩く時に手を後ろで組んでいると自然にこういった動きが入ってきます。

まあ、普段街を歩く時に歌舞伎役者のような大げさな歩き方をしてたらと恐らく変な意味で注目を集めてしまいますので、わざわざ走って試すのが面倒な人はひとまず手を後ろに組んで歩きながら肩の動きを感じてみるといいのではないでしょうか。身体の使い方が西洋式の歩き方とは違うので、そういう点を意識してみると結構面白いかもしれません。


2004.01.21

朝青龍11連勝。今のところ横綱らしい強さです。しかも、独特の迫力があります。強かった時の北の湖や千代の富士、貴乃花とは違った感じ。見ていて面白いです。この後、大関の千代大海や魁皇と当たりますが、止められるかな?いい時の両大関なら五分の闘いをすると思いますが、単純計算で彼ら二人に横綱が負ける確率は25%。既に星二つの差がついていますから、現時点では優勝争いで朝昇龍が有利なのには違いないでしょう。

一方、怪我して休場しちゃった武双山と、綱取りの場所ということでか固くなり連敗しちゃってもう絶望な栃東は残念。難しいですね。でも、来場所以降またいい相撲を見せて欲しいところ。最近はNHKで以前の「大相撲ダイジェスト」が復活しましたので、生でなくても見られる機会があって嬉しいです。


2004.01.19

南関東ではいよいよ本格的に杉花粉が飛び始めたようです。杉花粉症のみなさん、いかがお過ごしでしょうか。手近な飲食物としては、納豆菌やら乳酸菌、ミントポリフェノールなんかが症状軽減に有効な場合もあるそうですね。私も安いところから試してみよっと。

お年玉くじ付き年賀状の当選番号が昨日決まりました。私は紙製年賀状をあまり出さなくなってしばらく経つので、文字通り数える程しか来てない年賀状をチェックしたけど全然当たってませんでした。そもそも、賞品自体がしょぼしょぼになって久しいような気がします。

さて、年賀状と言えばパソコンとデジタルカメラの普及以来定番となった「年賀状付き子供の写真」です。これには賛否両論ありそうなものですが、webで検索する(例えばYahoo! JAPANで「子供 写真 年賀状」を検索する)と、上の方に引っ掛かるものはその殆どがプリンタメーカ等の宣伝/手引きか「年賀状付き子供の写真」をただ闇雲に送り付けることへの否定的意見です。

そんな中で、ただ闇雲に相手の行動を否定せず受け止めてみよう、ってな立場からの意見がありましたので拾っておきます。まあ、この文章の中でもただ闇雲に「年賀状付き子供の写真」を送り付けることは穏やかに否定されているようですけどね。

子供達の笑顔が絶えませんように。


2004.01.17

今日は神戸の地震から九年の日。最近山歩きに嵌まるに従って、図らずも非常用品として使えるものがやや増えてきたような気もします。ザックには多少の食料、(以下、そこらに置いてある場合もありますが)水の入ったペットボトル、雨露をしのぐ為のツェルト(簡易テント)、最強ゴアテックス雨具を含めた防寒着、くるまると暖かいサバイバルシート(ごく薄い特殊繊維の毛布みたいなの)、瓦礫の上でも平気で歩けそうな登山靴、懐中電灯、応急手当てセット、等。そのうちもっとちゃんとしたテントや寝袋も買えば更に強力になるような気もします。

でも、そういったものを揃えるだけでは気休め程度にしかなりません。実際には自分がそれを持ち出して動けるかどうかがまず問題になるはず。んで、仮に自分が動けたとして、更に問題なのはその後のこと。一日や二日を乗り切れば終わりという話ではないのです。自然は侮れない。そして、事が起これば誰かに助けてもらうことは期待出来ない。それだけは忘れないようにしたいと思っています。


2004.01.15

今日は旧・成人の日。月曜日を祝日にしようシリーズは連休が増えていいと言えばいいのかもしれませんが、一月十五日と日付で脳に刷り込まれたものが変わってしまうといつまで経っても違和感を拭えないのはやはり歳の所為ですかね。

さて、先週末の山行記。今回は前に何度か登ったことのある山へ。2000m級なので多少は雪があるかと期待して行ったものの、晴れ続きだったせいかあんまりありませんでした。でも、天気が好くて眺め最高、楽しい一日でした。

出発点は盆地から東京方面にちょっと登った所。舗装された林道がかなり上まで延びていますが、冬期は下の方で通行止め。そのゲートの少し下にある駐車場に車を置きました。実はゲートの所にも駐車スペースがあるので、そこまで行く方が楽です。まあ、歩いて10分くらいの違いですけど。

気温は-4℃くらい。ちょっと寒いかな、と思ってジーンズの上にナイロンカーゴイージーパンツという長い名前の安いパンツを履いて歩き始めます。デジタルカメラには先日購入したpanasonicのニカド電池(容量1000mAh)を入れ、そのデジタルカメラを入れたウエストポーチには使い捨てカイロを入れました。

初めは北東の峠に向かって沢沿いを登ります。四十年前の地図を見ると、登山道を示す赤実線ではなくその他の道を示す黒破線で描いてあります。林道っぽい、やや幅の広い道。やがて沢を離れ、登山道らしい道で尾根を登ってゆきます。路面はほぼ完全なドライ、雪どころか霜柱もありません。

尾根をずいずい登ります。登るうちに後ろの方に盆地やらその向こうの山脈やら奇特な火山やらが見えてきて、気持ちのいい道。この山へは何度か来ているけれど、この道を歩くのは初めてということもあり、楽しい気分で登ってゆきました。因みに今回の荷物は16kg強。腰に巻いた上着等を含めれば17kgを超えるでしょうか。でも、重さには大分慣れてきたので、そんなにちんたらせず進めました。

道が急になり、ナイロンカーゴイージーパンツを履いてきてしまったことをやや悔いながら(あちくて蒸れます)登っていくと、空が沢山見えてきました。峠が近い雰囲気です。くくっと登り切り、平らな空間に出て僅かで峠に到着。廃墟じゃない山小屋がありました。奇特な火山もよく見えます。出発から約二時間歩いたので、少し長めの休憩。

2004.01.11 - Fuji 1
峠から、奇特な火山。

そこからは稜線伝いに山頂を目指します。標高は1700mを超え、北側を歩く部分が多いこともあって、雪が出てきました。と言っても僅かに積もった雪は踏み固められていて、その上には乾いた土が乗っています。アイゼンを着けることもなく、そのままゴー。この山域らしい原生林の中を、時折鹿の足跡を見つけながらゆっくり歩きました。

峠までは見えなかった北側の山々が、木々の隙間からちろりちろちろと見えます。やー。けど、その中で一番高い山(標高2600mくらい)ですら南側斜面には雪が殆どありません。その西にある二番目くらいに高い山(同/山頂にへんちくりんな岩がある)の上の方にちょっとだけ雪が乗っている感じ。この冬はまだ雪が少ないようです。

殆ど平らな稜線を進み、やがて最後の詰め。標高差にして250m程の登りです。尾根の北側を巻くような形で登ります。ひゅうひゅう吹き抜ける風は冷たく、鼻水が出てきます。でも、登っているので身体は暖かい。むしろ、暑い。鼻垂れ小僧になりながら、ずいずい登ってゆきました。そのうちに陽射しが見えてきて、山頂の近いことを知ります。

2004.01.11 - taiyou
もうすぐ山頂。

道が平坦になり、この山は「峰」ではなく「嶺」だということと併せていよいよ山頂だと思うと、間も無く山頂に到着しました。峠から約一時間半。四十年前の地図だとコースタイムは一時間となっていますので、ややのろいペースです。実を言うと、肩が凝ってペースが落ちたのでした。んー、脚は重さに慣れたんだけどなあ。やっぱりこのしょぼいザックでは15kgぐらいまでが「楽」な範囲ということのようです、私の場合。そのうちもうちっと腰に荷重の掛かるでかいザックを買います。

山頂はちょっと開けた平らな空間で、雪があり真っ白で綺麗でした。でもコメツガ等に覆われて景色が全然見えない為、ちょっと南へ下り名前のついた岩の所へ進みます。そこは眺めがよくて有名な場所です。春から秋にかけてだと、連休中の快晴のお昼時なんて人がわらわらわらわらいて大変な場所ですが、この日は冬なので人も少なく、素晴らしい眺めを友におひるごはんを食べられました。因みに今回はラーメン、食べた後のスープにちょっとごはんを入れて雑炊。食い過ぎかな?腹いっぱいになりました。

見えた山々は、近くのものから遠くのものまで沢山。北アルプス南端の乗鞍岳が異様に近く見えたのには少々驚きました。中央アルプスはその一部が僅かに見えた程度、その向こうにある木曾御嶽は高さの関係で見えなかったと思います。南アルプスはばっちり。写真を載せておきますので、ドレが何やら分かる人は分かって下さい。っつーか、2800m級の鳳凰三山ですら雪はあんまり着いてませんね。いいんだろうか。

2004.01.11 - norikura
乗鞍岳、たぶん。
2004.01.11 - Fuji 2
奇特な火山、その二。
2004.01.11 - minami alps
赤石山脈。右端の白いのが木曽山脈、たぶん。

そういや、同じ週末に北アで遭難した人達が居ました。直前に行く場所をなんとなく決め、その候補地には鳳凰三山などもあったようです。鳳凰三山にしておけば多分遭難しなかっただろうにな。全員冬の北アは初めてで行き当たりばったりな企画ってんじゃ、遭難しなかったら単に運が良かっただけという印象です。私も気をつけようっと。

下山は、人通りの多いはずの道を旧峠まで下り、旧峠の避難小屋脇から人通りの少ない道を下ります。人通りの多いはずの道は、四十年前の地図だと「プロムナードコース」と書いてあるいかにも軟弱そうな道ですが、この日は静かなものでした。南アルプスがずっと見えています。雪は全く無し。避難小屋から下る道には雪が少し残り、一人分の登りの踏み跡がありました。笹原を進み、樹林帯に入ってもう一つのマイナーな道と合流します。小沢が凍っていて奇妙な造形の氷がいっぱいありました。

そこから僅かで展望台のある山小屋に出て、あとはメジャールートです。人も増えました。車の入れる道をのんびり下り、次の山小屋からは舗装路ですが並行して走る山道をのんびり下り、大きな山小屋のある峠に出ました。冬期以外は一般車両がここまで入れます。一昨年の秋に来た時はここに車を止めました。

その先は舗装された林道もありますが長いので、真っすぐ下る登山道を行きます。乾いた道を、時折落ち葉のふかふか絨毯をがさがさ踏みながら一時間強。茶屋の手前で別の林道(治山工事用道路?)に出ました。二、三分で昔は流行っていたであろう茶屋の前に出て、更に十分程植林帯の中の登山道を下ると、行きに見送ったゲートへ出ました。そこから車まで数分、舗装路の下りです。

駐車場で帰り支度をしていると、夕陽が南アルプスに沈んで行きそうになりました。少し待って日没を眺めます。今日もいい一日だったな、夕陽を見ているとそんな心持ちになります。街で建物にこもって何かやってると、こういう光景を目にする機会も無いんですよね。たまには見たいものです。

今回は、おひるごはんを作るのに新しいガス缶を使いました。バーナーとは違うメーカーの、白いやつ。イソブタン(沸点-11.7℃)65%、プロパン(沸点-42.1℃)35%なので、気温-2℃前後だった山頂では当然余裕でした。因みにこの日の行程での最低気温は-8.0℃@ザック上部。恐らく、山頂手前の尾根北側を歩いていた辺りで記録されたものと思われます。万歩計は26000歩ちょいでした。


2004.01.13

大相撲初場所が始まりました。注目の大関栃東は、初日黒星。固かったようです。組んじゃダメだ。二日目は自分本来の相撲を取り戻して完勝。いい感じです。むさしまるが引退して一人横綱となった朝青龍は、場所前に風邪を引いたのどうのという話はあったもののきっちり勝っています。強い。

さて、鶏関係で二つ。一つは卵の偽装出荷。

京都府城陽市寺田奥山の山城養鶏生産組合(西田詔子代表)が2003年12月、半年前に採った5万6000個の卵に採卵日や賞味期限を虚偽表示して、京都と大阪に出荷していたことがわかり、京都府は11日までに文書で再発防止を指導した。この卵を購入した消費者から各販売店などに腹痛や下痢など26件の苦情があったという。

Yahoo!ニュースより)

ワルですね、これは。厚生労働省は12日、食品衛生法違反の疑いで京都府と合同で調査に乗り出す方針を固めたそうです。卵の場合、採卵日の表示に関しては食品衛生法に規定はないそうですが、公衆衛生に危害を及ぼす虚偽の表示は禁止されているそうで、そっちの方からの調査のようです。

次。鶏のインフルエンザ。

山口県阿東町の採卵専門養鶏場「ウインウインファーム山口農場」で、韓国で感染が広がっている「H5型」に属する高病原性鳥インフルエンザウイルスが検出されたとな。既に約六千羽が死に、山口県の指導で今月十日から卵の出荷を自粛しているそうです。鳥のインフルエンザは、(詳しく知りませんが恐らく)感染した鶏の卵や肉を食べたくらいでは人にはうつらないでしょう。ただ、この病気が今後全国あちこちの養鶏場に拡がるとちとヤバい感じ。

狂牛病もそうですが、食物の「大量生産」という形態がこういった問題を大きくするんでしょうね。大量生産しないとみんなが飢え死にするという地上の人口の多さがその根底にはあるかと思われます。


2004.01.08

今日は強い冬型の気圧配置。いよいよ冬も本番といったところです。日中、風の強かった南関東では、満月をわずかに過ぎた月が皓々と輝いております。気温は3℃前後。この辺のこの時刻にしては冷え込んでいる方です。

さて、そろそろ杉花粉の季節。昨夏ははっきりしない夏だったので、今年の杉花粉は少なめでしょう。でも飛びます。アレルギー症状を軽減するには、規則正しい生活を送るとかストレスを溜めないようにするとか納豆やらヨーグルトを食べるとかいろいろあるようですが、そもそもどうしてアレルギーを起こしやすい体質になったのか。

一説によると、乳幼児期にあんまりバイキンまみれにならなかった人がアレルギー体質になりやすいそうです。戦後間も無い頃はともかく、昨今育った子供は大抵これに該当してしまうんじゃないでしょうか。これから子供を育てる人は、こんな話もちろっと頭に入れておくといいかもしれません。適度に汚い環境になじませて、免疫システムのバランスをとる。

ま、もう育ってしまった私みたいなのは「手遅れ」だそうです。何の救いもない話ですかね。んー、結構泥んこ遊びは好きだったんだけどなあ。所詮は「街の子」ということでしょうか。


2004.01.05

正月休みも終わり、また日常的な日常が始まりました。今年はどんな一年になりますやら。身近なところから、去年よりも一歩くらいは進めたらいいと思ってます。

さて、元日の富士山の写真です。

2004.01.01 - dawn
もうすぐ夜明け。左に山中湖が見えます。
2004.01.01 - Fuji 1
二合五勺付近から。
2004.01.01 - Fuji 2
もうちょい下から。
2004.01.01 - Fuji 3
太郎坊付近から。
2004.01.01 - ashitaka
二合目上から愛鷹山。

次、納豆。先日、掲示板に鎌倉山納豆のことを書いたら、鎌倉在住の親切な知り合いのひとがお土産に買ってきてくれました。オーソドクスな納豆(鎌倉山納豆極小粒)です。試しに、何も掛けずそのまま食べてみました。癖の無いシンプルな味で、んまい。通販でも買えるようです。

#買ってきてくれたひと、ありがとうございました。


2004.01.02

明けましておめでとうございます。いきなりですが、今年最初の山行記。初日の出を見に富士山麓へ行ってきました。この時期富士山頂を目指すにはそれなりの装備と技術が必要です。私にはまだありません。ので、御殿場口登山道の標高1920m付近でお茶を濁しました。ここいらはまだ「凍った火山粒」があるだけで、アイゼンやピッケルは一応持っていったけど使わずに安全に登れました。(年によっては少なからぬ積雪があるかもしれません。が、斜度が緩いので滑落の危険は殆ど無いかと思われます。)

出発は御殿場口の駐車場・・・と思って出かけたら、富士山スカイラインから御殿場口新五合目(標高1440m、実際は二合目の下)へ向かう道路が通行止めでした。太郎坊洞門の先の空き地に駐車してそこから歩きます。新五合目駐車場までの舗装路は、所々凍結していて夏タイヤでは無理な状態でした。気温は-3℃前後。

夜明け前の富士山麓。流星の目立つ満天の星空、その星明かりで浮かび上がる白い富士、そして振り返れば御殿場の夜景。ぞくぞくするような光景です。上の方、恐らく八合目より少し下辺りには、先に登っている人のライトがちらちら見えました。夏に車を止めた巨大な駐車場を過ぎ、二合目の大石茶屋を目指して登山道(夏道)を登り始めます。十五分程で大石茶屋(冬はやってません)に到着。手袋を取り出して着用していると、下から男性が一人上がってきました。彼もどっかそこらで日の出を見るようです。少し会話して、お先に上へ向かいます。(因みに、この茶屋前でも日の出は拝めるはずです。)

火山粒が微妙に凍っている為、ぢゅるぢゅるする夏よりも歩きやすく感じました。どうせそんなに上までは行かない(行けない)ので、空を見たり後ろを振り返ったりしながらちんたら登りました。風は殆ど無く、気温は徐々に下がっているものの寒さを感じることはあまりありませんでした。

踏み跡が幾つかあります。まあ、下が固まっているのでどこを登っても大差ないような気もしましたが、一応それを辿りました。時折、登山道の導標が地べた付近に刺してあります。そのうちに、持っていたミニマグライトの明かりが妙に暗くなってきました。アレ?アルカリ電池だし手に持ってるから、低温が原因ってことはないよな・・・電池切れ?アルカリ電池もあと四本の新品を持っていましたが、出すのが面倒なので手近にあったカメラ用の予備電池をミニマグに入れました。ニッケル水素電池なので低温には弱いはずですが、手に持って温めてるから大丈夫でした。やった。

徐々に後ろの空が明るくなります。赤く染まり行く太平洋の上の空は見事。しかし、太陽の出る方向には雲があるようです。むむん、horizonから昇る太陽は拝めないかも。まあいいや、雲の上からでも。そんなことを思いながら、山中湖を見たり富士宮を見たり丹沢やら箱根を見たりしつつ登って行きました。下から来て追い越していく人もいます。はやいなー。

やがて左に見える二ツ塚の上の塚とほぼ並んだ辺り、標高1920m程の二合五勺へ到着。時刻は6:25a.m.前後。もうすぐ日の出なので、ここまででいいやと決めて廃墟の前に荷物を下ろしました。気温は-8℃を下回っています。見ているうちに下がってゆき、最低で-9.5℃まで記録しました(地面上20cm位の所で)。けど、その温度計は-10℃くらいまでしか対応してないらしく、そこいらで表示が消えていってしまいました。因みに熱帯魚用、電池式のやつです。最高/最低温度を本体とそこから伸びたコード先のそれぞれの部分について記憶する機能が付いています。

太陽の昇る方から雲が押し寄せてきます。何てこったい。そろそろ日の出を迎える時刻には、見事にもやもやの中に囚われてしまいました。残念。しばらく待ってみましたが、ちょっと日の出は拝めそうもありません。事後に知った範囲では、秩父の武甲山や奥多摩の日の出山、丹沢の塔ノ岳辺りではばっちりだったとか。ちっと悔しいけど、夜明け前の光景が素晴らしかったのでよしとします。

止まっているとやや寒いので、ノルマルブタンガスの限界見極めを兼ねてスープでも飲むことにしました。お湯を沸かします。気温は-9℃から-7℃(夜明けを過ぎたら見る間に上がって行きました)。まず点火。一発で問題無し。次に火力。最初はゴーゴーでした。そのうちに気化熱を奪われたガス缶はすげえ冷たくなり、火もしょぼしょぼになってしまいました。手袋を嵌めた手を缶に当てると火力復活。大して待つこともなく、あっさり湯が沸きました。そろそろ残量も少ないノルマルブタン100%なのに、限界テストになってない。。。

温かいスープを飲み、ほっと一息ついて下山。下りてくる人もちらちらいます。六合目辺りでもやっぱり日の出は見えなかったそうです。山頂はどうだったんだろう。下りていくうちに、振り返ると山頂方面がくっきり見えるようになりました。白い朝日を浴びた白い富士は、青い青い空を背景にして見事に白い。うーん、絶景。写真をいっぱい撮りました。

そういえばカメラ(ニッケル水素電池)の防寒対策。今回はカメラを入れるウェストポーチに使い捨てカイロを入れるという方法を試しました。最初のうちはよかったのですが、結局ダメでした。カイロが冷たくなります。その後、ずぼんのぽっけに両方を入れてみました。これもいまいちでした。カメラをぽっけから取り出してすぐは一応使えるのですが、寒い中で二、三枚撮っていると電池が冷えて死にます。結論としては、やはりニッケル水素電池は厳しいということです。高価な使い捨てリチウム電池を使うか、容量はやや少ないものの数百回使えるニッケルカドミウム電池を買うか、そこらが良さそうです。

振り返りながらのお気楽下山途中、大石茶屋の所でラーメンを作って食べました。気温はもう2℃くらいあったので、やっぱり使ったのはノルマルブタンガスのみです。そろそろ一缶目が無くなります。300えんくらいで随分使えるものです。ラーメンにはおもちも入れました。面倒臭がって具は持っていきませんでしたけど、温まりました。

茶屋から数分で大駐車場、そこからは舗装路。やはり一部凍っていて、この日の行程の中ではここが一番危険でしたとさ。途中のBOAC遭難碑(1966年3月5日、英国航空旅客機DC-8が富士山付近で空中分解し、124名が亡くなったそうな)を見たりしつつ無事ちんたら下山。今回は山行としてはかなり半端なものでしたが、十分に楽しめた一日だったと思います。来年はどこへ初日の出を見に行こうかな。気が早すぎ。

#元日の写真は後日改めて載せる予定。



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