今朝はすごい雨でした。でも昼過ぎから晴れてきて、ちょっと爽やかな感じになりました。明日はまた雨だそうです。梅雨に入ってから、東京大手町の雨量は梅雨前半分としては大体平年並程度だけど、首都圏の水がめたる北関東では少なめだとか。それより、九州北部や四国等で渇水が深刻になってきているようです。難しいですね。
ブナなどの広葉樹林があると、土がふわふわのスポンジみたいになって、雨が降ればそこに沢山の水が含まれます。その後、ちょっとずつちょっとずつ水が染み出し、あまり雨の降らない期間が少々長く続いても山からの水が枯れるといった事態に至りにくい。でも、全部杉植林だとそうはいかないようです。保水力が低い。
一方、都市部のアスファルト舗装部分はもっと保水力が低い。雨が降ると地面に染み込む水が少なく、一気にどばどばと下水管へ流れ込み、やがてその水は都市型河川(コンクリートで固められた水路)へと殺到する。で、水位急上昇して溢れたりする。地下水位は雨が降ってもあまり回復しない。そんな傾向が見られたようです。
最近では、水の染み込むタイプの舗装に変えたり、地下に貯水池を作って降雨時に水をそこへ溜めたり、改善策が徐々に取られている様子。でも、もともとは人の作った禍でしかない。自分達に都合のいいように自然を加工してみたら、自分達に都合が悪いことが起こったのでまた別の加工をしてみる。アホっちゃあアホです。昔からそんなことの繰り返し。
先刻NHKでウガンダのルウェンゾリ山地というところの番組をやっていました。熱帯、赤道直下にある5000m級の山。麓から上まで、歩いて登る話でした。途中の自然は標高によって様々、珍しい動植物が沢山出てきます。標高4500mまで山小屋があり、ガイド付きで時間をかければ私でも登れそうな雰囲気でした。いいな。行ってみたい。
その山の上の方には氷河があります。けど、最近どんどん縮小してってるそうです。あと二十年もしたら無くなってしまうかもしれないとか。氷河が無くなっちゃうとそこからの水も途絶えたりして、下の生き物にも何らかの影響が出るんでしょうね。アラル海もすごい減ってるし、他にも色々な所で最近急激な変化が起きているのかもしれません。
昔から環境の変化ってのはずっと続いていたと思うし、今起きているそれがこれまでのものと較べてどうなのかといったことは分かりません。けど、あまりに人為的な変化ってのは何だか興ざめです。他の生き物に迷惑をかけすぎているような気がします。そんな感じ方もまた独善なのかもしれませんが。
昨日の暑さから打って変わり、今日は一日梅雨らしい天気でした。気温も低く、涼しくて楽ちん。この先しばらくはこんな天気が続くそうです。新潟などでは雨がすごかったとか。去年も豪雨がありましたけど、今年も何やら色々あるのでしょうか。
巷では、と言うかロンドン方面では、全英庭球選手権2005(?)が開かれています。毎晩見ちゃって寝不足の人もいるでしょうか。ウィンブルドンと言えば、去年は女子単でしゃらぽわ選手が優勝し、話題を作ったはず。今年もずんずん勝ち進んでいるようです。しかし、彼女はうるさい。男子も、ディフェンディング・チャンピオンのフェデラーが安定した強さを見せて勝ち進んでいる、のかな?バランスがいいですね、この人は。今宵も試合の放送があるようです。
既に廃墟と化している139-2にて書かせて頂いております。m(_ _)m
某夜、南関東某所にて。
今日は東京大手町で最高気温36.2℃を記録したそうな。私の記憶では、六月中に36℃超えなんてのはこれまで無かったですのだ。びっくり。
さて話変わります。ある期間、ある程度以上の頻度で訪れた場所に、もう行く必要が無くなったりその場所自体が無くなったりして、ある瞬間以降殆ど或いは全く行かなくなってしまったという経験が誰にでもあるかと思います。例えば、昔通った学校だとか昔住んでいた場所の近くにあったお店だとか、そういうの。みなさんはどんな場所を思い浮かべますか?
場所自体が失せてしまった場合や、場所自体はあるけどもう自分を受け入れてくれる空間ではなくなった場合や、訪れようと思えばいつでも訪れることは出来るけど特に訪れる理由が無くなってしまった場合など、色々な場合がありましょう。いずれの場合も、その馴染んだ場所を失ったという点では同じ。そういった喪失は、程度の差こそあれ哀しみを伴うことが多いのではないでしょうか。
そんな「過去の場所」を重ねていくことは、自分が生きている証の一つと言えるのかもしれません。失い、また新たなものを得る。その繰り返し。いつも同じじゃ飽きるかもしれないし、あまり閉鎖的な空間でばかり過ごすのも健康に良くない。だから、そんなに悲しむべきことではないのだろうとも思います。むしろ、失って痛むような場所を一時でも得られたということを喜ぶべきなのだろうと。
今日、私はそんな喪失を一つ刻みました。その場所を後にした直後、雨がぱらりぱらぱらと舞い降りて来ます。見上げると、概ね晴れているのに。空が私の代わりに泣いたんだと思いました。
ベルセルク28巻、今更買いました。面白いです。しかし外は暑い。夜になっても暑いので、そろそろ盛夏なのかと思います。このまま八月まで暑い日が続いたらたいへんですね。今から身体を整えることを意識しておかないと。まあ、涼しくなったらそれはそれでよし、ということで。みなさんも御自愛下さいまし。
昨宵は早めに寝ようとしたんだけど寝つけず、今朝は早めに起きようとしたんだけど起きられませんでした。しまった。んでも、旧い知り合いの内輪向け結婚披露パーティのようなものに辛うじて顔を出して来ました、大遅刻しつつ。すまん、旧い知り合い氏。
彼は音楽を愛する男で、恐らくそれ以上にひとを愛する男です。開かれたのは一般的な「ケッコンヒローエン」とは随分と趣の異なる宴で、音楽を愛する彼らしく参加者には音楽の好きな人が多かったようです。音の豊かな宴でした。彼自身も唄とか歌ったりして、楽しく時間が過ぎました。
そんな中で、とある女性の歌った一曲は特に心に染みました。魂の入った歌いっぷり。歌詞としては子供の頃の友達を思って作られた唄で、もともとは他人の作。描かれているのは、子供の頃の懐しい思い出、そしてその記憶を打ち消すように変わってゆく現実世界。現実に倦むことなく過ごした子供時代、そしてその記憶を愛おしみつつも今を生きてゆく自分。懐しく、寂しく、でもしっかりと前を向いた唄です。
君は今でも笑っているのかな、あのころの笑顔で。
君とふざけて描いた落書きによく似たあの笑顔で。
君はどこかで元気にしてるかな、幸せでいるかな。
君とふざけて描いた落書きが、僕の足元で笑った。
今日そのパーティ会場へ向かう間、私は昔のことを思い出していました。数年前とかじゃなくて、もっともっとずっと昔のこと。当時私は自分が普通に育てられている普通のニンゲンの子供だと思っていたのですが、今思うと実は微妙に違っていたようです。誰であれ、決して他人を信用してはいけない。重要なことを決して他人任せにしてはいけない。本当に困った時に、助けてくれる者など誰もいない。そんなことをごりごりと刷り込まれ、ちょっと極端なニンゲン不信に陥ってしまいました。
そういった教えの内容は当たり前っちゃあ当たり前のことですから、特に変わった育てられ方とも言えないのかもしれません。ただ、不幸なことに当時の私にはそういった当たり前のことをすんなり受け止められるだけのキャパシティが無かった。成育過程で生じた歪みを矯正するのは、かなり大変でした。いや、まだ矯正出来てないという気もします。
でもね。そんな「人の子とは言えない」私も、これまでに出会った多くのともだちに支えられて、なんとかこのヒトの世で生きてきました。ヒトにはそれぞれいびつさや弱さがあるけど、それだけじゃない。そんなことを、多くの人達との出会いで教えられ励まされました。今日の主役だった彼や、彼を通じて知り合った人達もまたそういった有り難い存在です。
つーことで、旧い知り合いH氏、おめでとう。これからもよろしく。
私が夜、近所をふらふらする時にいつも使っているストップウォッチがあります。スプリットタイムとラップタイムを測る機能だけは付いてるけど、時計/カレンダー/アラーム/タイマー等の機能は付いていない簡素なやつです。SWAMPSトップ頁にある検索機能で調べたら、買ったのは2003年1月でした。もう二年半くらい前なのか。まだ電池は交換していません。
買ったのは横浜かどっかのヨドバシカメラかどっかで、その日はその近くで豚骨醤油味のラーメンを食いました。安い割に美味しかったと記憶しています。Rjにっき - 2003.01.22を見ると、その頃からパソコン用の液晶モニタがどうのという話をしていますね。二年以上経って、しかも使っていたCRTが映らなくなったから仕方無く、先日やっと液晶モニタを、しかも安っちいのを取り敢えず買ったという訳かい。。。
唐突に、鮪のサラダ油漬け缶詰めに醤油を垂らしたやつをほかほかごはんにぶっ掛けて食いたくなった真夏日の夜でした。さて、明日は山へ行く訳でもないのにやや早起き。そろそろふらふらしてきまっす。
東京大手町でもようやく30℃を超えたそうな。そんな暑い中、人間で言うと「膝」関節辺りで右脚が外側にひしゃげてしまっているにも拘わらず健気に寄ってきて「くいものをくれ」と言う雀を見たり、夜にはそこいらの石畳の上をうろつくごきぶりを見たり、どこぞの家の壁に貼り付いて何かを狙っているやもりを見たり。生き物の生き様はいろいろです。
さて、今宵のメインディッシュは眼鏡っ子。古典的な意味での「メガネっ子」に合致するかどうかは謎として、私が時折顔を合わせる人の中に眼鏡っ子が一人います。リアリティを出す為に、ここでは「こずえちゃん(仮名)」とでもしましょうか。メガネっ子のこずえちゃん。
こずえちゃんは、真面目でいつも一所懸命な子です。あらゆる物事をそつなくこなせる器用なタイプではありませんが、背筋を伸ばして困難に正面から立ち向かう強さを持っています。いつも殆どノーメイクに近い彼女は目がぱっちりしていて笑顔が可愛くて、謙虚だけれども媚びることのない気高さを備えています。恐らく、他人よりもちょっと多かったであろうこれまでの苦難が彼女をそうした姿に磨き上げた。私の持っていないものを持っていて、いつもふらふらよれよれと歩んでいる私としては見習わねばならぬ部分が沢山あります。
で、その健気なこずえちゃんですが、今日はなんと眼鏡っ子じゃなくなってました。こんたくとれんずを入れたようです。まだ慣れないらしく、目が少々潤んでいます。所謂「清純派」でもともと美人なのに、それは反則。柄にもなくどきどきしてしまいました。
私の目の前を多くの人や人ならぬものが通り過ぎて行きます。彼等には彼等の生があり、それぞれにそれぞれの世界を生きている。互いの時空がちらりと交錯する瞬間があり、程度は様々だけれども互いの世界に何らかの痕跡を残してまた離れてゆく。生きてゆくというのは微妙な事象です。
ふらっと立ち寄ったコンビニでの話。二つ、計よんひゃく円弱のカイモノをしようと私は品物を持ってレジへと進みました。そこにいた店員さんの対応が素晴らしかった。コンビニのレジなんて、店員も客も機械的に会計を済ませられればそれでいいと思っている場合が多いでしょう。もちろん店員さんが朗らかにやってくれれば客としても気分がよいのですが、通常は満足も不満も無くただ通り過ぎてゆく無価値な一場面に過ぎない。多くのコンビニ店員さんには申し訳無いけど、所詮その程度です。
ですが、そこにいた店員さんは素晴らしかった。指の先まで、「接客。」という意識が染みとおっていた。わざとらしくなく、機能的にも滞りなく、ぼやっとした最近の私にすら温かな心遣いがしっかりと伝わる対応。今まで色んなお店で色んな店員さんと接してきました。少数派ですが確かに「プロ意識」を感じさせる人はいましたし、その仕事振りに感心したことも数は少ないけれどありました。そんな中で、あれだけの短時間、単純素朴な対応であそこまで私の心を動かした人はいません。私の中では史上最強の店員さんに決定。
すごい人ってのはどこに潜んでるか分からないものですね。はっとさせられました。
今日は昼過ぎまで雨で、比較的涼しい日でした。でも明日はまた暑そう。むしむししているので、気温はさほど高くなくても汗だくになります。水分多めに摂らないといけません。むぎちゃ、いいっすよ。
暑いせいかどうか謎ですが、最近何やらぼやっとしてるような気がします。ぼやっとしてるので、自分がぼやっとしてるのかしゃきっとしてるのかが良く判らない。ということは、やはりぼやっとしているのではないかと推論出来る訳です。
廃墟の方までお越しいただいたようで恐縮です。m(_ _)m 選は幅広くてIさんらしいと感じましたのだ。
今日は暑い日でしたが、それでも東京大手町は30℃に達してないとか。今年は緩いような気がします、今んとこ。因みに富士山頂は氷点越えの時間がかなり長くなってきました。そろそろ素人登山のシーズンに近づきつつあります。
さて、先日書いた「何故そこで私に道(か何か)を訊く?」の件で、三つ御意見を頂きました。一つは「人畜無害度が高そうだからではないか」というもの、二つ目は「(その人から見て、私Rjがその場に居た生物の中で一番)無害そう、親切そうに見えたからではないか」というもの、そしてもう一つは「なぞ」というものでした。(御意見下さったNさん、Iさん、Yさん、ありがとうございます。)ええと、お三方ともNetでの知り合いです。お一人は実際にナマRjを幾度か見たことがあり、もうお二人はNet上のみでのお付き合い(の、はず)。
御婦人から見て「無害そう」というのは♂としてどうなんだろうという気もしますが、まあ嫌な意味で有害そうに見られるよりはいいのでしょうか。実際、私が女性に対して直接的な危害を加える恐れは殆ど無いと思われます。男女差別主義的なので。ただ、自分としては無難な風体ではないと思っている故、当の御婦人らからそういった見られ方をしていたとしたらやや意外でもあります。過去の一時期に較べると、目つきの悪さ加減は多少軽減されているとは思いますけれども。
立場を入れ替えて、自分が見知らぬ土地で道やら何やらを訊ねるという状況を想定してみます。えー、と、あまりそういう状況は想定出来ないのでした。旅先で道を訊ねたことはあります。が、訊きたい時にたまたま通り掛かった一人に訊いたりするのみ。訊く相手を選べる状況では殆ど道やら何やらを訊いたことがありません。立場入れ替え模擬実験作戦、しっぱい。
他人の目に映る自分ってのがどういうもんなのか。難しいですね。それを知ることは出来ない。例えば直接意見を述べてもらっても、それが相手の抱いている印象の全てではない。更に、言葉にした段階でどうしても変質してしまいますし、その言葉を解釈するのが自分という偏った解釈機でしかないのだから。ただ、上述のお三方のような存在が身近にあるということは幸せです。少なくとも彼等は、私を見て私に働き掛けてくれている。
なんかどこぞからクレジットカード情報が何万人分漏れたとかいう話が聞こえてきました。しかし、大ニュースになるような事態は盗んだ側にしてみれば大失敗、大失態なわけでして。実際には、盗まれた側にバレないようにやらないとあまり意味が無い。私は二回ほど身に覚えの無い請求をされたことがありましたが、幸い二回とも自腹は切らずに済みました。クレジットカードの利用明細は毎回きちんと確認することをお忘れなく。
昨宵はシルクロード、敦煌の回でした。新版の方は途中で居眠りしちまいましたので再放送待ち。旧版シルクロードはちゃんと全部見ました。味のあるいい番組だと思います。毎回、見ていると何だか物寂しくなってしまう。いつか訪れてみたいと思う一方、自分が死ぬまでに訪れる機会はあるのだろうか、或いは、自分の生というのはこの地上の更に人間の歴史から見てもごくごく些細なものなのか、とも感じます。
そんなどうでもいい存在なのに、毎日苦しんだり悲しんだり喜んだりむかついたり忙しい。何やってんでしょうね。
今日は運動してきました。相手がよれよれだったので自分の調子がどうとかいうのはあまりよく分かりませんでした。結果だけ見ればまあそれなり。ただ、最近やっぱり体力が落ちているような気はします。体力というか筋力でしょうか。やばいやばい。
さて、ラジオの話。しばらく前に山用のラジオ(受信機)を買いまして、それで最近は時々NHK総合やらNHK第一やらFEN(って今は何て言うんですか?)やら何やらを聞いたりしてるのですが、ネットラジオは最近殆ど聞いていません。以前は亜米利加のロックやめたる系の放送を聞いたりしていましたし、三年くらい前には仲間内で放送を流す遊びが流行ったりしてて、私はもっぱら聞く側でしたけどそんな遊びもあるんだという感じで楽しんだりしてました。
話はもっと遡り、もう十年近く前になるでしょうか。私の生息域付近では電波が入りにくい某局に、ネットで放送を流してはどうかと意見を出してみたことがあります。その放送局は従来の電波のみならず、電話でも番組を聞けるサービスをやっておりまして(通常の通話料以外お金はかからない)、そんならネットでも流せばいいじゃん、と思ったのでした。でも、お返事どころかその後もネットで流すなんて話は一度も出てきません。何か権利やら法律に絡んだ障壁があるのかなあ。
ところで、今宵はシルクロード。これはラジオじゃなくてテレビです。
食用ミミズについて調べようとしていたら(「ミミズ 高タンパク」でgoogle検索)、すずめのサイトに行き当たりました。「すずめっ子クラブ」。「ちょんの字の主張」から始まるmain contentsには、すずめや他の鳥っこ達の雛に関するいろんな情報があります。難しい学術的専門的なサイトではなく、私のような素人も気軽に読める記事が沢山あります。
少し前に地球ふしぎ大自然か何かで南米アマゾンに暮らす鶴の仲間のことをやっていました。雛の巣立ちは、高い木の洞にある巣から、びょーんと地べたにダイヴするというものでした。巣立ちというより、ただの落下です。私はそれまで鳥の巣立ちというと「雛が羽をばたばたさせて危なっかしげに飛び立つ」という固定観念を持っていたのですが、「ただ落ちる」というのもあると知りました。
すずめも落ちる系の巣立ちなのか。。。ああ見えて結構激しい気性は、若い時のそういった体験からも養われるのかもしれません。
m(_ _)m
今日はちょっと昔の知人達と飲んできました。彼等と最後に会ったのはほんのちょっと昔でしかないと言うのに、金髪娘が黒髪に化けていたり黒髪男が金髪に化けていたり、みんな一体どんな恐ろしい目に遭ったというのだ?ってな感じでした。でも、昔の仲間ってのはいいもんです。帰る場所の無い自分にとって、そういった仲間の作り出す場が仮想的「帰る場所」なのかもしれません。
そのしばらく前(今日の中で)の話。ふらふら道を歩いていたら、前から来たやや派手な御婦人が私に目を止め、声を掛けてきました。派手だから宗教の勧誘ではないだろうな、と思って話を聞きました。彼女はどこぞへ行きたいらしく、私に道を訊ねたのでした。私は別段そこいらに詳しそうな風体をしていた訳ではなく、実際そこいらに特別詳しいわけでもないのですが、幸い彼女の行く先は分かりやすく、素朴に一番分かりやすい道を教えました。教えながら、思い出した事が一つ。
ずっと昔、ボルドオかどっかの駅で、私に「パリへ行く列車はこれでよいのか?」と訊ねた御婦人がいました。彼女は話す言葉からして生粋の仏蘭西人で、その時の私は下北沢かどっかをふらふらするのとほぼ変わらぬような格好をした薄汚い東洋人でした(今もそうだけど)。何故彼女は他に沢山いる仏蘭西人には訊かず、見るからに東洋人でしかない私にそんなことを訊ねたのでしょうか。駅なんだから行くとこ行きゃあ駅員だっているだろうに。いや、不快だったという訳ではありません。不思議だっただけです。
さて、更にその前(今日)の話。公園でぼやぼやしていたら、チューバか何かとオーボエか何かを持ち込んで吹いてる人がいました。練習中なのか何なのかわかりませんが、あまり上手とは言えない技術で断片的な旋律を奏でています。私の知っているものもあったし、知らないものもありました。どれも深みのある物哀しい旋律でした。
廃墟_139-2にて引き継ぎました。m(_ _)m
タンパベイ・デビルレイズののも、日米通算二百勝。
偉業です。物珍しい投げ方やちょっとした勢いだけで達成できることではありません。ここに至るまでに、どれほどの努力や工夫や苦闘があったことでしょう。ありきたりな言葉になってしまいますが、感動的です。米大リーグ五年目にして千本安打を達成したイチローも勿論凄い。しかし、のもの日米通算二百勝(うち、米大リーグで百二十二勝)達成には、それとはまた異なった印象を受けます。
ところで、タンパベイってのはTampa市のある湾でいいんでしょうかね。フロリダ半島の真ん中辺り、西海岸。伊豆半島に喩えると、土肥の辺りかしら。Tampa市なんてどんな所だか全然想像付きませんが、調べたら人口30万人くらいの都市のようです。人口の約2/3が白人、1/4が黒人、1/5がヒスパニックとな。
というわけで、のも、おめでとう。これからも活躍出来ますように。
今日は梅雨らしく雨降りで涼しい日でした。天候とは関係無しに、すげえ久し振りにネズミを買いました。何年ぶりだろう。主機ではほぼ常時ネズミ以外のものを使いますし、副機以下は使用頻度が低い為わざわざ買い替えなくても不自由していませんでしたのだ。あと、知人から二つくらい貰ったってのもあったし。
で、どうせなら最先端の遺伝子改造風ネズミ(テレパシー能力搭載)にしようか、等と思うにはそれらの値段は高すぎるので、いちばん安いやつにしようかと思いました。その店では980えんのころころタイプ。でも、あまり割安な感じがしなかったので、ちょっとだいぶかなり奮発して1980えんの光るやつを買いました。しかも、律義に対応機として'Mac'なんて書いてある。
で、早速副機に繋いで使ってみました。ドライバだかユーティリティソフトのCD-ROMみたいなのも付いてたようですが、ひとまず無視。あまり期待はしていなかったけど、普通に使う分にはそこそこ使えそうです。ただ、シビアな動きを必要とするゲーム用途にはあまり向かないようです。動きががさつ。ま、この値段ならこんなもんでしょう。ボールが滑らかに転がらなくていらいらするよりはマシです。
そういや、世の中にはノート型パソコンを据え置いて使っている人も少なくないようです。場所をとらないからいいんだと思います。んで、そのノート型パソコンにマウスを繋いで使っている人も少なくないそうです。場所を取るけどその方が使いやすいんだそうな。ただ、私の知り合いでPowerBookやiBook(ノート型のMac)にマウスを繋いで使っている人ってのはいません。これも文化の違いでしょうか。
電車に乗ったら、なんか天井の方からぶら下がってるぴらぴらの中にむささびがいるですよ。むささびかわいいなあ。でも、電車に乗っている沢山の人の大半は、そのむささびに気付いていません。或いは、気付いても無視しています。どういうこってしょうね。不思議。むささびかわいいのになあ。
今日は読者のみなさんがはっとするようなネタを書こうかと思っていたのですが、昨宵遅くにはっとからはっとさせられるようなメールが来てよふかししてしぁjd::」
・・・はっ。しまった、ヨダレがキーボードに。
などという悪ふざけはこのくらいにして、今日頂いたメールの紹介。最近こういうのが多くてたいへんです。
...(略)...私『みく』っていいます。今23歳です。
びっくりさせちゃってるかな^^;
掲示板を見ていたらなんとなく気が合いそうって、興味がわいてメールしたんです。...(略)...
嫌だったら無視してくれていいですからね。
…なんて言いつつ、待っていたりして^▽^
一生待ってろやボゲェ。
・・・はっ。失礼、つい言葉がお下品になってしまいました。まあこんなのはかなり「分かりやすい」ものなんですけど、もっと微妙なものも来ています。数えてませんが恐らく既に十万通を超えるspamを受けた私が判断に迷うようなものを、まだメールに慣れない人が受けたら騙されてしまうかもしれません。困った世の中です。
今日はむしあちい日でした。東京大手町の最高気温29.8℃、湿度も50-90%くらいだったようで、汗だくです。でも、富士山頂は日中の気温が4℃を超え、湿度も午前中と夕方は20%を切ったりしていたようですから、もしかしたらいい天気だったのかもしれません。
さてそんな中、近所のハイパーマーケットで初めて「電波時計」というものを買ってみました。普段使っている目覚まし時計がどんどん進んじゃうのと、時々時刻やアラームのセットが出来なくなってしまうというのに困っていたので、その代替。リズム時計工業株式会社の「ジャストウェーブR032」というモデル、売価980えん。安。
電波時計というのは、電波に乗ってくる時刻等の情報を自動的に拾ってくれる、手動での時刻合わせが不要な便利なものです。早速試してみると・・・あれ、拾わない。ダメじゃん。電波は、福島の40kHzのものと九州の60kHzのものがあるそうで、私んとこは東日本だから福島のやつを拾うはず。40kHzというと、えーと、波長約7.5kmですか?んー、適当に向きを合わせて窓際にでも置いてみよう・・・あ、拾った。やった。どことなく、ADSLのインターネット接続にも似たサービスですね。まあ、こっちは無料だしADSL程どうしようもない事態に陥ることは無い思われます。
そのハイパーマーケットへ、本当は靴とか服とか見に行ったんでした。でも、足や身体に合うものが見つかりませんでした。シャツくらいならあるんだけどなあ。私、意外に特殊な体形なのでしょうか。困ったもんだ。お店は盛況で、子供を連れた家族客が大量に跋扈していました。すかっと晴れた夏とも違う梅雨入り直後の蒸し暑い休日、行楽地に行きそびれた人達がわらわら押し寄せて来てたんですかね。ちょっと奇妙な光景ではあります。かく言う私も、勢いを得られず山に行きそびれてしまった口なのですが。
久々に山歩記。石楠花の咲く信州御座山です。「ござやま」じゃなくて「おぐらさん」と読むそうです。躑躅や菫、その他の花々も咲いていました。緩やかに長く伸びる尾根を登り、頂上は露岩で片側は切れ落ちています。ちょっと変な言い方ですが、山らしい山でした。
♪君や僕の為、僕や君の為、メロディはいつも空から降って来る、でしょう。
何だか最近頭を流れる音楽が二極化しております。一つはGN'R、もう一つが初期のSWAMPS。Dream Theaterの新作が出たというこの時期ですが、今んとこあまりそういう気分ではありません。Kevin Moore脱退直前のDream Theaterなら今の自分には似合うのかもしれませんが、そういう気分でもないようです。
関東甲信地方は梅雨入りしたそうな。雨が降ると原生林を歩きたくなります。
エルメスってぇとみなさんは何を思い浮かべますか?元はギリシア神話のヘルメス。仏蘭西人は語頭のhを発音しないことが多いので、訛ってエルメス。ゼウスの末子、母はアトラスの長女マイア。商業、牧畜、旅行、盗みなどの神。生来いたずら好きで、(中略)道端の小石の山にはヘルメスが宿り、旅人を守るといわれる。
だそうです(平凡社「マイペディア」より)。いたずら好きってのはいいですね。
私にとっては、何かのこうきゅうぶらんどというよりはララァの乗ってたやつという印象の方が先なんですが、一部のマニヤを除く若い人には何のことやらわからんちんやもしれません。死者の魂を冥府に連れていく役目ももつ。
(同)という辺りがあのとんがり帽子の名前の由来に関連しているのかな、と今調べながらふと思ったり思わなかったり。因みに私は上記「一部のマニヤ」に属さぬ故、厳しい突っ込みはご勘弁願います。
調べていたら、「ヘルモード(光り輝く神で、戦いを好む)」とか、「バルデル(神々の中で最も美しく知恵があり万人に愛された)」なんてのに目が行きました。どちらも北欧神話の登場人物・・・いや、神だから登場神物。北欧神話と言えば、オーディンを知らなくてもラグナロクという言葉は目や耳にしたことがある人も多いでしょうか。私も詳しくは知りませんが。
神話ってのは不思議です。昔の人にとって、「神」という概念は恐らくもっと身近だった。今でも一神教徒はそれぞれの「神」というものをよく目や耳や口にするでしょうけれど、それはあまり身近な(人間臭い)存在ではありますまい。土着の神を今もって大事にしている人達にとっては以前と同様に身近なものかもしれない。日本だともう「神の棲む山」なんてのは希薄な気がします。「神社」ってのはその字からすると「神の社」なのに、そういう雰囲気あんまり無いですよねえ。
蹴球世界杯独逸大会亜細亜予選、日本は北朝鮮に勝ったようです。おめでとう。外出先から帰ってみると、丁度試合の終わった直後でした。得点場面等一部のみ見ました。一点目の柳沢は良かったっすね。爽快。
別の話。最近私の身近に、すごい頑張ってる人がいます。その人を仮にAさんとしましょう。Aさんは今やっている事に対してあまり器用ではなく、他の人が普通に出来る事でもなかなか上手に出来ないようです。私も、違う物事に対してですがものすごく不器用というか致命的に無能な所もあったりしますので、少しは気持ちを想像出来るように思います。上手く出来ない事を人並みにやろうとするのは大変。他人の倍以上努力しているのに、人並みに出来ない。それでもめげずに心身費やして頑張っているAさんは立派だと思います。見習わねば。
因みにそのAさん、私が単車乗りであるという事を即座に見抜きました。それっぽい話を私はしてなかったし、私がAさんと会う場ではそれっぽい靴すら履いてないんだけどなあ。他の人で、そこまで目鼻の利く人はあまり居ないと思います。シューフィッターが私の足を見て何か言うのと較べても遥かに鋭い。大したもんだ。
ネムイヨー
巷では、Appleが自社パソコン用にIntel製の超小型処理装置を今後採用していくと発表したとか、日本でもiTunes Music Store(インターネットを使った音楽の切り売り)を開始する予定だと発表したとか、そんなような話があるようです。Apple社製パソコンを永らく使いつつも切り売りされて問題の無い音楽にさほど興味の湧かない私としては、今んとこぴんとこない状態です。
現在の所、MacにはIBM製のMPUが載ってます。ちょい前まではMotorola製のも多く使われていた。しかし、パソコンを使う側としては、中にある半導体がどこの会社製かといった点はどうでもいい。安くて涼しくて速くて欠陥が無ければそれでいい。それよりも、実際に自分の触れる部分の出来不出来が気になります。これはパソコンの基本ソフトだけでなく、その上で動くアプリケーションについても同じ。
IBMはすごい会社だから、本気でPowerPCの開発を進めていたらどんどんすごいものになっていったのでしょう。しかし、出る数の少ないMacの為に莫大な費用を投じて開発を進める事にはあまり積極的でなくなった。或いは、家電用に使うMPUの実験台としてのMacにあまり意味を見出さなくなった。だからAppleは「乗り換え」を決めたのかな、と思います。ただ、それはあくまで私の短絡的な憶測。本当はもっと複雑なオトナの事情があるのかもしれません。私には分かりませんけど。
巷には賛否両論あるようです。私としては、使いやすいOSやアプリケーションが絶えなければいいな、といった所。怠惰に使う上で、ウインドウヅはやっぱり難しい。選択肢としてこれだけが残るという状況には至って欲しくありません。
今日は暑い一日でした。東京大手町の最高気温は27.7℃、梅雨入り前の好天。でも、実際夏になると30℃未満なんて涼しくてしょうがない位です。夏日(最高気温25℃に達した日)とか真夏日(同30℃)の定義を改める方が実状に即している気がします。
さて、昨日書いたたぬきの話、続き。調べてみると、東京23区内にも狸は結構沢山棲んでいるようです。まあ、奥多摩等普通に暮らしている場所と地続きですし、距離も歩けないほどに離れている訳ではないので、居ても不思議ではないということのようですが・・・ペットを除けばガマガエルとヤモリくらいしか陸棲の動物が目に付かないここいらでは、非常に珍しい遭遇と思いました。
話変わって、車のタイヤ。溝はまだ残っているものの、ゴムが古くなって硬化/ひび割れしてきたので替えました。ヨコハマタイヤのDNS ECOS(エコス)とかいう安いやつ。安っちいのを探していて、サイズの合うもので絞ると選択肢がかなり少なかったので、選んで買ったと言うよりは有ったから買ったと言うに近い状況。
ですが、実際履いてみると結構いい品物でした。耐久性についてはまだよく分からないものの、ウェット性能やら静粛性は期待(予想)を超えて素晴らしい、値段の割に。転がり抵抗は小さく、微妙に滑り始める時の感触やコントロール性も悪くないです。安っちくて経済的なタイヤで何を買ったらいいか迷っている人にとって、良い選択肢となることでしょう。
今日、外出先から帰ってきて玄関先でぼーっとしていると、近くで何か物音がしました。そちらを見たら、そこには何とタヌキが。0.6秒ほど目が合い、びっくりしたらしい彼(or 彼女)はすぐにどこかへ走り去ってしまいました。
近くにいるという話を何年か前に聞いたことがあります。でも、ここいらで見たのは初めて。どっから迷い込んだのでしょう。ここいらで暮らしていけるのでしょうか。因みに、猫と見間違えたということはほぼ有り得ません。顔の形や動き等から。大きさや毛の色、体形等がタヌキにそっくりな野良犬と見間違えた可能性はあります。しかし、その可能性よりはタヌキがここいらに現れたという方が信じやすい。
どんな思いでこの土地に暮らしているのかな。。。
今日は夕方からすごい雨と雷。車のタイヤを替えたばかりなので、試しに近所を走ってみました。時速20kmからの強い制動とか、やってみたり。まだ慣らしも終わってないのですが、思ったより滑りません。案外いいタイヤかも。って、判断するには早いですけど。
パソコンを使っていると、段々ハードディスクの空き容量が減ってきます。メールを受信したりして増える分は僅かですが、デジタルカメラの画像を取り込んだり、新しいソフトを試したり、色々やってるうちに段々「狭く」なってきます。私は据え置き型のパソコンを常用している為、その気になればハードディスクを新たに買ってきて増やすのは比較的容易。そろそろ新しいのを買おうかという頃合いです。
しかし、現実の部屋はそうも行かない。部屋に物が増え、段々「狭く」なっていっても気軽に増設する訳には行かない。これがずっと以前から悩みの種です。物を溜め込む習性のある人には同じような悩みがあるのではないでしょうか。簡素な生活空間を保てる人というのも居るようですけど、私には無理のような気がします。みなさんいかが?
今日は気温こそやや低めだったものの、むしむししていました。むしむししていると、何となくむしが元気になってそうな感じがします。実際、一部で話題のあぶらむしなんかもいっぱい舞ってました。むしにしてみれば、むしむしした気候が快適だったりするんでしょうね。あと、きのこも。
むしというのは、考えてみると不思議な生き物です。ものすごくでたらめな感じの呼吸システムしか持っていないのに、通常の生活では息切れとは無縁の余裕をかましているように見えます。私なんざ酸素摂取能力が低い上に酸素を浪費する筋肉の割合が高いらしく、ちょっと動くとすぐ息切れしてしまいます。山登りには向かない体質。
息だけじゃありません。そもそも「変態」って何ですかあの変わり様は。文字通り変態的な変化を遂げます。なんで芋虫が揚羽になったりヤゴがトンボになったり蟻地獄が薄羽蜉蝣になったりするんですか?そうかと思うと、紙魚みたいに全然変わらない奴もいるし。訳分かりません。他にも、目玉とか尋常じゃないし、特定の目的の為に異様なまでに発達した/洗練された器官とか持ってるのは沢山いるし、何考えてるか全然分からないし、哺乳類から見れば殆ど宇宙人です。
それでいて、身近に居る。沢山居る。ニンゲンと直接関わりを持つものは数少ないけれど、ニンゲンと生活圏を重ねているものが沢山居る。色んな他の生き物にどんどん食べられてしまうのにも拘わらず、沢山居る。不思議な存在。すごいパワーを感じます。
今日は空を飛ぶ夢を見ました。空を飛ぶ夢を見るのは欲求不満の証と言いますが、ひとまずそれは置いといて、背景には以下のことがあると思われます。まず、UT2004 demoで久々に'slomo'にして遊んだこと。普通の跳躍でも滞空時間が異様に長くなり、浮遊気分満点です。次、どこぞのテレビで、飛ぶ練習をするタンチョウを見たこと。てってってってってっと走りながら翼を拡げ、やがてふわりと宙に浮かびます。
見た夢で、私は時速50kmくらいで走れるようになり(ここは先日の東京優駿の影響やも)、すげえぞと思って試しに両腕を拡げてみました。上から見るとジャンボジェット機の翼のような角度。走る速度を上げるに従って、腕と手で風を掴めるような感覚が生じてきます。何度かやってみるうちにコツを覚え、いい感じに風を掴めた段階でジャンプすると、そのまま15mくらい飛べました。跳べました、と言う方が正確なのかもしれませんが、夢の外の私はその半分も跳べない為、気分は「飛べた!」です。
ゲレンデスキーで遊んでいて、ちょっとしたコブや段差を使って20mくらい飛んだことはあります。しかし当然ながらその時はただ勢いに任せて空中に「ほぼ放物線」を描いただけですから、今回の夢の状況とは大分異なります。腕に掴んだ空気で「揚力」を大分得ましたからね。いい気分でした。
そんな事があった後、公園のベンチでサンドイッチを喰っていたら、すずめっこがひとつ寄ってきて物欲しそうな顔で私を見上げました。普通のすずめよりも随分と警戒心が薄いようで、すごい近くまで寄ってきます。遂には組んだ足の上に乗ってきました。靴に足跡が着くし。かわいいのですが、野に生きるものとしてそれはあまりに寂しいだろう、とも思いました。
そりゃ確かに、私は彼(or 彼女)の恐らく10ばい以上は動きが鈍い。私が本気になっても、彼(or 彼女)はあっさりと身を躱して飛び去るでしょう。それだけ舐められているとも言えます。でも、あまり若いうちからひとに頼ることを覚えて欲しくないのです。野に生きるものとしての誇りを忘れて欲しくないのです。そんな考え、身勝手でしょうか。
しばらくすると、彼(or 彼女)は助走もせずにぴゃーっと飛び去ってしまいました。杞憂だったかな?この後も逞しく生きて欲しい、そんな風に願いました。
今宵は東京湾の下で細かい地震が幾つか続いているようです。大した地震ではないのですが、ここでこのように地震の続くことは珍しい。ニュースによると、フィリピン海プレートが大陸プレートに潜り込む面辺りで起きている地震とのことで、もしかしたらでっかいやつの前触れかもしれません。まあ、この場所ならせいぜいM7.5止まりだろうと高を括っていますけど、実際どうなることやら。
さて、web某所で知ったこと。出先のでっかい駐車場等に車を止める時、頭から突っ込むのを「女の子止め」と呼ぶ地方があるそうな。私よくやってます。ファミリーレストラン等で「前から入れろ」といた指定がある場合以外でも、頭から突っ込むことが多いっす。神社のある山道等で時折「女坂」「男坂」といった二通りの道があったりしますが、それとはまた意味合いが異なるでしょうか。坂の場合、大抵は男坂の方がきつくて女坂の方が緩い。この場合、稼ぐべき標高差は通常同じです。持続的な労苦に強い女性と瞬間的な頑張りの利く男性の違い?
話を車に戻します。元の記事にもありましたが、車を止める場合は左右に他の車があると後ろ向きに入れる方が技術的には易しい。「女の子」というのが「車両感覚希薄/運転ヘタクソ」という意味だとすると、女の子はむしろ後ろから入れた方が楽ではないでしょうか。某地方では実は「女の子」の方が平均的に運転が上手だとか、運転のヘタクソな男性が何かをごまかす為にこういった表現が生まれたとか、そういった事情があるのか無いのかはわからんちん。ただ、どう頑張っても前からじゃ入れられない時もあるし、その辺は状況に応じて適切な判断が必要です。
話違いますが、昨宵遅くNHKで東北の山の番組をやってました。早池峰、磐梯、飯豊、朝日、鳥海、八甲田、蔵王、船形山等。いいなあ。東北の山はブナや高山植物や雪渓がいっぱいあって、あちこち行ってみたくなります。気象的な影響もありましょうし、今の私の棲み処=人の一番多い関東平野南部からは少々遠いが故に人の手や足が過度に入らず自然が残されているといった面もありましょう。ちょびっとだけ歩いたことあるんですけどね。
はっとが東京周辺に飛んでいる小さなむしのことを掲示板で書いていたようですが、最近関東を訪れた私の知人某氏もそのむしのことが気になったそうです。んで、テレビのニュースによるとそいつはあぶらむしだとか。昨年十一月辺りの気温が高かったことが影響して、今年は多いんだとかいう話。
アブラムシと言えば甘い汁を出してありんこを手懐け、自分を襲う他の虫から身辺を護ってもらうというやり手の虫です。ありんこは小さいのですが、大量にたかることで他の虫を追い払うことが出来ます。大したもんだ。そんなアブラムシの天敵はテントウムシ。てんとう虫は、幼虫時代も成虫時代もアブラムシを食います。ああ見えて獰猛な肉食生物なのでした。
小さな虫の話だけど、突然何かが増えるのってちょっと不思議です。
今日は雨でした。南関東だけ雨だったのかしら。弱い雨でしたが、時折少し強く降りました。雨は雨で好き。でも蒸し暑いのは苦手。今日はちょっと蒸し暑めでした。気温自体はさほど上がっていなかったもようなので、単に体調の問題?電車に乗ったら汗だくになりました。
元大関貴ノ花が亡くなったそうです。しばらく前からガンで危ない状態だったのは聞いていました故、遂にその時が来てしまったか、という思いでこの報を受けました。貴ノ花は軽量級ながら魅力的な相撲を取る力士でした。引退後は後進の指導に当たり、立派な力士を何人も育てました。まだ五十五歳でしたか。死ぬには早い年齢です。慎んで哀悼の意を表します。
こんな晩には独り酒でも飲みたくなります。
競馬やらないんだけど、今日は府中競馬場で行われた日本ダービー(東京優駿 - Wikipedia)の話題。大人気の「ディープインパクト+武豊騎手」、評判通りの強さを発揮してぶっちぎりの優勝。単勝で110えんという結果が出ました。色んな意味で大したもんだ。
その走りについて。車で言うと、懐しきどっかんターボ搭載のじゃじゃ馬みたいです。スタートは前回の皐月賞同様に乱れました。因みに前回は後輪グリップを失ってケツ振った状態、今回は単車で言う「ウィリー」しちまっての出遅れ。殆ど最後尾からのレース開始です。しかしその後、じわりじわりと順位を上げつつ外側に出て、最終コーナーからの立ち上がりでターボエンジンに鞭が入りました。
あとは文字通りどっかーんと速度を上げ、前にいた全ての馬をぶち抜き、最後は二着に五馬身の差を開けてゴール。見ていると、非常に力強い走り方をしている。前脚の蹴り、後ろ足の蹴り共に、他の馬とは明らかに異なるパワーを感じます。「速いようには見えない滑らかな走りだが実は速い。」とかいうんじゃなくて、強引に地べたを蹴り飛ばす感じの走り方です。普段はおっとりした感じなんだけど、ハンドルを握ると人が変わる・・・いや、手綱を握られると馬が変わる感じのテンションの上昇、そしてそれを形にする優れた筋力。感動的ですらありました。
このディープインパクトという馬、昨年十二月のデビュー戦では最後の3ハロン(日本では600m)を33秒1で走ったそうです。この区間の平均は約65km/h。どんな気分なんでしょうね、こういう速度で走るのって。
単位 | 読み:漢字 | 相当 | メートル表記 | 説明 |
---|---|---|---|---|
1 mile | マイル:哩 | 1760 yards | 1609.3 m | 「千歩」の意。実際には大股で二千歩くらい? |
1 furlong | ハロン/ファーロング | 1/8 mile | 201.168 m | 'furrow(畑の畝と畝の間の溝)'+'long' |
1 yard | ヤード:碼 | 3 feet | 0.9144 m | 「棒」の意。 |
1 foot | フット/フート†:呎 | 12 inches | 0.3048 m | 「足」の意。 |
1 inch | インチ:吋 | 1/12 foot | 0.0254 m | 「1/12」の意。 |
†footの複数形はfeet(フィート)。
先日、昔一時期棲んでいた街を久し振りに訪れた夢を見ました。過去の記憶とは大分違っているであろうことを知識としては持っていたものの、実際に目にするその相違は想像以上に大きく、懐しさと同時に覚悟していた以上の寂しさのようなものも感じたのでした。
以前あった「んまいラーメン屋」は、事前にwebで調べ想定していた通りにやはり消えていました。もう少し正確に言うと、そこいらにあった建物ごと失せていました。んで、少し拡げた敷地にはマンションが建っていて、一階にはコンビニが入っていました。そういや、最初にその付近にコンビニが出来た時、何だか物珍しいものが出来たと感じたものでした。シャーベットとかき氷の中間みたいな、コップに入った飲み物というか食べ物のようなものが好きでしたっけね。
さてそのラーメン屋の跡に生じたコンビニ。何だか知りませんが普通のコンビニとはちょっと異なっていて、レジ付近にはお土産用と思われる色々な種類のラーメン(箱入りの、通販とかで扱ってるようなちょっと気取ったやつ)が置いてありました。これはあの店の残骸なのか?と思わせる事態ですが、冷静に考えるとそんな訳はありません。ただの偶然です。
初め私はその近所で美味しそうなラーメン屋を見つけ、そこでラーメンを食べてみようと思っていました。しかし、比較的ラーメン屋の多いその界隈にあったのは、見るからに「食ったら失望しそう」な現代風のチェーン店みたいなものばかり。私は店でラーメンを食べることを止めにして、そのコンビニでお土産用のラーメンを幾つか買ってみることにしました。
私が何故そこで突き付けられた現実(そこにはかつてのあの店は無く、もう私の知っているその街は失われてしまったのだということ)を受け入れずに逃げ出すような選択をしたのかは分かりません。自分の中に大事にしまっておきたいものを、敢えて壊したくなかっただけなのかもしれません。普段あまりそういうことをしないので、その時だけどうしてそんな気分になったのかがちょっと不思議です。その街に対しては、他の記憶とは違った特別な思い入れがあるのでしょうか。
そんな訳で、かつて棲んでいたその街を私は再び訪れたいと思いつつ未だ訪れぬままだったりします。そこには私を惹き付ける何かがあるはずであり、同時に私を遠ざける何かもある。他にも「かつて棲んでいた街」というのは幾つかありますが、その街以外については再訪にそれほどの躊躇いはありませんでした。何故その街だけが例外になっているのか、実際に訪れてみるまでは判らないのでしょう。或いは、訪れてみても判らないのかもしれません。
Osaka(古いMacで標準だったフォント)で見るショボン君。特に深い意味はありません。今日は爽やかな一日だったので、ちょっと貼ってみただけです。AA(アスキーアート:文字で作る絵。上のような簡素な顔文字から、複雑な画像までいろいろある。)は見る環境によって随分印象が異なりますが、こういった顔文字に関してはOsakaって結構愛嬌があってよいものも多いようです。
次、昨日大阪某所で目撃された私のドッペルゲンガーの件。顔や背格好のみならず、靴を含めた服装の雰囲気や髪型も似ていたそうです。面白いなあ。どこかでばったり会ったら、互いにびっくりするんでしょうか。今までに、そんなびっくりする程自分に似ている人には会ったことが無いので、一遍会ってみたいものです。どんな感情が生じるんだろう。一卵性の双子の人には希薄な欲望かもしれません。
次。昨宵はセイロン島のアジアゾウの番組をやっていました。アジアゾウは大人しくて賢いという話でしたが、棲む場所を段々狭められて怒っているのが印象的でした。そこらの東屋だか小屋みたいなのを壊してしまう。大人しい人を怒らせると怖いとよく言いますが、そんな感じなのかもしれません。ニンゲンが考える以上に、哺乳類全般の感情というのはニンゲンと似ているのでしょう。勿論、種によっても傾向は異なると思われます(偶蹄目の考えてることは読みにくい、等)。同じ種でも、個体差(個性)だってかなり幅広いものでしょう。
ふー。油断しているうちに五月もおしまいに近づいて来ました。この頃身体がちょっと弱り気味で、山に殆ど行けていないのが残念です。いい季節になってきたんだけどなあ。近いうちに行けたらどっか行きたいです。
今日は大阪某所で私に似た人が目撃されたそうです。残念ながら私本体は日本で最も異様な空間で過ごしていました。しかも、私が真っ直ぐ歩いていると斜め前をのろのろ歩いている人が急に歩く方向を変えて私の前を塞ぎ、私がそのまま歩くと相手は私の足に蹴られてしまうであろう状況が何回もありました。勿論、実際には私が歩みを緩め/止めてそれをやり過ごすので、相手は何かが起こりそうになっていたと気付かぬまま終わってしまうのですが。
一緒に歩いている人以外の人間が自分から半径3m以内を歩いているという状況に慣れない人なら仕方無いと思うんです。でも、どう見ても半年以上は人込みを歩いていると思われる人にそういうことをされると、何となくしょんぼりしてしまいます。それもまた、この空間の異様さに由来した事故であり、その異様な空間に馴染んでいる自分を感じるからなのかもしれません。
そういや、この季節は時折いかにも修学旅行中といった雰囲気の中学生集団なんかを見かけます。私も中学の修学旅行で「トーキョー」に来てみたかった。初めて見る高層ビル群に驚いてみたかった。まあ、二度目の訪問となった美しい渓谷や大きなカルデラ湖等も悪くはありませんでしたけどね。
もう数年前になりますか、見知らぬ土地へ親しい仲間と旅に出たことがありました。遠い遠い所。まだ誰も行ったことの無い土地。現実には有り得ない場所。そこは時空の果てにあり、今でもひっそりと存在しているはずです。当時は装備も貧弱で困難も多くありましたが、それはそれでよい思い出となっています。あまりに満たされた状態では、旅の味わいも薄れてしまいましょう。
そのうち、また行ってみたいものです。
書くネタが無いわけじゃないのですが(昨日は単に眠かっただけ)、やはり私はこの「Rjにっき」に書く内容について自分の中で何らかの制限を加えているようです。それでも、以前は気ままに(書きたいネタのある時だけ)書いていましたから、楽と言えば楽でした。最近は、ふと思い立ってなるべくなら毎日書こうと思っています。
そんな無茶な方針を立ててしまうと、恐らく必然的にぶつかる問題があります。書きたいことが無い時に無理矢理書くことに意味があるのか。無いのかもしれません。だから、「書かない方がマシ」な日もあったことでしょう。しかし、「今日は夕立も無く、爽やかな日でした。」とか書いて悪いという程のもんでもないような気がします。
何かに追われて心貧しく過ごす日が続けば日記の内容は希薄になり、それはそれで一つの(その時期の)記録となります。そういった日記は自分でチラシの裏にでも書いてとっておけばいいことですから、webで公開する必要は無いとも言えます。blog人口がアホみたいに増え、誰もがチラシの裏を公開する時代に入りつつあります。そんな中で、少しでも公開する意義のありそうなことを書くという意識があれば、もしかしたらチラシの裏日記でも後日どこかの誰かにとって役に立つ情報となるかもしれません。
最後にどうでもいい話題。最近、電車で「女性専用車両」というのが増えました。痴漢は困るでしょうからその意味では良い事だと思います。でも、走り行く「女性専用車両」を見てしまうと何だか変な気分になります。そこは女子校の教室でも女子トイレでもデパートか何かのバーゲン会場でもないのに、女性しかいない。一言でまとめると、異様な光景です。この異様な光景を生み出してしまったのは、過密な都市という異様な空間。そして私は、その異様な空間で毎日を過ごしている。変な気分です。
今日も夕方から夜にかけて雨が降りました。夏の夕立のようですが、上空に寒気が入り込んでいる為と思われます。ボロい方の靴はすぐに水が染みてしまうので、雨は苦手です。よく手入れをしたよい革なら、かなり水を弾くのですが。
ここまで書いた所で筆・・・いや、指が止まってしまいました。そんな日もあります。おやすみなさい。。。
今日、朝は晴れていたのに、午後から雲行きが怪しくなり、夜になるとどう゛ぁーっと雨が降ってきました。何だか最近読みにくい天気が多いようです。
さて、液晶モニタ。昨日書いた'LCD 60Hz'というのでやってみたら出力出来ました。よかった。でも、まだきちんと色の調整をしていません。怪しい色で出ています。上の方と下の方で色が違う問題もあります。これは、見る角度によって色が違って見えるという液晶の性質による部分もありましょうし、もともとの出力の持つムラによる部分もありましょう。(サブマシンのビデオカードでも同じ傾向が出ましたゆえ、この問題は液晶自体に由来するものと思われます。)
あと、私の使っているRevolution IVには画面左端の方が滲んでしまうという欠点があり、代替のCRTでは全体的にボケボケだったので緩和されていたのですが、この液晶だとはっきりと滲みが暴露された状態になります。まあこれは液晶ではなくビデオカード(私の使っている個体)の問題ですけどね。それがはっきり分かる程度に鮮明な画質だとも言えます。
最後に、液晶のいわゆる「ドット抜け」について。常時点灯してしまう画素があったり、全く点灯しない画素があったりして、星みたいに見えたり黒点になっちゃったりするやつ。ぱっと見たところ、特に目立つものはありませんでした。「えきちょーさん」というユーティリティでさらっと確認してみても、特に目に付くものはありませんでした。安い液晶だから多少はあるだろうと期待していたにも拘わらずこの結果。この点は期待を裏切られています。
今日は運動してきました。一ヶ月振りくらいですが、体調が今一つだったのでやや苦しいものとなりました。いい結果も出せず、しょぼーん。元気な身体って大事。
さて、モニタが壊れてどうしようとか言ってた話の続き。結局やっぱり安っちい液晶を買いました。BUFFALOのFTD-G722ASというモデルです。実質25000えん弱、17吋アナログ入力のみのやつ。フルカラーも出ません。ってのはまあ割り切ってるからいいとして、肝心のメインマシンへ繋いだら画が出ませんでした。正確に言うと、パソコン起動後の少しの間だけは出ている。起動途中でぱちょんと色が変わるところ(調整した色合いが反映されるタイミング)で消えます。モニタには、'Out of Range'(対応範囲外)とかいうメッセージが寂しく表示され、やがてそれも消えて真っ暗に。しょぼーん。
Revolution IVというビデオカードは癖の強いものだと以前書きましたように、こういった問題が起きがちなので驚きはしませんでした。でも、モニタの推奨解像度/周波数に合わせても、他の組み合わせを幾つか試してもダメでした・・・と思って今見直してみたら、ドライバ('ProGraphics 5.9.6'ってのを使っています)の設定で'LCD 60Hz'というのがあるのを見落としていました。これで試したらうまくいくかな?今は17型CRTを元の場所に戻して使っていますので(重たくて動かすのがたいへん)、そのうちまた試してみます。置いてある場所の関係で、試すのが結構面倒なんです。
液晶の画質自体は、サブマシンに繋いで幾らか様子を見てみています。一色の画面がグラデーションに見えたり、ゲームをやるとき全画面表示で強制的に縦長になったり(液晶自体の解像度が1280x1024=5:4という異様な比率の長方形な為、通常のゲームで採用されている横と縦の比が4:3の解像度で表示すると縦に引き伸ばされてしまう)、想定された難点はやはりあります。が、応答性は思ったより悪くなくてだいじょぶそうです。ものすごくシビアに見たらダメなんでしょうけど。
話違いますが、大相撲は今場所も朝青龍があっさり優勝を決め、今日も勝って全勝優勝とな。四場所以上連続で優勝したことがあるのは近代の相撲だと双葉山、大鵬、千代の富士に続いて四人目くらいとか。大したもんだ。他の力士との違いは、勿論技術や体力もありましょうけど、一番大きいのが気力ではないかと思えます。やたら負けん気が強いだけではない、しっかりしたものを最近は感じるようになりました。ともかくおめでとう。
今日は靴屋に行ってきました。二つの百貨店紳士靴売り場。両方で、「シューフィッター」という文字が胸の名前札にある店員さんを見つけ、「足の形を見て助言して欲しい」旨申し出ました。事前の調査によると、どちらの店にも「プライマリー」の人が複数いるはず。
初めのお店。まず足のサイズを測る段。私が椅子に腰掛けたまま足を置く台に足を載せると、その人はいきなり足長を測り始めました。「立たなくていいんですか・・・?」と私は言い、以下略。その後、幾つかの靴を持ってきてくれて、私が履いてみてああだこうだ言うと親切に助言しては下さいましたが、ひとまずゴメンナサイ。このお店では私は靴を買わないでしょう。
次のお店。今度はそんなことありませんでした。きちんと足の長さと周囲二箇所を測り、足型の特徴を説明してくれた後、概ねどういったサイズや形の靴が私には合いそうか示し、店にあるものの中で私の足に合いそうな靴を三足持ってきてくれました。その中で、「これが一番合うと思う」と彼の言うものから順に履いてみました。私の感触などを聞いた後、また別のものを(追加分合計で三足くらい)持ってきて試させてくれました。
私が色々と質問をするときちんと答えてくれました。結局、持ってきて貰った数足の中では最初の一足が一番よく私の足に合っているものでした。大したもんだ。んでも、微妙に問題があったので、少し考えてみると私は言いました。彼は、他の店も回って色々探してみるといいという意味のことを言いました。自分のとこで買わせようという意識を表に出さず、客の身になった助言で客の信頼を得るという戦法のようです。大したもんだ。
折角だから別の機会に他の店も幾つか回ってみようと思います。んで、今日の一足よりもいいのがあったらそっちを買う。そうでなかったらこのお店で買おうと思いました。けど、回るの面倒だなあ。銀座、日本橋、東京駅辺りを攻めないといけないでしょうか。気力と体力を考えると、一日じゃ無理ぽ?
一昨日、プリーストのライブを見てきた人がいまして、なんやらやっぱりロブの声は高かったとのことでしたが、客の年齢層もまたかなり高かったということでした。一般には、唄い手の声の高さと客の年齢層の高さは比例しないと思われます。メタルゴッドは伊達じゃない。私にとってゴッドじゃないとは言え、見てみたかったものであります。
次、全く別の話。足に合った良い靴は、足との一体感がある。しかし、足に合いそうな大きさだけど良くない靴は、足との一体感が無い。靴と足とで二体感・・・ならまだしも、靴自体が「一体」とは思えず、三体くらいのばらんばらんな印象。足と合わせて四体感という悲惨な状況も生まれたりします。
ゴローの街靴が足に馴染んできて、例の安物革靴と交互に履くようになって、安靴の悲惨さが浮き彫りに。歩いていて靴のどこかが足に当たり痛い、といった症状は無くても、履いているのが苦痛になってきました。今までいかに出鱈目な街靴を履いていたかが浮き彫りになっているとも言えます。革長靴だと多少の悲惨さはその長さ(高さ)でカバー出来ていても、短靴だと悲惨さ剥き出しってことでもありましょうか。
色々調べると、三越の日本橋本店にはバチェラーが複数いる。新宿の小田急や京王百貨店にはプライマリしかいない。玉川高島屋なんかは比較的頑張っているようです。マスターってのは殆どいません。東京に二人くらい?ま、こういった資格は(特に初級の方は)あくまで目安でしかないってのも確かでしょうけどね。
次の話題。エンデュランス。今朝、どこぞの新聞にそれに関する記事が出ていたようです。私が普段見ているWebサイト、いくつかありますが、そのうちの一つの主が前日今週末はエンデュランスです
と書いていたのを思い出しました。普段みなさんはあまり目にしない単語かもしれません。私も、そのサイト以外では目にしたことがありませんでした、或いは、目にしてても目に入ってこない状態だったりするかもしれません。
似た言葉でエンデューロというのがあるから、私には何のことだか何となく想像が付くような面もあります。でも、大分異なる面も多いでしょう。鉄と生じゃ違いますし、規模や要求される能力もかなり違いそうですし、何より私はまともに生の方に乗ったことがありません。鉄の方も遊びでそこらの山道をぢゅるぢゅる滑ったりちょこまか跳んだりしてた程度で、競技としてのそういったものに参加するようなレベルではありませんでした。
さて、今日の私の記事には意味不明な片仮名語がいくつかありましたでしょうか。こういった記事の書き方はよろしくないと思われます。が、昨日見たとある個人サイトの記事で「自分コンテンツ(個人文化)という発想」と題された記事が紹介されていたので、ロクに読みもせずに書き散らしてみた次第。元の記事の訴えとはかなりかけ離れていることが想像されますゆえ、興味のある方は元の記事を読んでみて頂きたく存じます、と。
「コーパス君といっしょ」の後に続く番組「レッツおさらい」に出て来る変なもんを被った女の子、いいですね。いや、変な意味じゃなくて素朴に。変なもんを被ってるとこがいいんじゃなくて、本体が。定期的にやってる番組のようですが、今日たまたま見て思いました。
さて、コーパス君と言えばダリオ、ダリオと言えばルイー・・・違った、それはマリオか。マリオと言えばイグレシア・・・それはフリオだや。何の話をしたいんだか忘れてしまいそうになりましたが、にんてんどうとそにいとまいくろそふとが最近ほぼ揃って新しいゲーム機を発表したようです。XboxだとかPSだとか面白みの全く無い「名前継承路線」の二社を他所に、にんてんどうは「レボリューション(仮称)」という名前での発表だったそうな。
Revolutionと言えば元々「反対に転がる」というような意味を持つ言葉から生まれた語で、よく使われる訳語としては「革命」なんてものが有名です。でも、元々「革命」というのは日本で生まれた概念ではありませんので、意味がよくわからない。「反対に転がるもの」とでも解釈した方がよいかもしれません。時代の流れに逆らって(=訴求力の中心を映像表現の豊かさに置こうとするのではなく)、ゲーム機の原点つまりゲーム内容の面白さを追及するぞ、という心意気を勝手に見て取る。いかがでしょう。
もう一つ、Revolutionと言えば、私の使っているビデオカード(グラフィックボード;パソコンの映像出力を受け持つ部品)は'Revolution IV'という名前のものです。これは癖が強い製品で、総合的な意味では「最良の品」たりえなかったかと思われます。しかし、歳月を経ても未だに捨て難い魅力を持つものであります。良い工業製品とは、その機能に光り続ける何かがあるものだと言い切ってしまってもいいですか?そういったものを生み出すには、きっと背景に作り手の熱意とそれを実現する技術が必要なのでしょう。
沢山の新しい工業製品が生み出される中で、時と共に流れ去らず残るものは少ない。工業製品に限りませんね。詩歌や小説、絵画、音楽等でも同じ。時代を超えて残るものに触れるのは嬉しいことだと思います。
亡くなったモニタを偲ぶ回。ええと、今回亡くなったのは型番の最後が「V」というモデルでして、確かこれは、その前に主に使っていたモニタが亡くなるかその前後に知人から譲り受けたものです。んで、最近大分暗くなってきたなあと思っていたら大発作が起きてそのままご臨終、という結末でした。
んで、今その代替として使っているのは、今回「V」が亡くなるまではサブマシン用として使っていたもので、型番の最後が「GXII」というもの。同じメーカの似たようなモニタですが、取り換えてみると差がはっきりする。亡くなった「V」に較べ、かなりぼけぼけです。それまではサブマシンとして特定の用途にしか使っていなかったのでさほど気になりませんでした。でも、メインとして使うにはちと厳しい。私自身の乱視が強く、そういう部分に対して脆弱なせいかもしれません。しかし、以前使っていたものの方がぼけぼけ度が低かったということで、やはり性能差があるということは確か。
はてさて、安物のアナクロ液晶でメインモニタの座はつとまるや否や、請うご期待。っつーか、安物買いの銭失い?モニタ選びって難しいです、びんぼうな私には。
今宵は新・シルクロードの再放送。シルクロード、いいっすね。見てるとしんみりしてきます。毎回、本放送の後には昔版のシルクロードの再放送をしていますが、そっちの方がしんみり度が高い。古びた映像のせいもあるかもしれませんし、喜多郎のテーマ音楽や若かりし日の石坂浩二氏の語りのせいもあるかもしれません。しかし、基本的に今よりも情報の少なかった時代。ウルムチが極端に高層ビルの多い近代的都市へ変化する前ですし、そこに限らず人々の生活がいかにも「前世紀的」であったということも影響しているのだと思います。
時代の流れを止めることは出来ない。昔のものがよかった、今はダメだ、等と言うつもりはありませんが、番組の主旨自体が「失われたものを追う」といった方向性を持つため、どうしても昔版の方に思い入れを抱いてしまうのでしょう。それでも、新版には昔版に無かった情報も多く、それはそれで楽しむことが出来ます。
関係希薄ですが、今年の夏には片山右京氏がマッキンリー山(北米最高峰、別名デナリだったかな、かの植村直巳氏が挑み消えてしまったその山)へ挑むそうです。既に難関をいくつもこなしている元F1レーサーの片山氏がどのような心持ちであの恐ろしげな山へ挑むのかは本人に訊いてみないとわからんちんですが、半端な気持ちからの挑戦でないことは確かだと思われます。
会ったことも無い人だけど、祈ります。無事戻れますように。
大相撲。朝青龍が順調に勝ち続けているようですが、昨日の相撲で左肩を傷めたようです。筋肉の疲労が蓄積して壊れやすくなっていたのかもしれません。あまり無理しない方がいいと思います。
さて、横綱とは関係ないのですが、最近どうも「引かれて落ちる」「かわされて/はたかれて自分から土俵を割る」といった勝負が多いように思います。引いたりよけたりする方が悪いという見方もありましょう。しかし、相手をよく見てちゃんと相手の方に向かって足を出していけばそういった負け方も減らせるはず。こういった勝負は見ていて非常につまらないので、減らして欲しいところです。
言うのは簡単ですけどね。実際には四股踏みとか鉄砲とかいう地道な稽古を重ねないと難しいんじゃないかと思います。何でもそうですが、基礎的な修練を積むのって大事でしょう。楽していい結果は残せない。いきなり卑近な例を持ってくると、webで情報を集めたり実際に自分の目と足を使ってあちこち見て回らないと、いい買い物ってのはなかなか出来ない。そんな感じかと。
昨宵、主に使っているパソコン用モニタ(CRT:ブラウン管のやつ)がお亡くなりになりました。初め「ぱちょん」と言って赤が死に(モニタの多くはRGBつまり赤緑青の三色を組み合わせて映像を表現しています)、やがて真っ暗になりました。既に大分暗くなっていたので、寿命と思われます。南無。
ひとまず副次的用途のパソコンに繋いであったものを奪ってきて凌いでいますが、新しいものを入手しないと不便です。んで、今日はそっち関係の情報漁り。モニタに関しては、そろそろ買い替えたいなあ、どうせ買うなら19型くらいのデジタル液晶かなあ、とか思ってたものの、そういうのは高くてすぐに買えそうもないので安い17型アナログ液晶を探します。
安い17型アナログ液晶の欠点は、物にも依りましょうが恐らくこんな感じ:
色については仕方なし。割とマトモなCRTと較べて遜色ない発色のものは高価でしょう。ぼやけるのは、アナログ出力の場合だと使う描画回路(ビデオボートとかグラフィックカードとか呼ばれるものを私は使っています)によって程度の差が出るはずですが、実際どの程度なのかは繋いでみないと分かりません。表示の遅れは液晶の宿命でしょうか。映像をぴゃらぴゃら動かすゲーム等をする際にはかなり気になると思われますけど、最近あまりそういうのしてないし。1280x960での問題も同じくゲームをする際のことで、使用頻度が低いだろうということで妥協。
妥協しまくりで探してみると、今は17型アナログ液晶なら約3万円くらいで買えるんですね。初め、お金をけちってしょぼい17型CRT(約2万円)を買おうかどうしようかという考えを持っていたものの、重たくて邪魔で画質も大して良くないなら少しお金を余計に出しても液晶でいいや、と思うに至りました。ノート型パソコンの液晶を除いて私は今まで自分用のものとしてはCRTのモニタしか使ったことが無いから、次にマトモなものを選ぶ為のお勉強用として一つ安いのを、ということで納得しつつあります。
今宵のシルクロードは天山南路、クチャ周辺。
今日はちまちまとRMSサイトのリニューアル。リニューアルと言うよりも単なるアップデートだろうという突っ込みは一応入れないで下さい。ついでに気付いたのですが、Tea Cup無料掲示板ってかなり機能変わってるんですね。メールアドレスを入れた場合のspam対策なんかも進んでいるようです。
話変わって大相撲。朝青龍は順調に勝ち星を重ねているようです。個人的に期待の黒海はダメダメ。足元が非常に不安定です。もっと四股を踏んでしっかりと地に足を付けないと、折角のばかぢからも文字通り台無し。ガンバレ。似たような所で、白鵬も負けが込んでます(今日は勝ったみたいだけど)。身体が重くなってバランスが悪くなったのでしょうか。
やっぱり足元をしっかり固めるのって大事ですよね。既に何度か話題にした私の安物靴も、ぶやぶやしてて非常に不安定。ゴローの固い街靴と交互に履いているから余計にそのだらしなさを感じてしまうのでしょうか。早くもう少しマシな代替品を手に入れて足を入れたいところです。もう一足ゴローってのも考えますが、他の靴も履いてみたいのでまだ迷いちう。手頃な価格帯で、何かお薦めあったら教えて下さい。
今日も涼しい一日でした。東京大手町の最高気温は15.1℃、仙台では8.4℃までしか上がらなかったとか。ここ三日だか四日程涼しい日が続いている気がします。暑いのが苦手な私には快適ですが、一旦暑くなってから気温が下がると風邪など引きやすいのでみなさんご注意下さいまし。
さて、昨宵はNHK総合TVで地球・ふしぎ大自然の再放送をやってました。サヘルに住む走るサル。眠くて途中で寝ちゃったのは痛恨ですけど、見た範囲で思ったこと。まず、走るサルなんて変。サルというのは基本的に木の上で過ごす種類が多い。大型の類人猿やヒヒの類には地上で過ごす時間の長いものもいますが(ゴリラとかニンゲンとかマンドリルとか)それは例外。その中で更に走ってばかりいるということになると、この何とかモンキーとマラソンの高橋尚子選手くらいしかいないのではないでしょうか。
んで、その何とかモンキー、長距離を走る時と短距離を走る時で明らかにフォームが違う。長距離では省力的な走法、短距離ではチーターにそっくり!とか思っていたら番組でもそのように紹介されていてちょっとがっかり。いずれにせよ、サルにしては綺麗なフォームで走っています。では彼等は何故そんなに走るのか・・・寝ちゃったので分からずじまい。ちきしょう。
ところで、2005.05.09放送分の記事等、毎回の放送についての次回予告ページの下の方にある「地球・ふしぎ大自然」資料館へのリンク先URLが
file:///C:/Documents and Settings/user/Local Settings/Temporary Internet Files/Content.IE5/shiryoukan.html
となっているのは・・・どうしたものやら。
パソコンに繋いで使っていたヘッドフォンの耳当て部分がダメになって久しかったので、八百えんくらいの安っちいやつを買ってきました。音質は、期待していなかった通りに・・・と言うか、悪い方を想定していたので期待通りに?、かなり安っちいものでした。簡単に言うと、腑抜け/しゃかしゃか調です。大昔使っていたWALKMANのイヤレシーバーより虚しいかも。
音楽を聴くときの音はいいに越した事はありません。本当は大きなスピーカーを何組か用意して、聴く音楽に合わせて使い分けたりしたいものです。しかし実際にはそんな場所もお金も無いので、しょぼしょぼ環境で我慢することになります。真面目にオーディオ装置でCD等を再生する際は、少し高価なヘッドフォンを使って聴いています。(以前はRockに向いた安っちい割にはマトモな音を出すスピーカーを使っていましたが、最近それを鳴らす時間が減り、加えてそのスピーカー自体低音担当の振動板が崩壊してしまいました。)
一方、パソコンで聴く音楽と言えば専らしょぼしょぼ音のMP3ファイル。こんなもん聴くんだから大したヘッドフォンは要らないだろうと高を括って八百えんくらいの安物を買ってしまったのでした。でも失敗。たとえ再生音源がしょぼしょぼMP3であっても、もうちっとマシなヘッドフォンでないといけなかったようです。
それでも、音を聴く楽しみは残る。映像に喩えて言えば、小さくて丸い画面にノイズ入りまくりの白黒テレビで見ても面白い番組は面白い、といった感じかと。如何に美しく巨大で四角く平らなディスプレイで見ても、つまらない番組はつまらない。当たり前っちゃあ当たり前なんでしょうけどね。
♪Take me with you, take me far away, lead me to the distant shore...
とある私鉄、各駅停車の車内で、やや面白い会話を含む光景が目と耳に入ってきました。そこらでよく見かけるような男女間の会話です。
男「昔はよかったね。」
女「・・・(えっ?と驚いた様子。動揺が見て取れる。)」
男「だってさ、ぼくの駅、急行止まらないんだもん。」
女「そんなことないよ、○×とか△□に行く時は◇◇◇で乗り換えて・・・」
男「・・・(かなり不満そうな様子。)」
因みにその時、場所は◇◇◇駅で、急行の待ち合わせが無い状態でした。彼は以前、急行の止まる駅の近くに住んでいたのでしょう。そして今は、引っ越して各駅停車しか止まらぬ駅の近くに住んでいるのでしょう。彼の悔しさも分かる気はしますが、そのような事について「昔はよかった」などという台詞を持ち出し同行の女性に不満を述べるというのはちょっと大人げない、と感じました。
「昔はよかった」って台詞、私はあまり好きではありません。増してや、これからしばらくは一緒に生きていくであろう女性、そしてまだまだ人生先行きの長そうな相手に向かってそんな台詞を吐いて欲しくない・・・とかいうのは私の身勝手な願望でしかないのでしょうか。たとえ彼が四歳くらいであったとしても。
挑むことを忘れずにいたい。そんな気持ちを抱くようになったのは、半端に年食って油断するとふにゃふにゃしてしまいそうな自分を感じてからでしょうか。以前と較べて、今でも決して生きることが楽になった感じはしていないのですが、それでもやはり心身の衰えから「楽な方へ」流れそうになっているのかもしれません。
挑むと言っても、所詮私のレベルでは大したもんじゃありません。どこぞの高峰未踏ルートに挑むとか、難関の国家試験を受けてみるとか、そんなことには縁が無い。挑むべき「大したことない相手」は常に自らの身近に(或いは内部に)ごろごろしている。休んでいる暇は無く、気を抜くと敗北にまみれてしまいます。怠け者なくせに負けず嫌いだから、敗北まみれは御免です。
そんなことを考えていて思い浮かぶ唄が一つあります。♪闘う君の唄を闘わない奴等が嗤うだろー
ってやつ。嗤うなら嗤え。勝ち組だとか負け組だとか、ばかみたい。変な意味に取られると困るのですが、私はそういう点ではっとを尊敬しています。自分もそれに恥じぬようにありたい。ま、私の場合は「闘い」の種類がもっと個人的なものになってることが多いんですけど。
あんまり関係ありませんが、In Flamesの'Everything Counts'、久々に聴いたらやっぱいいですね。元はDepeche Modeというややふにゃふにゃしたバンドの曲。めたる系に嵌まり込む前、私はそんなのも聴いてました。今は嫌いになったということでもありません。音楽の幅は広く、私にとって「良い」音楽の幅もそんなに狭くはないと思います。ただ、世に出回る「音楽」の中には、「ゴミ」と感じるものも少なくはありません。
今日はあちい一日でした。街の緑は濃くなって夏の匂いを放ち、忌まわしき檜花粉も殆ど去りつつあるように感じます。ごおるでんういいく明けということでちょっとした倦怠感に包まれている方もいらっしゃるやもしれませんが、みなさん如何お過ごしですか。私はまあまあです。
ところで、今日いや昨日ですか、独逸の第二次大戦に於ける対ロ敗戦六十周年記念日とか何とかで、ロシアで何らかの祭典のようなものが開かれたそうです。欧州での大規模な戦争はそれが最後。そして、間もなく日本にも大規模な戦争の敗戦六十周年記念日が訪れます。六十年という時間は私の生の時間から見れば長い。しかし、長生きする植物の生から見れば大した時間ではない。
生き物にとっての時間というのは、不思議なものです。数千万年或いはそれ以上前から殆ど変わらぬ姿で変わらぬ生活を送っている種もあれば、ここ数十万年から数万年の間に近縁種を全て滅ぼし、ここ百年では空を飛ぶキカイを作り化石燃料を掘りまくり太陽にも似た殺戮兵器を作り身内同士で殺し合い地球環境を激変させ今更慌てふためいている振りをしつつも能天気に快楽を追い求めるだけの種もある。
っと、愚痴っぽくなったので忘れて一曲。
無邪気な心のままいられないけど僕等は叫ぼう
求め続けることが全てじゃないと声高らかに……胸を張ってね'シャウト' by SWAMP
今日から大相撲。幕内後半しか見てないんですが、白鵬と栃東と魁皇が強かったようです。白鵬は身体がでかくなって強くなってるやもしれません。栃東と魁皇は今日みたいな相撲を安定して取れるかどうかが問題。朝青龍は勝ったものの何だか今一な内容。明日からまた少し変わってくるでしょうか。
三日目となったプロ野球の交流戦。注目の「ビリ対決」、楽天対讀売の三戦目は、岩隈が好投して一矢を報いたようです。貧打の悩み深かった楽天ですが、讀売相手だと三試合で十六点という十分な得点をあげています。この調子でガンバレ。
そういや最近東京湾にコククジラの子供らしきものが迷い込んでいるとか。まだ名前は付かないようです。クジラはすぐ沢山移動してしまうので、「タマちゃん」とかいう勢いで「ソデちゃん」なんて名付けても虚しいでしょう。クジラにとって東京湾は狭くて危ないと思われます。さっさと広い太平洋に戻るが吉。
昨日のにっき、書きかけたところで寝ちゃいました。結局今日は出かけずじまい。天気も何だかちょっと半端な感じだったようです。せめて夜くらい近所をふらふらしてみます。
今日は朝方まで雨が残っていたようですけど、起きたらもう止んでました。で、すごい晴れてきて気持ちのいい天気になりました。靴の手入れなどをしつつまったりと過ごしまくり。明日は山にでも・・・と思いつつ、身体がややへばり気味なので明日ものらりくらりと過ごすやもしれません。
今日は午後から雨が降ってきました。花粉流しの雨となるや否や。通常だと大体五月の連休に入る頃には檜花粉の悲惨も終了するんですが、今年はまだ油断ならないやもしれません。
そういや、今日からプロ野球のセ・リーグとパ・リーグの交流戦が始まったようです。生憎試合をきちんと見ることは出来ませんでしたが、夜のニュースでTVに映ったファンは何だか楽しそうでした。一リーグ制より今の交流戦という方が面白いような気がします。ま、初めは「物珍しさ」ってのも大きいんでしょうけど、少なくとも今回のこの試みは無駄ではないと思われます。
関係ありませんが、どこぞでバイケイソウだかコバイケイソウだかをオオバギボウシと間違えて食べてしまって死んじゃった人がいたそうな(なんとかギボウシ@尾瀬:2003.07.20/コバイケイソウ@尾瀬:2004.06.27)。バイケイソウに毒があることは有名ですが、クマーは平気だとかいう話があります。実際、誰かが齧った跡を見かけることもあります。シカは喰わないそうです。
つーことで、また尾瀬にでも行きたくなってしまいました。雪の残る燧ケ岳なんてのもいいでしょうねえ。。。
良い天気に恵まれた連休もおしまいに近づいて来ました。今日でおしまいの人もいるかもしれませんし、明日を挟んで週末までは連休だという人もいるかもしれません。山に出かけた人も多く、同時に遭難した人も多いようです。私はと言えば・・・うー。それでも、あほのように人の多い山域へ出かけて人込みに揉まれてくるよりはマシかな、等と思い込むことにして過ごしています。
高い山の上の、きりっとした空気っていいんですよね。。。
ラーメンについて。ラーメンにうるさい人は沢山いらっしゃいます。私はラーメン好きですが、どこの店がどうだといった点には疎い。色んな種類があって、どんな種類のものが一番好きといった固定的な好みもありません。「落ち着いて夜更かし可能な深夜に食べるカップラーメン」なんてのもアリです。
ただ、お店で食べたものがあまりにも程度の低いものだとがっかりします。「こんなら安いカップラーメン食ってた方がマシだい!」と思って悲しくなっちゃいます。ラーメンは人気のある食べ物なので、あまり酷いお店はすぐ潰れて無くなってしまうことが多いでしょうけど、稀にそういうこともあります。
ということで、大した見識(味識)も無い私ですが、一つ記憶に残っている美味しいラーメンがあります。昔昔のことで、今もそのお店はあるのかなと思って先日調べてみたら、無くなってました。店主が引退してしまったと思われます。残念。私にとっては、幻の味となってしまいました。
ラーメンと並んで人気の食べ物、カレーライスについても似たようなことがあります。美味しいカレー屋。今では店主が引退して店は無くなっています。まあ、カレーについては最近あまり食べてないので、それほど「残念」度は高くないのですが。
昨日の夜、某所をふらふらしていたら、大きなザックを背負った単独行の男性を何人か見かけました。ちきしょう、夜行バスか何かで北アルプスかどっかへ行くひとたちだな?とか思って見送りました。今日は南関東周辺はすごいいい天気だったようですが、山の方はどうだったんでしょうねえ。思わず遠くを見るような目つきになってしまいそうです。
話違いますが、プロ野球の楽天(正式名称結局まだ覚えてない)は苦戦を強いられているようです。皮肉にも、かつて宮城球場を本拠地としていたロッテが今季は爆走中。楽天はチーム自体まだ出来立てでいろいろ問題もありましょうしこれからこなれてくるに従って段々良くなるとは思うのですが、ロッテの爆走はちょっとびっくり。どうしたことやら。今季はパ・リーグとセ・リーグの交流試合もあるそうですから、楽しみ。
昨日は瑞牆山や富士山や北岳や地蔵岳(鳳凰三山の一)で遭難があったそうです。瑞牆山の件は病死(心不全)のようですが、あとの三件は「足を滑らせて/踏み外して」系の事故のようです。
この四山、どれも比較的多くの人が入る有名な山ですが、この時期だと(瑞牆山の南斜面を除いて)上の方は確実にまだ雪のある状態。雪の残った山で足を滑らせるというのはありがちなようですが実はかなり迂闊なのではないかと、「雪山」と呼べる程の所にはに殆ど入ったことの無い私は想像します。何故なら、雪が残っていたら路面が滑りやすいのは分かり切っていることだから。しかも、厳冬期と違ってこの時期はしゃべしゃべだったり溶けて凍った箇所があったりして実は結構難しい場合があるなんてことまで簡単に分かってしまうから。
・・・等と偉そうなことを言っといて、来年あたり私がどこぞで落ちて醜態晒してるかもしれません。そしたら思い切り笑ってやって下さい。あいつばかだな、と。ただ気になるのは、この滑った系諸氏の装備。みんな十二本爪アイゼン履いてたんでしょうか。そして、それを履いて歩く練習は十分だったんでしょうか。雪の残る高山に挑むだけの体力は?
準備が十分でも起きてしまう事故、ってのもありますけどね。
今日は曇り気味でした。でも、「まだ忘れられちゃあ困るな。」とでも言いたげに檜か何かの花粉が飛びまくりでした。夕方雨が降ったので少しは流れたと思われますが、いつもの年だとそろそろおしまいになる時期。明日以降、どうなるやら。
さて、一昨日の話になりますが、Mac OS X 10.4ってのが出ました。別名'Tiger'。虎です。その前、10.3が'Panther'で、10.2が'Jaguar'でした。次は何になるのか、もう決まってるのかもしれませんが、個人的には猫路線継承で行ってもらいたいです。いっそ、'neko'とかでもいいし。
やたらパソコンを使いまくる人を除いて、ごく普通の人はパソコンのOSなんて普段あまり気にしないでしょう。メーカー製の「ウインドウヅパソコン」を買ってきて、OSは買った時に入ってるやつをそのまま使う。一般に、OSのアップグレードやアップデートには様々な問題が付き纏います故、この選択はある意味で正しいのかもしれません。しかし携帯電話やDVDレコーダーが進化していくように、パソコンもそしてその中身たるべきOSも進化していってます。素性が丸ごと変わってしまってる場合もあります。例えばMac OS 9とMac OS X、Windows MEとWindows XPでは、「進化したもの」というよりは「もともと別種」と言っていい位の違いがある(特に前者)。
そんな違いを気にするかしないか、或いは気にしつつも無難に古いものを使うか果敢に新しいものへ挑むか、それは使う人の選択です。選択肢があることに気付かないというのもある種の選択と言えるかもしれません。いずれにせよ多くの使い手にとって大事だと思われるのは、そのOSがどういった素性を持つものか、新しいものなのか古いものなのかという点よりも、そのOSで自分のしたいことやすべきことが出来るか、出来るならしやすいかしにくいか、そういった点でしょう。ゴルフクラブに喩えると、その素材がカーボンファイバーなのか木製なのかといった点が本来大事なのではない。歌い手にとって大事なのは、ライブで使うマイクがどこのメーカー製なのかといった点ではない。そんな感じです。
私の場合は主にMac OSを7.Xから使ってきて(日本語版が漢字TALKと呼ばれた時代)、今はインターネットの主端末としてOS 9を使っています。もう一つ、他の様々な目的でOS Xも10.0未満の時代から使ってみています。OS Xは10.2未満だと(私にとっては)完成度が低く実用的でない部分が多々見られましたが、10.2から10.3へと進みきちんと使えるものになってきました。10.4では更に新しい機能が追加され、便利になった・・・のかどうかはまだ試してません。でも、10.3で不満の残った部分が改善されているかもしれないから、そのうち試してみるつもりです。Windowsやらその他のOSも少し触ったことがありますが、日常的に使うものとしては選んでません。ものぐさな私には「たいへん」だから。
殆どの人が'OS'なんてもんを気にしなくなるのは、「パソコン」とかいう概念が消失する時なのかもしれませんね。
一週間ほど前だったか、ウイルスバスターのパターンファイルか何かに問題があったとかで、自動アップデートを利用していたパソコンの十何万台だか何だかに問題が出てしまったとか何とか言う話がありました。大変な話です。
今回のはトレンドマイクロの失態、十分なテストをしなかった為に問題が出てしまうようなものをそれと気付かず配ってしまったということのようです。でも考えてみると、人のやることに完璧は有り得ないわけですからこういった事件が起きてしまうのもある意味で仕方のないこと。毎日ウイルス定義ファイルを更新しないと安心してパソコンをインターネットに繋げないなんて状況がそもそも問題なのかもしれません。今のところ私は「ウインドウヅって大変だなあ」と傍観気味ですが、自分はそういった状況と全く無関係であるなんて楽観も出来ません。厄介な世の中です。
例えばこの連休中に初めてパソコンをインターネットへ繋いでみる人もいるでしょう。そういう人達の周囲に、「詳しい」人がいるなら問題は少し軽減されます。ウイルスやらその他悪意のあるものがうようよしているから、(使うパソコンのOSがウインドウヅなら特に)気をつけないといけない、セキュリティソフトの導入は必須であるといった助言を貰えるはずです。
でも、そんな恵まれた条件下にある人ばかりではない。更に、自力でセキュリティソフトを導入したりパソコンに初めから入っていたりしても、それをどう使うべきか分からない場合も多い。そもそもパソコン自体をどう使うべきなのか良く分からない人が、セキュリティソフトの機能を理解し適切に運用するなんて難しい。その為に必要な知識を身に付ける前に厄介な問題に出くわしてしまい(例えばウイルスに感染する等)、インターネットってのは何だか怖いところだ、となってしまう可能性だって大いにあるでしょう。
容易ならざる状況です。
簡単に言うと、今日もやはり夏でした。夏確定。昨夜は近所で夏の虫が啼き始めていました。邯鄲じゃないですよ。街灯とかに登って啼く、もっと五月蝿いやつ。アオマツムシ?よくわかりませんけど。
調べていて、こんな記事に辿り着きました:「アオマツムシ鳴く夜」。これを見ると彼等の啼くのはもう少し遅い季節の早い時間帯のようですが、この暑さと街灯の明るさを考えたらやっぱりこいつらなのかも。すげい五月蝿いです。
で、同じ人の別の記事に目が留まりました:「恐怖の体験」。一回り大きいという点と、行動観察からの判断、正しいと思います。女王バチ。しかし、刺す行為についての考えはちと違う。確かに蜂には素早く刺すやつもいますが、スズメバチだと一旦対象(相手が東洋人の場合、恐らく黒っぽい毛髪の生えた頭部であることが多そう)の皮膚に噛みついて身体を固定し、その後で刺す。私は刺されたこと無いのですが、そういう話です。ひと呼吸、間があると思われます。
冷静な対処については良いと思います。無闇に刺激せず、速やかな退出を促し、事無きを得ています。私がもし同じ目に遭っても、恐らく同じような方法を採るでしょう。(今、「でしょう」と打とうとして「でしゅ」とか打ってしまったのはヒミツ。)
「誤認求愛」も面白いですね。身近に喩えると、アウストラロピテクスの♂が現代人の♀に・・・って、時代のズレがあるか。じゃあ、チンパンジーの♂がゴリラの♀に求愛するようなもんでしょうか。ただ、見た目が全然違うのにこのヤマトシジミがどうしてツバメシジミに求愛したのか、というこの人の疑問には疑問を差し挟む余地があります。ニンゲンの目に見える姿と彼等の目に見える姿は違うし、匂いとかもわからんちんだから。いずれにせよ、大いなる誤認ではあるのかもしれませんけど。
誤認と言えば、時折「綺麗な女性と出会った。彼女に惚れた。でも閨房に入ってみると、実は彼女は♂だった。」といった話を見聞きします。性同一性障害の人(身体は女性なのに心が男性、とか)の例は難しいので別とすると、これは私に言わせれば迂闊。匂いが違うのを無視しないと生じない悲劇です。遠くから見ているだけじゃわからんちんですけどね。あ、ネット上だと区別は当然難しくなります。私も、ネット上のみで交流のある人を勝手に男性だとか女性だとか見当を付けていて、実は違ったと後から判明したことはあります。でも、基本的に匂いの無い状態で相手の性別を断定まではしていませんから、想像と違う結果が判明しても「あれま、そうだったのか。」くらいにしか思いません。
そういや、以前'Unreal'だとか'Unreal Tournament'というゲームでネットワーク対戦をしていた際、私は自分のskin(仮想空間内での自分の「身体」)として女性を選んでいたことが多くありました。理由は単純で、選べる男性のskinがごつすぎて好みに合わなかった(その空間での自分を表現する形としてしっくり来なかった)だけです。現実の世界では女装とかしてませんし、特に女性になってみたいという願望があるわけでもないようです。
簡単に言うと、今日から夏ですか。東京・青梅市では32.7℃だか何だか、他にも各地で30℃を超える暑さだったそうな。風が強く、フェーン現象が多発したもよう。一方で、檜等の花粉は大分減ってきました。
フェーン現象というのは、理屈を知るとなるほどなあと思うものの素朴な印象では不思議なことです。暖かく湿った空気が、山に登って降りてくると更にあちくそしてからからになってる。ものすごく大雑把な言い方をすると、超える山が高ければ高い程、降りてきた空気の熱せられてる程度が大きくなります。元々は欧州アルプスの北麓に吹き下ろす局地風の名前だったそうです。
もう一つ簡単に言うと、明日から黄金週間ですか。雪の多く残る山へお出かけの際は、雪崩や雪崩や雪崩等にご注意下さい。雪崩だけでなく、雪崩に対しても十分な注意が必要かと思われます。あ、富士山では滑落死にもご注意を。気軽に頂上を目指してしまう観光客の人が少なくないそうですけど、この時期登山未経験者が気軽に登頂を目指して無事だったら、それは単なる幸運と考えるべきかと。つい最近も複数のひとが落ちてるようです。
(↑とか何とか言いつつ、自分がどっか行きたいだけなんだろうなあ。。。)
「負けたのは俺の所為でした。えろうすんませんでした。」
今宵のヤクルト戦の後、讀売の清原がそう言ったそうな。これは、同点で迎えた七回だったか八回、一死だか何か、走者二三塁のぴんちで、一塁ゴロを捕った清原が本塁へ送球したものの、投げるのが遅かった&送球が逸れて三塁走者の生還を許してしまった事を言っているのかもしれません。
好守で一点を防げば、数字上でその功績は単本塁打一本を打ったに等しく、他の選手(特に投手)への好影響を考えるとそれ以上のものとなります。逆に、拙い守備で無駄な一点を与えてしまえば、それを取り戻すには単本塁打一本では足りないことになる。守備ばかりに注力した野球というのも詰まらないのかもしれませんが、拙守の目立つ試合というのは引き締まりません。っつーか、見てて馬鹿みたいな気分になります。(昔からよく言いますね、走攻守三拍子揃っ云々と。)
私が桑田真澄という選手を尊敬するのはこの点です。彼は投手であると同時に野手であり、打者でもあるという自覚を常に強く持ち、その全ての面で良きプレーヤーたろうと心掛けているからです。最近は投球で苦労しているようですが、実際の成績とは別に心構えの面で立派だと思います。一方、高校時代からの彼の仲間であった清原は、どうも守備やら走塁やらのレベルが低い。以前は「打てばいい」と思っていた節があるように見えました。それが最近少し違うようです。足の遅いのは仕方無い面も大きいとして、守備くらいはきちんとやりたいと思っているのではないでしょうか。
満塁の好機に三振したなんてのはしょうがないです。かのイチローですら、概ね三回のうち二回くらいは凡打で終わるんですから。
今日、午前中はもわもわした空気でしたが、午後から突然冷たい空気が流れ込み、短い時間の強い雨と雷がありました。その後はまた晴れてしまいましたのだ。あな忙しや。
そういや今日、電車で吊り革に掴まって立っていたら、背後でどさりという音がしました。後ろにいた人が突然倒れてしまったようです。振り返って見てみると、全身の痙攣を起こしているようです。幸い目玉は生きているし呼吸や心拍も止まっていないようだったので、私に出来ることは車外に出て(丁度駅で止まったところでした)車掌さんを呼ぶくらいでした。
何の前触れもなく人が目の前で倒れてしまうというのは、あまり気分のいいものではありません。もちろん、倒れてしまう人を責めたいわけではない。倒れたくて倒れてしまう人は少ないでしょうし、私が目にしてきた人々は全て倒れたくもないのに倒れてしまったであろう人達でした。そういう状況を前にして、自分に出来ることはあまりにも少ない。基本的に無力です。人の命をどうにか出来るとか思ってしまうのも激しいカン違いなのかもしれませんけど、無力であることを改めて思い知らされるのは辛い。
尼崎の電車事故、直接巻き込まれてしまった人々だけでなく、救助に当たった消防やら何やらの人々にもかなりきついものだと思われます。彼等の心が挫けてしまいませんように。周囲の人々の控え目な助けが力となりますように。
何やら今朝は、一昨日からの「トレンドマイクロ:ウイルスバスターのパターンファイル障害」ネタが吹き飛んでしまうような大きな電車事故があったようです。未だに潰れた車両の中に閉じこめられている人がいるとか。大勢の人が亡くなったようですし、私はただ傍観して好き勝手なことを言っているだけの立場なのですが、まだ生きている人は何とか助かるといいなと思います。
昨宵と言うか今朝早く、NHKで何ちゃらという作家の女性がどろみてを散歩する番組をやってました。どろみて(Dolomitiだから、むしろ「どろみち」?)というのは伊太利にある標高3000m前後の山山領域で、そこに多く見られる石灰岩にマグネシウムや炭酸カルシウムの多く含まれた岩をDolomiteとか言うそうです(その複数形がDolimiti、かしら)。その山域には特徴的な三連の峰があり、ええと、その形は欠けてきたサメの歯みたいな感じです。
その尖った峰の周囲だとか沢沿いの遊歩道だとか別のちょっとした峰なんかを、作家の何ちゃらさんは伊太利人のおじいちゃん(仏教に傾倒し、日本に住んだこともある登山家)と一緒に散歩します。十月上旬とのことだったけれど、雪を踏んだり登山道の氷結に阻まれて標高差300mかそこらを諦めたりで結構楽しそうでした。最後の方、氷河をピッケルで削って食べてみたりしてたし。日本には氷河は無いので、ちょっとうらやましい。
作家の何ちゃらさん曰く、自分は全てを言葉で表現出来ると思っていた、しかし今回見た威圧的とも言える「自然」の光景を自分はうまく言葉に出来ない、今まで思い上がっていたと気付かされた、東京で暮らしているとこういうことは分からなかっただろう、云々と。随分いい体験をしたようでした。アルプスもヒマラヤもアンデスもその他高峰にも高所トレッキングにすら行ったことない私ですが、彼女がそこで感じたこと、言わんとしていることは何となく想像付きます。
それはやっぱり高い山に登ったり、そこからのケシキを眺めたり、そこまで過程を経たりして感じることがあるからです。自分の肌で、足で、そして目で心でそこにある地べたの壮大な凹凸を感じ、心動かされたりするからです。確かに東京でも壮大な人工物の連続に埋もれたり筑波山を眺めたり雪を被った丹沢越しの富士を眺めたりした時に自分の感覚や存在自体の矮小さを感じることはあります。しかし、実際に山へ行ってみるとまた違う。自分の足(や手)で登ってみるとまた違う。
山を歩くと、いい空気を吸っていい気分になったり、くまの痕跡にわくわくしたり、そこらで何か喰ってるかもしかと目が合ったり、びっくりして逃げる鹿にごめんよって思ったり、すずめばちさんの偵察を受けて緊張したり、そこいらから湧いて出てる美味しい水に救われたり、切り立った岩場でどきどきしたり、周囲100km以上を見渡してこの狭い日本の造形を思ったり、いろいろします。そして理解する。それらは全てただそこに存在しているものであり、自分もまたその一要素でしかなく、ただそこに存在してるんだと。
当たり前のようでもあるし、意味を成さない文章でもあるかもしれません。ですが、せめてこのくらいは伝えておきたい。街とは違う世界がそこにはあり、街で人に埋もれているだけでは得られない感覚がそこにはあるということを。普段から自然(もともと、ただそこにあるもの)を感じ、その一要素として生きている人には「当たり前」のことなんでしょうけど、街という人の作り出した概念の中に生きていると、忘れてしまいそうになることです。
今日は静養日。気が向いたら(天気もよさそうだし)高尾山にでも行こうかと思っていましたが、まだへばり気味だったので静養日にしました。因みに高尾山、今日だけで一万人くらいの人出があったとかいう噂。山頂の桜と酔漢が見頃だったことでしょう。行った人はお疲れさま。
んで、珍しく人に借りた本(小説二編)など読んでみました。どちらもテンポよく流れ、退屈しない娯楽といったお話でしたが、出て来る人が(やや悲惨な目に遭いつつも)恨みがましくないのがいい感じでした。書き手は爽やかな心の持ち主なのでしょう。見習いたい。
夜は、NHK総合にどっかぶりの大ちゃんが出ていたので見ました。やったことないので想像ですが、ボルダリングというのはある意味で求道的なスポーツ。いや、求道的でないスポーツなど無いと言われたらそれまでかもしれませんけど、そういう面が大きいように思います。座禅を組んで瞑想する、みたいなところがあるように見えます。そのうちちょっとくらいやってみたいものの一つです。それにしても彼はすげえ指と下腕、僧帽〜三角筋です。見習いたい・・・って、無理か。
最近流行りの古武術、甲野さんの考え方にしてもそうですが、有効な力を出すには単純な所謂「筋トレ」だけでは不十分、むしろ無闇に筋肉を太くすることにばかり気を取られていてはよろしくない。大事なのは、筋肉をどう使うか。或いは、どう使わないか。こういうのは、いくら本で読んだり口で言われたりしてもなかなか出来ないもの。感覚を研ぎ澄まして自分なりに得ていくしかないんだと思います。普段あまりにも無造作に「行動」している私も、少し工夫してみないといけないところです。
靴の話。先月、巣鴨の靴屋から持ち帰った街靴(但し、下手な軽登山靴より靴底が固い)は大分馴染んできました。っても、まだちっとしか履いてません。実を言うと「最初は15分くらいから」と言われた試し履きをロクにせず、いきなり街へ繰り出して一日履いていたら踵の上縁部が当たって皮膚が傷み、治るまでしばらく放置していたのでした。治った後は大人しく近所をちょっとずつ歩いて慣らし、3.5kmを35分で歩いても平気になってから街へ出ていく時にも履くようにしたら、いい感じです。履き込んでいくうちにもっと馴染むでしょう。
その前、去年の暮れに買った安物の街靴は、踵の内側があちこち擦り剥けて中身がびろびろ見えている状態です。靴底を見れば足先は剥がれてきてるし、踵は最外層が擦り減り尽くしてその上の層にまで食い込んでいます。もうだめぽ。同じ靴をずっと履き続けると傷みが早いので、もう一足くらい街靴が欲しい状態です。
一年くらい前に買った八吋のDanner革長靴は大分馴染んできて特に問題ありません。もう一足、十年くらい前から履いてる六吋くらいの作業靴があるんですが、靴底は大分減ってきたし外層や縫い目がぼろぼろになってきたので、これの代わりもまた欲しくなってます。見かけで言うと安藤ののっぺりした六吋のがいいんですけど、足首周りが私には合わないと思われます故どうしたものやら。
山靴、安藤の#2500Gは踵内側が擦り切れて直して貰ったものの結局きつくなってしまって履くのをためらっている状態だし(つま先が当たる)、べにゃべにゃのMillet AXS GTXはゴアテックスの中張に穴が開いたらしくて水が染み込んでくる状態になってしまったので、騙し騙しあとどれくらい履けるやらといった為体。巣鴨でC-02とか買っちゃうのかなあ。
夜中に近所をふらふらする時に履いている運動靴は、今はDUNLOPと書かれた安物ですが、今んとこ「まだ行ける」感じ。ちっとも足に合っていないのを承知で買ったものの、やはりふにふにの布靴だけあって問題は出にくいようです。これの前に履いていたNew Balanceのやつは紐を通す穴のところが一箇所ちぎれてしまったのに較べると、作りは丈夫と言えるのかもしれません。但し、ふらふら用としてはやや重い。中敷きを抜いた状態で、片足440g程あります。
今日は風の強い日でした。概ね晴れていましたが、悲惨な花粉の量は着実に減ってきていると感じます。杉・檜に敏感な人は、もう少しの辛抱です。私もだ。
昨日、阪神の藤川と讀売の清原の件を書きました。今宵は中日の川上と讀売の清原の対決がありました。四点差の九回。そこまで讀売打線を一点に抑えていた川上は、清原との勝負に最後の力を注ぎ込みました。結果、威力のある球で清原を内野フライに打ち取りました。清原、昨日のことが頭にあったのか、少し迷いが見られました。真剣勝負では僅かな狂いが結果を分けます。
分野や次元は異なるものの、私にもそんなことを感じる場面があります。迷いは失敗を生み、乱れぬ心で良い結果が生まれる。真の勇気とは恐れを抱かぬことではなく、恐怖を抱えつつもそれを非とせず、逃げずに立ち向かうことだと思います。多くの場合、蛮勇は逃避でしかない。
・・・なんて書いたところでごろんと横になったら、そのまましばらく眠っちまいました。深夜に目覚めると、結論に何を書こうとしていたんだか忘れてしまいましたとさ。ま、結論なんてのは死んだ後にでも出せばいいや、とも思いますけどね。
今宵行われた伝統の一戦、讀売対阪神。七回裏、二死満塁、点差は八点。投手はここまで阿部の単本塁打二本の二点だけに抑えてきた阪神投手陣の第一人者井川、打者は今季既に七本、通算で四百九十九本の本塁打を記録している讀売の四番打者清原。井川や清原に個人的な思い入れの無い者でも、野球愛好者ならば高まる興奮と共にその対決を見守る用意をした場面。
阪神の岡田監督は、投手交替を告げました。あちゃー。
それでも、年間合計でなるべく多くの勝利を挙げる為には、この場面で投手交替というのは妥当な選択。好成績を残さねばならぬ監督としては、正しい判断を下したと思います。井川に代わって登板したのは勢いのある若手投手、藤川。気を取り直し、剛球の藤川と強打の清原の対決を見守ります。一球一球力が入り、やがて満勘定に・・・って意味不明ですね。フルカウント、2ストライク3ボールに。次の一球が勝負です。
そこまでの展開から、力勝負の好きな清原が最後の一球として藤川の渾身の直球を待っているのは誰の目にも明らかでした。そして、藤川がその挑発に応じず、変化球をストライク帯に投げれば清原が空振りするのも明らかでした。勢いのある若手投手藤川がその力を示すべく清原との力勝負に挑むのか、はたまた失点の可能性を考慮し堅実な選択を為すのか。
阪神の投手と捕手の選択は、「変化球を放る」でした。あちゃー。
これまた、年間合計でなるべく少ない失点を目指す為には、この場面でのフォークボールというのは妥当な選択。好成績を残したい投手としてもそれを牽引すべき捕手としても、正しい判断を下したと思います。いくら試合終盤で点差が膨大にあっても、無駄な点を与える危険を冒すことはありません。
しかし、見ている側としてはつまらなかった。いや、もしかしたら阪神愛好者の人々には面白かったのかもしれませんが、それでも例えば藤川が直球勝負に賭けて清原を打ち取った場合よりはつまらなかったのではなかろうかと想像します。大相撲で言うと、例えば白鵬が立ち合いの変化で朝青龍に勝ったとして、白鵬の愛好者はそれで満足なのだろうか、ということです。
東京の道や地域名について。ここはちょい前まで江戸城のあった街なので、そこいらを起点として物事を捉えるのが主流なようです。例えば地域名。「城北」と言えばお城の北だし、「城南」だったらお城の南。道の場合、放射状のものには大体行き先を示す名が付いていて、甲州に行くのは甲州街道、川越に行くのは川越街道。日光方面だったら日光街道だし、水戸へ向かうなら水戸街道。それら放射状の道と交差する主要な道として、「環状○号線」とかいうほぼ同心円状のやつが幾つかあります。
二次元の座標の取り方には、垂直に交わる二軸を使う「直行座標」以外にも原点からの距離と基準となる方向からの角度で表す「極座標」など幾つかの自由度があります。東京の地理を大雑把に把握するには極座標的な見方をするのが良いのかもしれません。慣れないうちは「鎌倉街道」という別の座標系に従った道やら部分的にヤケに直行座標化している領域の存在に戸惑うことはあるかもしれませんけど、慣れちゃえばそういうのもうまく脳内に組み込めるようになるでしょう。単一のスケール感覚で捉えようとせず、大局的な把握と局所的な理解を組み合わせられれば吉です。
山に行くと、状況の把握方法はまた違ったものが主流となりますね。尾根だの谷だの、コル(鞍部)だのピーク(峰)だの、樹林帯だの露岩地帯だの、緩斜面だの急斜面だの。山で例えば碁盤(メッシュ)的理解をしようとしたら、ちょっと大変なことになってしまうこと請け合い。
最近、その存在がごく当たり前になった感のある「100円ショップ」。中には税込みで105円ショップになっていたり、100円より高いものを扱っていたりする場合もあるようですが、基本的には100えんで一品です。んで、私の利用した範囲で得た感触などを少し書いてみます。えーと、具体的に行きます。
品目 | 評価 | コメント |
---|---|---|
デジタル(液晶)腕時計 | × | 一日一回時刻合わせする気合いがあれば○かも。 |
アナログ(目覚まし)置き時計 | ○ | 一、二ヶ月に一回程度時刻合わせするだけで大丈夫。 |
ふうせんセット | ? | 富士登山用に買いましたが、まだ試していません。 |
温度計付き方位磁針 | △ | 気軽な用途なら一応使えます。 |
ミニカラビナ | ○ | キーホルダーとして、或いはザックカバーをザックの背面側=内側で留める(ザックカバーにハトメで穴を開けて通した)紐の固定用として使ってます。 |
カップ麺 | ○ | 値段なりの味ですが、まあいいでしょう。 |
箸 | ○ | ぜいたくは敵だ。 |
可塑樹脂製レンゲ | ○ | 山に持ってっておひるのらーめん時に活躍中。 |
可塑樹脂製カップ | ○ | 丈夫です。 |
バケツ | △ | 水を入れて取っ手を持つと歪みますが、置いといて使う分には一応OK。 |
包丁 | × | すぐ切れなくなります。毎回研げばいいのかもしれませんが・・・ |
砥石 | △ | 上の包丁を研ぐ程度だったら一応使えます。 |
事務用はさみ | ○ | 普通の品質です。 |
爪切り | × | 爪潰しとしては機能します。 |
透明/半透明の書類ケース | ○ | 柔らかいものも硬めのものも普通に使えてます。 |
ペンケース | ○ | 内側の端っこがほつれてきてるのはご愛嬌。 |
室内用明るさ感知機能付き常夜灯 | △ | センサの感度(どの程度の暗さで点灯するか)に個体差が大きく、実用的なものとそうでないものがありました。 |
懐中電灯 | ○ | 単三電池を二本使用するものを買いました。強度にも問題無し。 |
ぱっと思い付く範囲でこのくらい。全体としての印象は、「案外使えるものもある」といったところです。普通のお店でも通常価格が100円前後より安いようなものは、あまり試していません。みなさんの試したもので、何かおすすめってあります?
今日はチーズの話。一口にチーズと言っても色々あり、その世界は奥が深すぎて私にはよくわからんちんですが、ひとまずみなさんも(チーズ嫌いな人は除くとすると)一度や二度や十度や百度くらいは口にしたことがあるでしょう。そして、欧州などではもっともっと身近な食べ物として存在していることが多いと思われます。
日本では、美味しそうな外国のチーズは高い。国産の安っちい怪しげなチーズはあんまり美味しくない。大して美味くもない気取った国産チーズは無駄に高いような気がする。そんな印象を私は抱いていて、それが妥当なのかどうかよくわからんちんですけど、ひとまず「脂肪分が多いから太る」だとか「塩分が多いから高血圧になる」だとかいった評と併せ、積極的に様々なチーズを食卓へと迎えている人は案外少ないかと思われます。
でも、チーズは蛋白質やカルシウムが豊富で、ビタミンAとかB2なんかも豊富で、無闇に食べ過ぎなければ身体によい優れた食品の一つです。そして、(好みもありましょうけど)美味しい。たいしたもんじゃありませんか。
今宵は新シルクロードの第四回目でした。が、始まった直後から寝ちまいました。しまった。今は旧版が始まるところです。今度はちゃんと起きてよう。
SWAMPSの作品紹介頁に、「みんなで手をつないで」を載せました。mp3形式のファイルで視聴も出来ます。
散る桜に思う無常。無常と言えば平家物語。春の夜更け、Michael Schenkerの寂しい音源を聴きながら引きます。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ。......
(平家物語)
祇園精舎というのは、釈迦の説法が為された僧坊の一つ。娑羅双樹というのは、釈迦が死んだ時寝てた所の四方に二本ずつあったという常緑高木。一切の事物は変化し恒常的では有り得ず、勢いが盛んな者も必ずいつかは衰えてゆく。自己の権勢などに得意になった人も行く末は長くなく、武勇に優れ勢いの激しい者もしまいには滅んでしまう。
万物流転。この時空に存在するもの全て、程度(時空規模)の差こそあれ常に変化し続けています。好むと好まざるとに拘わらず、変化からは逃れ得ない。変化は辛いこともあるし、逆に変化によって楽になることもある。私達はいつでも変化に抗い、受け入れ、振り回され、馴染む。そして(私達の平均的寿命に較べて)長い時間で見てみれば、そんな努力や苦悩は全て一瞬の些細な出来事でしかない。結局は何も残らない。
しかし、だからこそ生きている短い時間の中で出来るだけのことをやってみようという気にもなります。笑ったり怒ったり、泣いたり和んだり。滅び行くものを守ろうとしたり、滅んでしまったものを懐かしんでみたり。誰の心の中にも、「これは風化させずに保っていたい」といったものが一つや二つはあるでしょう。それは例えば子供時代の楽しかった記憶かもしれないし、自分の生き様に関する何かかもしれない。
前振りが長くなりましたが、話題は厠の巻き紙です。
NHKで、地下鉄サリン事件で亡くなった営団地下鉄の高橋助役一家の「十年目」をやってました。結局のところ傍観者でしかない私が何か言うのもおこがましいのは承知の上で、何か言わせてもらいます。
まず妻のシズヱさん。彼女は事件以来、非常な強さを持って対外的な活動を続けているのは存じていました。その強さと想いに頭が下がるばかり、という印象だったのはこれまでと変わらず。しかし、子供さん達については殆ど何も知らなかった。その思いを想像してみたことは無かった。また、彼等の母親としてのシズヱさんというものを考えてみたことは無かった。ざっくりと心に突き刺さってきました。
人は強くもあるし弱くもある。その強さや弱さそのものを責めることは出来ない。しかし、これだけは忘れたくない。あの事件は、決して「一部の狂信者が暴走して起きた突発的な事故」などと片付けられないということを。そして十年という歳月は、状況を変える為にはあまりにも短いものであるということを。その状況は、前世紀末に突然生じたものではないということを。
機会があれば、村上春樹のまとめたインタビュー集「アンダーグラウンド」の「はじめに」と、その続編である「約束された場所で」の「あとがき」だけでも読んでみることをお勧めします。
今日は予定通りすかっと晴れていましたが、花粉悲惨量は思った程ではなかったような気がします。私のセンサーが狂ってただけかもしれませんけど。
突然思い出したこと一つ。子供の頃、「ばてい形磁石」というものが身近にありました。「棒磁石」等と一緒に。でも、最初のうちは「ばてい」が何だか分からず、大分育ってからそれが馬の蹄に由来しているものだと知りました。しかも、馬の蹄自体は別に馬蹄形磁石のような形をしていない。馬蹄形磁石の形に近いのは、人間が馬の蹄に付ける蹄鉄でしかない。何だか凄い罠です。
似たような例は探せば他にもあるかと思われます。それでも、意味がどこか一箇所に収斂していればまだいい。ある一つの言葉を、色んな人が色んな場所で元の意味からかけ離れた別々の意味で使っていたりすると、それがその場で何を意味しているのか把握するのが大変です。かく言う私も、このRjにっき読者の方々には大変な思いをさせているのですが。。。
今日は雨が降ったり止んだりの涼しい一日でした。お陰で花粉は少なく、快適。三日も楽な日が続いてしまったので、恐らく花粉全開であろう明日が恐ろしかったりします。ひー。
先日知人と話していて、漢詩の「力耕不吾欺」という句が話題に出ました。「汗水垂らして畑を耕せば、裏切られることもない。」といったような意味合いかと存じます。陶淵明(陶潜)の作。
「移居」其二
春秋多佳日 登高賦新詩
過門更相呼 有酒斟酌之
農務各自歸 閑暇輒相思
相思則披衣 言笑無厭時
此理將不勝 無爲忽去茲
衣食當須紀 力耕不吾欺
世の中には色んな生業がありますが、都会で俸給生活者などやってるより田舎に帰って半自然の中で隣人達と自給自足的な農業を営みながら楽しく暮らす方がいいや、って話です。話としては分かりやすい。昨今の日本でも、都会を離れてこういった生活を目指す人が少なからずいるとか。幸か不幸か初めから都会に棲んでる私にしてみても、憧れる面はありますね。
今日は冷たい雨の日でした。公園のベンチでサンドイッチを食べていたら、そこいらに棲んでいる人に「行くとこ無いんですか?」と訊かれました。ふるふる。「大丈夫?」こくこく。まあ、調教された短髪にスーツ姿、ってわけじゃないから時々こういうことあるんですけどね。こないだも私より少し若い感じの人に「今日、炊き出しはあるんですか?」とか訊かれたし、その前は作業着を着たおじさんに「仕事ありますよ。」とか言われたし。いずれにせよ、都会では珍しい「他人への無関心」を失った人々がまだ絶滅していないという証ではあります。
さて、別の話。「あほばか遭難」という言葉があります。自動車の制動装置に加えられ、最近では当たり前になった「ABS」を意識しての用語のようです。無知、無謀な行動が山での遭難に結びついた場合に、よくこう呼ばれます。大抵の遭難はいくつもの失敗が重なって起きますが、今回奈良で起きた事例もそういったABSの一つでしょうか。
稲村ケ岳遭難:
「無事で良かった」 軽装に「無謀」の声も−−天川村 /奈良◇非常食持たず、登山届も出さず
天川村の大峰山系の稲村ケ岳(標高1726メートル)で10日、登山中の20代の男女6人が道に迷い、携帯電話で110番通報を受けた中吉野署の捜索隊が11日早朝、稲村ケ岳山頂の北西約1キロ付近で全員を救助した。一昼夜を山中で過ごした6人は疲れ切った様子だったが、けがはなかった。同日午後1時ごろ、署員に付き添われて全員下山。署員らは「無事で良かった」とほっとした様子。一方、軽装で雪山に登った若者らに「無謀すぎる」という非難の声も上がっていた。
道に迷ったのは......語学学習グループの仲間で、10日午前9時ごろ、日帰り予定で入山。約40センチの残雪の道を進むうち迷ったという。登山経験はなく、薄手のジャンパーなどの軽装。地図や磁石、非常食は持たず、登山届も出していなかった。......
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/nara/news/20050412ddlk29040653000c.html
誰にでも失敗はあるし、私だっていつ遭難するか分かったもんじゃありません。しかし、自分の行動がどういった結果を招き得るのか、ちっとくらい想像してみることは忘れずにいたいと思います。
今朝、地震がありました。震源は銚子付近、マグニチュードは6前後だったとのこと。そこいらでよくある、大したことない地震です。でも、長く揺れました。震源地付近では電車が長いこと止まったりして、大変だったようです。朝は気温も高かったし。。。
東京周辺では朝から雨が降っていて、気温は段々下がって行きました。夜は涼やかな風が気持ちいいといった状態。毎日こんな感じだと、杉やら檜花粉症の人にはごくらくですね。いずれ晴れる日が来るでしょうけど、束の間の休息。そして、週末の終わりと共にここいらの染井吉野の花も終わりとなりましたとさ。巡る季節の中で貴方は何を見つけるだろう
、と。
今日は運動してきました。先々週のお遊びと違って今回は本番。こないだ身体を慣らしておいたお陰で、そんなにがたがたにはなりませんでした。結果は、相手がしょぼしょぼだったからか、まあまあでした。でも相手がしょぼしょぼだったので、自分としての出来がどうだったのかよくわからんちん。
別件。最近、所謂「集団ヒステリー」みたいなのがどこぞで流行ってるようです。日本でも細かいことではしょちゅう見られるし、大きなことだと太平洋戦争突入時とか色んなのがあったかと思われますが、いつも醜い現象です。どうして常に醜いのか考えました。それは、その構成要素が思考を停止することによってのみ成り立つものだからです。自ら判断せず、「個」としての責任を放棄する。ま、私もせいぜい鏡をよく見てそうならないように努めましょうか。
今日は16時間くらい寝てました。だもんであまりネタも無いのですが、知り合いのS氏が教えてくれた面白いサイトを紹介します。かえるさんの旅行記です。
関係ないオマケ、こちらは私の撮った写真です。
ビル |
老人と桜 |
きょうもあちい一日でしたのだ。暑さに任せて唐突に、似ているシリーズ。最近微妙に流行ってる「コンクラーベ(根比べ)」などという安易なネタとは違うものです。「鹿沼土」と「タグマッチ」。どうです?似てません?「カモワッチ」とも似てますけど、この単語はマイナーですしね。「たまごっち」くらいなら少しは有名かな?でももうあんまり似てないや。
さて、その鹿沼土。園芸用として有名ですが、正式には(学術的には)「鹿沼降下軽石」と言うそうです。群馬県にある赤城山の噴出物です。栃木県鹿沼市付近では1mくらい降り積もったそうです。鹿沼に限らず、関東平野は火山の噴出物に覆われています。「関東ローム層」という表現がありまして、南関東の場合ですと概ね箱根やら富士やらの噴出物がこの赤土層を成しています。べにゃべにゃしているので地震の衝撃を吸収してくれるとかいう話もあるようです。ま、変に期待しない方がいいであろうことは言う迄もありませんが。
いちばんしたのやつ、「3」以外も面白いようです。週末、時間の空いた時にでも興味あらばどぞ。「居住しようとしている」人だけでなく「居住しちゃってる」人にもお楽しみいただけるところの多い記事かと思われます。いきなりやって来たら、どこからどう把握していいのか分からんような土地でしょうからね、イヤな意味で東京って。
FM富士の'Rockadom'では涼しげな曲が流れておりました。更け行く春の一夜。
今日も暑い一日でした。風が強くて、一部では桜吹雪でした。北日本には、おひげを生やした冬将軍が来てるとか。♪この頃流行りの男の子、おひげを生やした男の子、こっちを向いてよ冬将軍、だって何だか・・・すんません。ちょっと憑かれてます。
今日は暑い一日でした。桜咲きまくり。大月では30.2℃を記録したそうです。下仁田でも29.4℃、大子で29.1℃、いわきで29.0℃とな。もう、汗だくです。
さて、全然関係ない話。最近のパソコンでよく見かけるインタフェイスに、IEEE1394(FireWire)ってのとUSB2.0ってのがあります。少なくとも、Macだと安いモデルにも当たり前のように付いています。んで、これらのデータ転送の理論的最高速度がそれぞれ400Mbps/480Mbpsなんですが、実際にはどれくらい出るものやら、と思って軽く調べました。webは便利。でも、軽く調べただけじゃ大したデータには出くわしませんでした。どっちでもそこそこ出るってこってすかね?未だにSCSIとかUSB1.1とか使ってる私には、どっちがどうでもいいやって感じですけど。
この理論値ってのは厄介物です。例えばHDD等のインタフェイスとして使う場合だったら、理論値にそこそこ近い値(八割くらい、とか)が出ます。しかし、悪名高いADSLだと、サービス名称として「50M(bps)」なんてのを謳っていても実際には1Mbpsも出なかったり、期待されている光ファイバー接続(FTTHとか呼ばれる)だと「100M」を謳っていても80Mbps超える人がいると思えば10Mbps未満でしか使えない人もいる。もちろん、光の場合にはボトルネックが通信そのものではなく他の部分(プロバイダのサーバとか自分のパソコンとか)であることも多いのでしょうけれど、ADSLは悲惨です。NTT局舎からの距離でのろくなり、近所のISDN回線でのろくなり、AM放送でのろくなり、揚げ句に家庭内の家電製品でものろくなる。他にも色々あって、「のろくなり易さ、さいこう!」という状態です。
それでも、アナクロモデムでちまちま繋いでいた時代に較べればすごい飛躍。40-50kbpsだったのが、今では(私の場合)3.5Mbpsくらいですからね。ひゃく倍近くに増大。次に二桁上がる日はそんなに近いとも思われません。また、「理論値」をサービス名称ではなく実際のリンク速度ということにすれば、八割くらいは出ます。よしとしますか。
似たような話で、「巨人戦の入場者数」ってのがありましたとさ。いきなりの四連敗で今年もますます客足が遠のきそうだとか思っていたら、今宵は勝ったようです。よしのぶの決勝本塁打とか。よしのぶは好き。よしのぶがんばれ。
今日も暖かい一日でした。花粉飛びまくりのはずですが、心なしかそれほど過激な反応も出ず、比較的穏やかに過ごせました。ただこの季節、汗がいっぱい出ます。夏のようにべたべた空気じゃないからすぐ乾いちゃって気付きにくいけど、水分失いがち。喉が渇きます。水分足りないといろいろ良くないことに繋がりますんで、みなさんも水分多めに摂ってげんきに暮らして下さい。
今日は暖かかったので、私の行動圏にある桜も大分いっぱい咲きました。けやきなどはほんのり黄緑色に芽吹いています。春ですねえ。外でサンドイッチを食べていたら、近くにすずめが来て「なんかちょうだい。」と言いました。パンの端っこを少しちぎってあげました。野生動物に食い物を与えるのはよくない、のですが・・・
米大リーグ、ヤンキースの松井は開幕戦で五打数三安打三打点(一本塁打)と、快調な滑り出し。打撃は力の抜けた振りでいい感じですし、守備でも好捕を見せたりしているようです。きっと今後も楽しませてくれるでしょう。
昨宵ラジオを聴いていたら、Ozzy OzbourneがThe Beatlesの'In My Life'を唄ってました。これはJohn Lennonが故郷に思いを馳せて作った唄と言われていて、他にも多くの人がカバーしているようです。ここでのOzzyの唄いっぷり、なかなか好いと感じました。
音楽はコミュニケーション。作る人、演奏する人、聴く人。今、演奏する人と聴く人の間を問題にするとすると、演奏する人が音に込めた何かを聴く人が受け止める。その「何か」は、「周波数や持続時間の異なる音波の羅列」だけで語れるレベルを超えています。聴く人から演奏する人への意志伝達方法は様々ですが、例えばCDを買うというのもその一つ。SWAMPSのライブ等、身近で演奏が行われている場合にはもっと生々しい形での「反応」が可能でしょう。
'communication'そのものを題材にした唄も多々あります。そんな中で、私にとって特に印象深い曲があります。Pink Floydの'Keep Talking'。まず冒頭の一節を引きましょう。
For millions of years, mankind lived just like the animals. Then something happened which unleashed the power of our imagination. We learned to talk.
Rj訳:何百万年もの間、人類は全く動物の如く生きてきた。それから、我々の想像力を解放する何かが起こった。我々は話すことを学んだのである。
やったやった、∩( ・ω・)∩ ばんじゃーい、という感じですが、この後の歌詞はもう少し深刻に続きます。静寂に包まれた「私」は、独り問い掛けます:
「私は今話すべきなのだと思う。」(話せばいいのに。)
「私は今話せそうにもない。」(話したことないくせに。)
「私の言葉は正しく出てこない。」(何を考えているの?)
「私は溺れてしまいそうだ。」(何を感じているの?)
「私は今弱っていると感じる。」(だから話せばいいのに。)
「しかし私は自らの弱さを示せない。」(話したことないくせに。)
「私は時々訝る、」(何を考えているの?)
「我々はここからどこへ向かうのだろう、と。」(何を感じているの?)
・・・こんなんじゃいけないぞ、必要なのは(誰か他の人ときちんと)話し続けることだ、と。それは解っているつもりでも、口で言う程に容易いことではありません。
言葉が発生したのはいつだとか、動物も会話してるじゃんとか、そういうのはひとまず置いとくとして、言葉は確かに私達の能力を大幅に向上させた(ように思われる)。しかし、言葉を覚えるということとそれを上手に使いこなすというのは別のことです。伝えたい物事が重くなるに従って、言葉はその力を減ずる。言い換えると、言葉の選び方が難しくなるのみならず、受け手に依存する程度が大きくなる。伝える側と伝えられる側を兼ねるのがコミュニケーションですから、何か大事な話をしようとする二者それぞれに、言葉を発する際にも受け取る際にも難しい仕事が課せられることになる。この難しい仕事に対して、「もう大丈夫、ちゃんと出来るようになった。」という領域に達するのは一生掛かっても無理という気がします。いや、相手のあることですから、自分一人で達成するのは一生無理なの決定。素晴らしい道具としての言葉は、同時に扱い難く危険なものでもあるということです。
今日はずっと晴れていたのに、夜遅くなって雨が降ってきました。春の雨は独特です。花粉を洗い流してくれるといった卑近な利益を抜きにしても、私はそれが好きです。春の雨には、全てを静かに受け容れる優しさがある。っても毎日雨ばかりだったら滅入ってしまうのかもしれませんが、この国ではお天気はお天気屋ですからね。
今週末は天気崩れ気味。なんだかはっきりしない天気に引き摺られて、気分まではっきりしない感じです。とは言え、「東京都の花粉情報」を見ると杉などの花粉はどっちゃり飛んでいるようですから、この点に曖昧さは無いようです。で、何となくぼーっとしてしまう。やっぱりぼんやり。
今日は有名な四月馬鹿の日。嘘で人を騙すには、本当のことにちょっとだけ嘘を混ぜるのが効果的な手法だそうです。まあ、私は真面目に話していても「冗談でしょ」とか言われる方なので、特に何かを工夫することもなく普通に今日を過ごしてます。思いっ切り凝った作りの四月馬鹿頁なんかを見るのも楽しいですね。
さて、ちょい前の話。もののはずみで慣れないことをやらされました。以下、何かのパクリ風感想文。(オリジナルの作者氏、ゴメン。)
大変苦労したシゴトの出来があまり良くなかった。気力の限界までやったんだけど、もうちょっとああすれば良かったとか、もうたくさんそんなとこがあるよ。事前に準備期間が与えられてやったひとの方がやっぱり出来が良かったりして、しかもちゃんとわかってるシゴトをしてて、なんか自分が情けなかった。経験不足のせいにしたくなるけど、結果は結果だ。くやしい。
とは言え、色々学ばせてもらいました。あちこちに迷惑掛けたけど、今後何らかの形で恩を返してやるから首洗って待ってて下さい(>関係者のひとたち)。